こちらは豆太郎の自己紹介部屋で〜す
お時間のある方はどうぞお茶でも飲みながら見ていってくださいね
このサイトを開く切っ掛けなんかが書かれていますよ〜
でもちょっとボリュ〜ム満点かも・・・お時間大丈夫でしょうか?
豆太郎の名前の由来
子供の頃、何故か周囲の大人から豆太郎と呼ばれていました。
たぶんチビでホソでコロコロ転がるように跳ね回っていたせいでしょうかね・・・?
なのでHNとかナンとか・・・というよりは小さい頃の自分がここで好き勝手に遊んでるといった感覚です。
音楽との出会い
昔は(←あまり使いたくない言葉だな)幼稚園などに移動教室としてヤマハがやって来ていたわけですよ。
で、わたくしの仲の良かった友達がその教室に通うことになって・・・当然その間は一人ぼっちで寂しい・・・。
なので、つまんないから窓から背伸びしてず〜っと教室を覗いていおりました。
↑
いやぁ・・・映画のワンシ〜ンのようだ。泣ける 笑
で、たぶんその日家に帰って速攻母親に「オルガン教室に通わせてくれ!!」とお願いしたと思うんです。
母親は「そんなのすぐ飽きるんだからダ〜メ!」と言いましたが、どうやらわたくしココで必殺技を出したらしい。
「一生に一度のお願い!絶対やめないから!」
と生まれて5年しか経っていないのに人生の切り札使っちゃいました。 爆笑
母親としては、他のキョウダイ達に色々習い事させてしかも長続きしなかった経験から
「ど〜せこの子もダメだろ〜」と思っていたんでしょうね。
それでも何とか念願の「オルガン教室」に入学させてもらいました。ありがとう!ママン
結局それから学校を卒業するあたりまでずっと通い続けていたから、
「一生のお願い」はなんとか嘘にならずにすんだんじゃないかなぁ・・・
音楽経歴
経歴ってほどのものはないです。笑
基本がクラシックピアノなので普通に音符は読めますが、コ〜ドとかで書かれた譜面はとて〜も苦手です。
高校生のとき学園祭でお決まりの「バンド」なるものに誘われましたが、
歌詞にコ〜ドが書かれた譜面をポン!と渡されて
「このテ〜プ聞いてテキト〜にアレンジしておいて!」と言われたときは面食らったですよ。
譜面と言えば、きちんと弾くべき音が全て書き込まれているモノ!と信じて疑わなかった時代の頃です。
その日からは泣きながらテ〜プとの格闘!
ギタ〜の音もベ〜スの音も果てはドラムの音までゴチャゴチャに聞こえてきて
ナニをどう弾いていいのか本当にパニックになってしまい、「もう二度とバンドなんてやらね〜!」
と堅く心に誓ったものでした。
学生時代に知人から誘われてホテルのラウンジでピアノ演奏のバイトを3年程したことがあります。
この他単発でチョコチョコ演奏を頼まれれば出向いていったり・・・
わたくしが音楽で少しでもお金を稼いだのはコレだけです。
稼いだといっても、十数曲のレパ〜トリ〜からいつも同じような曲を小出しに弾いていただけですが・・・汗
ヘタッピながらも「ぜったい曲の途中でやめない」とか「誤魔化しきってやる!」とかいう根性は
このバイト経験で積ませていただきました。
ちょっとずぅずぅしくなったのもこの辺りからですかね・・・
その後、ご縁があってある女性コ〜ラスグル〜プの創立スタッフとして
ピアノ兼作詞・作曲兼アレンジ兼指揮者みたいなことをやりました。
この頃が一番楽しかったですね。体力的にはかなりキツかったですが。笑
メンバ〜はほとんど素人さんばっかりだったのですが、ひとたび歌いだすとものすご〜く心に響く歌を歌うのですよ。
技術的には決して上手じゃありませんでした。ほんとに・・・
でも、歌って・・・音楽って・・・上手い下手じゃないんだなぁ・・・伝えたいと思う気持ちなんだなぁ・・・
と心の底から感じられたのはこのコ〜ラスグル〜プと出会えたからですね。
この経験がなかったらきっと今音楽活動はしていなかったと思います。
この時に初めて作詞や作曲の方法を独学ながら学ばせていただきました。
人間崖っぷちに立たされるとナンか出来るようになるものなんですなぁ・・・。 シミジミ
わたくしにとってある意味一番大切な出会いだったかもしれません。感謝!
そういえばこのコ〜ラスグル〜プで歌う曲を制作する為に
「清水の舞台から飛び降りたつもり」でコンピュ〜タ〜やらナニやらを買いましたっけ。
余談でしたな。
あ、そういえばもう一個あったです。
この女性コ〜ラスグル〜プに入る前に小学生の高学年を集めて結成された合唱団にも
一時ピアノ兼音楽指導兼指揮者としていたことがありました。
↑
忘れてるし!爆
二つ掛け持ちで色々やらせていただいていたので、体力的にも精神的にもかな〜りシンドかった。
でも、子供ってこちらが真剣になればなるだけ素直に反応が返ってくるので
遣り甲斐があった・・・というか、子供に恥ずかしくない自分でいなきゃ!ってずいぶん頑張らされたもんですよ。
いまじゃ見る影もないけど。 あはっ
たぶん10年位はこの合唱団とお付き合いしたと思われます。←年バレる?
本仁作品との出会い
社会人になると色々あるもんですね〜。
わたくしは自分のことを今まで一人でもしっかり大地に根を張って立ち続けられる人間だと思っていました。
でもある頃からどうもグニャグヤな自分と向き合ってしまったのです。
いわゆる心身症というやつで、朝会社に行く為に駅まで行くのですが、その後どうしても電車に乗れない。
運よく会社に行けても頭痛と吐き気がして眩暈がする。
そんな日々が数ヶ月続いてこのまま生きていてなんになるのだろうか!と思うようになってしまったのですよ。
まぁ、原因は色々あったのですが・・・それはまぁいいや。
結局どうにもならなくなって約2ヶ月くらい会社をお休みしていた時期だったと思うのですが、
活字とか一切読みたくない精神状態だったのでとにかく漫画をこれでもか〜!
という程買い漁りました。ヤケ買いとでも言うのでしょうかね? ←ホント後先考えられなくなっていたのね。
で、本当に偶然にも手に取った一冊が「飼育係・理イ火」だったんです。
表紙の絵にも勿論魅かれたと思います。
家に帰ってから読んでみると・・・お口がアングリ・・・「なんだこりゃ〜!」ってなってしまいましたよ。
いままで読んでいた漫画とは明らかに違いました。
活字を読みたくないどころの騒ぎじゃありませんよ、奥さん!
いや、それよりも数段深くて考えさせられて訳わかんなくてハメられて・・・もうズッポリです。
本仁先生の作品は手に取るもの全てが「違う人描いてるの?」と思うほど世界が広くてビックリ。
読めば読むほどその作品世界に引込まれていく自分がいました。
しかもどうやら先生は「ちょっと引きこもり」っぽいところが見え隠れして・・・
社会から取り残された気分でいっぱいのわたくしにとって、なんだかとっても励みになったのです。
それからというもの・・・も〜ね。
本屋さん巡りに追っかけに(←?)・・・なんか生きる希望を見つけたような勢いでしたよ。
ある意味わたくしが社会復帰できたのは本仁作品と出会えたからと言っても過言じゃありません。
初期の作品を古本屋さんで一日中探し回ったり
(この頃まだNETにつながる自分のPCはなかったので・・・脚が命)
巻末に書かれたファンサイトのURLを見ながら・・・パソコン欲しいなぁ・・・と呟いてみたり。
兎に角会社に行かなきゃと思ったり。←会社に行けばパソコンが使える=ファンサイトを見れる!!笑
大黒屋様との出会い
ファンサイト見たさにめでたく会社に復帰完了!
そこで大黒屋様と出会えたのが今こうしてHPなんか開いちゃった事に大きな影響を与えています。
大黒屋様は言わずと知れた本仁先生のファンサイト「Rue Royale」を運営されている方です。
本仁先生の作品を読んでいましたら、先生が大の感想文好きということが判明いたしまして、
これはなんとしても愛を叫ばなければ!と思い立ったわたくしは出版社様経由で感想文を書いたわけですよ。
でも、出版社から先生の手元にお手紙がいつ届けられるのか・・・2ヵ月後?3ヵ月後?と心配になり、
とにかく先生に「感想文を書きました!宣言」をしておこう!と恐る恐る螺鈿の手箱に書き込んだのが最初です。笑
それが切っ掛けで、たくさんの本仁ファンの方々ともお会いすることができ、いまじゃホントに楽しくってしょうがない!
で、本仁先生の作品に「Poison Cherry Drive」という作品があるのですが、
その中で飯田というキャラが真っ裸で(アシカのお面はあり)熱唱している場面があります。
ふと、この歌はちゃんとしたメロディがあるのかなぁ・・・? だったら知りたいなぁ・・・? 歌ってみたいかも・・・。
と思ったのが切っ掛けで、大胆にも大黒屋様経由で本仁先生に
「曲があったら教えてください」と質問してしまいました。汗
もしメロディ〜だけでもあるならCDにして先生にプレゼントしたい!と思っちゃったんですなぁ。
こんなわたくしに対して、先生も大黒屋様も嫌な顔ひとつせず、丁寧に回答してくださって・・・涙
結局曲はなかったのですが、次にわたくし・・・何を思ったか・・・ あ〜ん怖いよ〜
「曲がないなら作ればいいじゃない!!」 ←バカでしょ〜! わっはっは
でも、思い立ったらド〜ニモ黙っていられないんですよ。好奇心だけは旺盛なので。
「Poizon Cherry Driveの曲を作ってはどうか?」と提案したところ、大黒屋様もすぐ快諾なさってくださって・・・
海のものとも山のものとも知れないわたくしにも、いつも丁寧な対応をしてくださって、本当にどんなに嬉しかったか。
当初はサイトに遊びに来てくださっている皆様からメロディ〜を募集して、わたくしがアレンジなどしてCDにする。
という企画だったのですが、「豆太郎様が作曲なさるというのは・・・」という大黒屋様のお優しい(?笑)一言により
豚が木に登ってしまいました。 わっはっは
いつもはそんなに急にメロディなんて浮かばないのですが・・・この時ばかりは「音神様」が降りられたようで
鍵盤に向かうとスラスラ〜っと曲が出てきちゃいました。 愛って素晴らしい。
その後大黒屋様に更に乗せられて「歌」まで歌うハメになってしまったり・・・大汗
大黒屋様のスンバラシイ人脈で「そにっくでぃーぱー様」とおっしゃるSEの方の手を借りて
無事に大黒屋様のHPにもUPでき、CDもでき・・・。感涙
CDジャケも、ものすご〜くかっこよく出来あがって本仁先生のお誕生日プレゼントにすることができました。
そにっくでぃーぱー様が作曲されたほうは sympathy というバンドのVo.和舞様が歌を担当され
それはそれはカックイイ出来です。
お聴きになりたい方は是非大黒屋様のサイトにいらしてみてくださいね。
【リンク集より大黒屋様のサイト「Rue Royale」へ飛んでいただき
「本仁先生お誕生日企画」というコンテンツよりお入りくださいませ。
そにっくでぃーぱー様の曲が聴けます ノリノリだぁ!!】
そんなこんなで
PCDのCD制作は最終的に本仁先生のお誕生日プレゼント企画として進められたのですが、
先生がものすご〜く喜んでくださったらしく、先生ご自身のHP上でお礼の言葉を頂けてすごい泣いた・・・。
なんか・・・自分でも誰かを喜ばせることができた〜!というか、頑張った成果が出た〜!というか。
もうグチャグチャな高揚感でワケ分からなくなっちゃってました。笑
この「本仁先生に喜んでいただけた」という出来事がわたくしにとってものすご〜く意味があったみたいです。
このころから漠然と、本仁作品を表現した曲を作ってみたい・・・という気持ちが湧き始めました。
できる事なら自分のHPに本仁先生に関連した曲を載せてみたい。
で、まず目標としたこと。
自分家からネットデビュ〜する! ←なんじゃそりゃ? 笑
Macはもともとあったのですが、音楽ソフト専用で使用していた為に「箱詰めMac」でした。
したがって、大黒屋様のところで開催されるチャットもいつもネットカフェから参戦! 大笑
2005年7月に念願かなってもう一個PCを購入しましたぁ! イエェ〜イ
ネットにも繋いだのですが、HPってどうやって作るのか? さぱ〜りワカラン。 ←バカ
数ヶ月モンモンと致しましたが、とうとう自力では解決できずパソコン教室に通う!笑 (2005年10月)
そうこうしていくうちに、ど〜にかこ〜にかHPの外枠だけは出来上がる。 (2005年12月)
あとはアンコの曲だけだな・・・ほんとにできるのかな・・・な現在。 汗
Win用の音楽ソフトも買ったし!
(今はソフトで曲作るとチョ〜簡単にネット用にMP3とかに変換できるのね〜。ホントすげぇ)
で、やってみたら あ〜れも足りない こ〜れも足りないな発見の連続。
機材も買ったところで使いこなせるのか?
むむ〜ぅ・・・
とにかくここまで来たらヤるしかね〜だろ!俺!頑張れ!!
こうして見てみますと、本仁先生の作品と出会えていなかったら今現在曲作りなんてしていなかったカモです。
たぶん「世の中の馬鹿ヤロ〜!」て不貞寝していたかもしれませんな。 怖
本仁先生と大黒屋様には本当に感謝しています。
ありがとうございました。
これからのこと
自分の可能性がどの辺まであるのか楽しみにしながらゆっくりまったりマイペ〜スでやっていきます。
たぶんまた精神的にもダメダメになる時もやってくるんだろうなぁ・・・なんて思っていますが、それはそれ・・・
自分の気持ちに正直に、てところでしょうかね?
最後まで読んでくださった方。本当にありがとうございました。感謝いたします。
作品に対するご意見やご感想、またはリクエスト?(←大丈夫か!)がありましたら、メ〜ルなど頂ければ嬉しいです。
力及ぶ限り頑張ります。 ぺこり
2006.1.1現在
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