小田監督・映像へのこだわり |
担当:高橋歩 |
小田和正は自分のエッセーの中で「中学1年生の時に見た『ティファニーで朝食を』を見て、その中で流れる『ムーン・リバー』という曲に感動した。いつか僕もこんな曲を作りたいと思った」と書いています。 小田和正の映像に対するこだわりは、既にオフコース時代のコンサートにおける映像やビデオ・クリップ製作に対する積極的な姿勢にも発揮されていた。彼が常に目指していたのは音楽をバックアップする映像を作ることではなく音楽と映像が一体となった表現だった。その意味でCMは絶好の素材の一つだった。 小田和正はシングル「恋は大騒ぎ」を使用した第一生命のCMの映像を含めた企画・演出・出演を行った。このCMはその後もシリーズ化された。(詳しくはタイアップ特集の所を御覧下さい) 「ラブ・ストーリーは突然に」のヒットは小田和正にとって大きなチャンスでもあった。以前から彼は本格的に映画を撮りたいと口にしてきたし、そのためにこそステージでの映像やビデオ・クリップ、そしてCMまでも自らの手で製作してきたのだ。 長い間暖めてきた夢を、この時期に実現させる決断を下した彼は自ら準備を進め企画・脚本・音楽・監督を担当する映画「いつかどこかで」の撮影を開始した。 時任三郎、宅麻伸、藤原礼実(オーディションで選ばれたモデル出身の方です)らが出演した映画「いつかどこかで」は92年2月に全国ロードショー公開され、その直前の1月にはサウンドトラック・アルバム「sometime somewhere」もリリースされた。 しかしこの頃、専業の映画監督ではない人達が映画を手がける動きが活発にあり一種のブームとも見られていた。こうした動きに対する反撥のような気分が同映画に対する逆風にもなっていたかもしれない。 小田和正にとって、このムードの中にある評価は決して満足できるものではなかったに違いない。それでも、その年の夏休みに公開されたアニメーション映画「走れメロス」の音楽監督を担当するなど、彼の映画への情熱は少しも衰えなかった。 97年3月、彼は2本目の監督作品である映画「緑の街」の撮影を開始する。 「いつかどこかで」を製作した時の経験、またその後「キャディ」「日本をすくえ」などのドキュメンタリー番組の制作から学んだ結論が、この映画だった。渡部篤郎、中島ひろ子、津川雅彦、河相我聞らが出演して「緑の街」はクランクアップした。 上映方法も劇場ルートによる公開の形をとった「いつかどこかで」とは違い、全国の公会堂やホールを回るコンサート・ツアースタイルで行われることになった。 |
映像作品一覧表 「いつか どこかで」92年2月公開・11月ビデオ発売 正木(時任三郎)はライバル会社の冬子(藤原礼実)に恋をする。心を閉ざす冬子を正木はひたむきに追い続ける。二人の恋、そして開発をめぐる仕事の行方は・・・? 「走れメロス」92年7月公開 太宰治原作の小説をアニメ化したもの。小田が音楽監督を務めた。 テーマソングは「そのままの君が好き」 「キャディ」94年5月放送 小田和正がゴルフ雑誌の企画で青木功プロのキャディを務めた。 その時の模様を自らまとめたドキュメンタリー番組。 「日本を救え‘94」94年9月放送 泉谷しげる、吉田拓郎らと企画したチャリティーライブの模様を収めた ドキュメンタリー番組。 「緑の街」97年8月3日〜シネマツアー開始、99年ビデオ・DVD発売 映画を撮ろうと決心した一人のシンガー・夏目草介(渡部篤郎)を 主人公にしたストーリー。スタッフや出演者達との争いの中で 映画は無事に完成するのだろうか・・・? |
展示内容一覧に戻る |
トップページ |