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Tony McCarroll Interview
[Oct 2001 Q magazine]

マンチェスターロックバンド Rain の、のちに Oasis となったこのバンドのオリジナルのドラマーとして知られる Tony McCarroll は、デビューアルバム Definitely Maybe とシングル Some Might Say まで演奏していたが、1995年半ばにクビになった。その時 Noel はこう説明した。「人として Tony のことは好きだ。しかし彼はニューソングをたたく能力はない。」



Tony McCarroll 「おれは Oasis をクビになった後、2、3年旅してたんだ。アメリカに行ってさ、カナリヤ諸島にしばらくいたんだ、ただ平和と静けさが必要だった、とにかくミュージックビジネスの世界から離れたかったんだよ。おれのまわりにはいつも音楽があって、おれの人生の一部みたいなもんだからさ、だから決して音楽からは離れられないんだけれどね。

おれたちのバンドは Raike って言うんだ、おれはドラムたたいてる、上手にって、努力してるよ。(笑)Adi はヴォーカルで、他にバンドには Dan greenwood ってのがいて、リードギター弾いてるんだ。

良質の正当なギターミュージックってとこかな、基礎に立ち戻った感じだよ。現在世の中に出てる他のものとは比べようとは思わない、なぜならおれたちのはもっとエッジがきいてるんだ。これまでのところ、マンチェスターエリアでほんの少しだがギグをやって、にぎわってたよ。今度はシティーミュージックフェスティバルに出られればって思ってるんだ、うまくいけば注目を集めて、契約なんてことになるといいんだけどなぁ。

おれはマンチェスターの Dento に Potential House っていうスタジオも経営してるんだ。ちょっと前なんだけど、若者向けの仕事をしてる学生時代の友達に会って、おれたちは、キッズが利用できるようなスタジオを造るのは面白いと思ったんだ。Raika のスタジオにもいいって思ったしね。たくさんの若いバンドがやってくる、おれたちに出来るならアドバイスするよって彼らに言ってるんだ。もしいけそうなバンドが出てきて、お金があればだけど、おれたち自身のレーベル Potential Records を立ち上げて、彼らの成長を手助けできればって思ってるんだ。

キッズたちは昔のことをきくんだけど、おれの昔の話なんか全然覚えてないさ!(笑)いや、すごく良かった、ノンストップのジェットコースターだったよ。全く思いがけない終り方だったけど、でも受けとめるよ。

Liam に会ったのは1996年で、しばらくは上手くいってたんだ、裁判前の話だけどね。(1999年、Tonyは違法解雇で裁判を起こした。)Noel との問題だったとおれは信じてる、バンド全員とじゃなくてね。でも今は明らかに彼らとの絆は壊れてしまってるよ。

おれはもう Oasis を理解してない、おれたちはいつも一緒だと思ってた、でもみんなは違う考えを持っていた。今ほとんどトリビュートバンドだろ、彼らがたくさん昔のをやるのを見てるのはいいんだけどね、だって最近の2枚のアルバムは・・・(3、4枚目のこと)・・・え〜っと、おれは彼らがベストだとは言わないよ。」