小話

 おや? どうした、暇を持て余しておるのか?
 ほほ、それならわらわと同じじゃな。
 どれ、何か話でもしようか。
 ……ふむ、そうじゃ。
 この山に、小さなキツネの妖がおってのう。
 妖は同じ種族でもなければ、互いにそうそう集うこともないのじゃが、その子ギツネは特に人見知りじゃった。
 いつも、ぽつんと1人でな。
 わらわも時折気にしてはおったのじゃが、どうにも掴みどころのない不思議な奴なのじゃ。
 それが……そう、あれは確か幾度か前の、秋の祭の頃じゃな。
 どうじゃ、この昔話に、付き合ってくれるかえ?


風車

 その子ギツネは、天狗の話をろくに聴いてもいないようだった。
 いや、そう見えただけで実際は聴いていたのかもしれない。
「おい、チビすけ! まったく……たまに様子を見に来ても、いつもこれだ」
 やれやれと天狗は首をふって、ため息をつく。
 この広い山の中、互いにさほど干渉しあわない妖達ではあったが、鬼族の姫と、この天狗は時折こうしてこの小さなキツネの様子を見ている。
 山を治める年長者達ということもあったが、まあおそらく性分であろう。
 特にこの天狗は、口ではぶつぶつと文句を言うが、こういう輩を放っておけないのだ。
「チビすけ、お主……ん?」
 ふと、天狗はキツネが何かを見下ろしていることに気がついた。
 山の麓、人の里と山とのちょうど真ん中にある小さな祠。そこにいくつかの影。
「人間? ……ああ、そうか、もうそんな季節か」
「きせつ?」
 ようやく聞き取れるような小さな声で、キツネが問い返した。
「秋の祭だ。山の麓で、人たちが祭を開く。確か……実りに感謝をする祭、だったか。人間は山の幸も食うからな」
「まつり」
「そうだ、ここの麓で開くんだが、そうすると山も少し騒がしくなる。祭の期間だけは、その騒がしさを許してくれという意味で、この季節になると人間があの祠に挨拶に来るんだ」
 普段は木の実や山菜を麓で取る以外、なるべく山に近づかないようにして妖との関わりを避ける人間達。
 だがこの祭のときだけは別だ。妖にも挨拶をして、山全体の実りに感謝をする。
 祠には農産物が供えられ、この祭の期間は妖達も、山の麓が騒がしいことを許す。
 大昔からのしきたりのようなものか。
「お主、祭を知らんのか。毎年あるだろうに」
「……気付かなかった」
「今までの祭のときは山の奥にでもおったのか? まあ、ぼんやりしておるからな、お主は」
 頭をガリガリと掻いてから、天狗は付け足した。
「珍しいかもしれんが、必要以上に近づくんじゃないぞ。騒がしいのも数日だけだ、大人しくしておれよ」
「……」
 返事をしないキツネに、天狗はやれやれ、ともう一度大きくため息をついた。

 ドンドン、ピーヒャララと鳴るのは祭囃子。
 日が暮れるにつれ麓にともる祭の明りが、山のキツネにもよく見える。
「……まつり……」
 何だかいい香りがする。魚を焼く匂いと、それからとうもろこしを焼く匂い。甘い匂いもするようだが、あれはなんなのだろう。
 いつもは遠く離れているように感じる人里が、すぐ足もとにあって、人々の笑い声が風にのって届くようだ。
「なんだ……」
 キツネは呟いた。
 この気持ちはなんだろう、胸のあたりがむずむず、どきどきとする。こんなのはじめてだ。
 珍しい音がするから? いい匂いがするから? それとも、人の声がするから?
「……」
 すこーしだけ、そばへ行ってみようか。あの祭の方へ。
 足は遅い方ではないと思うし、もし見つかってもすぐに逃げられるだろう。
 こんなことを考えるのは初めてだけれど。
 キツネは山吹色の尻尾をぱたりと揺らすと、自分の四本足の具合が良いことを確かめて、山の麓の方へと歩き始めた。
 音と匂いと、それから声が少しずつ近づいた。
「やれ、酒が足りんぞぉ」
「おばちゃーん! 草餅2つちょうだい!」
「弥六の太鼓は、やっぱり里で一番うめぇだなあ」
「なになに、平蔵も負けとらんべ!」
 いつの間にか言葉が聞き取れるところまで来ていたことに気がついて、キツネははっとして慌てて木の陰に隠れた。
 日はもうほとんど沈んでいる。草陰と木のこちら側にいれば、闇に紛れて自分の姿は向こうからは見えないだろう。
(にんげんの、まつり)
 とても賑やかで活気に溢れている。人々は大きな声を出して笑い、誰もがとても楽しそうだ。
 妖と違って人間は、こうして互いに触れ合い、笑いあい、集まって騒ぐのが好きだときいた。
「……」
 キツネはいつだって山でひとり。
 別に寂しいと思ったことはないが、いつもぼんやりと暇を持て余している。
 けれど今は、目に入るものすべてが新鮮で、祭のどこを見ても興味をひかれるものばかりだ。
 あそこできらきらと光るものはなんだ? あの大きな音の出るものはなんだ? あれは食べられるものなのか? あっちの人は何してる? この香りはなんの香り?
 こんなにも色んなものに溢れて、キツネの胸のあたりのどきどきは、どんどん大きくなった。
 そうこうするうちにドンドンヒャララと鳴り響く祭囃子も少しずつ落ち着き、かなり夜も更けてきて、人々は里へ帰っていく。
 櫓などをいろいろと残していくところを見ると、おそらく祭りは明日も続くのだろう。
 さっきまでの喧騒が嘘のようにシンと静まり返った祭の場所に、キツネはこっそりと入ってみた。
 今は明りが消され真っ暗だが、妖であるキツネの目は不自由することはない。
「……?」
 カラン、と何かが後ろ足にあたってキツネは振り返った。何やら、紙と木で出来たものが転がっている。
 細い木の棒の先に、朱色の紙が羽のように取り付けられていて、くるくると動く……おそらく人の作ったものだろう。
 祭の飾りだったのか、誰かが落としていったのだろうか。
 キツネが興味本位でそれを銜えようとしたときだった。
「そこで何をしてる!」
 空から降ってきたような声に、キツネは全身の毛が逆立った。
 飛び上がって森の方へ駆けようとするが、足がもつれて、無様に転がる。
「かっかっかっか! 見たか、今の」
「見ーたみた。飛び上がってた」
 おずおずとキツネが見上げれば、祭を見渡すような大きな木の枝の上に、人間の子どもが2人、立っていた。
 いや、違う。人間の姿をした……あれは、妖だ。
「なんだあお前、化けもせずにこんなトコへ来て」
「あんまり見たことない奴だ。化け方知らないんじゃないか?」
 2人はニヤニヤとしながら、キツネを見下ろしている。
「そっか、化けられないんじゃ仕方ねえな。それじゃあ祭にも紛れ込めないし」
「まぎれこむ?」
「ほら、なにも知らねえの」
 キツネが問い返すと、少年の姿をした妖達は顔を見合わせて笑った。
「祭のときはさ、山の麓だし、人間もいっぱい出てきてるから、人に化けて紛れ込んでもばれねえんだ」
「そうそう。普段は面倒だから関わらんけどね。祭のときは美味いもんも多いから、のぞきに来るんさ」
 そうだったのか。だがその気持ちが、今のキツネには良くわかる気がした。
 この祭には不思議な魅力がある。惹き付けられて、もっと近くで見てみたいと思うのだ。
「お前も化ければ?」
「ばける? 化けられる、のか」
「そりゃあ、おいら達みたいなカラス天狗が化けてんだ。本来変化の得意なキツネのお前が、化けられないわけなかろ?」
 こやつらは、カラスの妖だったのか。通りでよく喋る、とキツネはチラリと思ったが、まあそれはいいとして。
「人に……化ける……」
「化け方がわからないんか?」
「かっかっかっ、化けギツネなのに?!」
 それでも妖か、とカラス達が指をさして笑うので、キツネは思わず尻尾を丸めた。
 だって今までは、化けようとは思わなかったのだ。
 化けたいと、思うような何かがなかった。きっかけも、気持ちも。
 山の中でぼんやりと、何も面白いとは思わずにひとりで過ごしてきた。
「こいつ、阿呆だなー!」
 枝の上からカラスの蹴飛ばした小石が、ピシリとキツネの背中にあたる。
「なーんにもしないんじゃ、つまんなかろ」
「お前みたいなチビすけでも、妖だの、怪だのって呼ばれてんのに」
「ききき、そうだそうだ。化け方くらい、鬼姫にでも」
 言いかけて、カラス達の顔色が変わった。
 遠くから、羽音が聞こえる。
「まずい、天狗の旦那だ! 逃げよ!」
「旦那は人間と関わると怒るからなあ! じゃあな阿呆のチビすけっ」
 ガサッ! という音がしたと思ったら、もう木の上に2人の姿はなかった。
 変化をといて飛び立ったのか、闇に紛れては妖ガラスを見つけるのは至難の業だ。
『珍しいかもしれんが、必要以上に近づくんじゃないぞ』
 天狗の言葉を思い出して、キツネも山の中へ飛び込んだ。
 その口に、赤い羽のついた祭の飾りを銜えて。

 青く澄んだ秋空の庭。ぺきり、と小枝を踏む音が耳に届く。
「おや、天狗。どうかしたのかえ?」
「誤魔化しても無駄だ、鬼姫。ここに仔ギツネが来ておるだろう」
「んん?」
 屋敷の縁側に腰掛け、鬼族の姫は面白そうに茶をすすった。
「美味いのう。どうじゃ、天狗も飲まんか」
「お主、茶葉もいつもどこから買い付けておるのだ」
 天狗が苦虫をつぶしたような顔をすると、これは藪蛇じゃったなと鬼姫は袖で口元を隠す。
「わしが気付かんとでも思うのか。鬼姫、あのチビすけに、人への変化を教えたな」
「ほほほ」
「笑い事ではない! なぜ人に関わらせようとする。奴らの厄介ごとに巻き込まれれば、辛いのはあのチビすけなのだぞ。ただでさえ、わしのところのカラス共が人への変化を覚えて手を焼いているというのに……」
「まあ、そういきり立つな天狗。何もわらわは、人に関わらせようとしたわけではない」
 鬼姫は湯飲みを盆へ置くと、小さく笑んだ。
「あのキツネっ子が、わざわざ屋敷まで来てのう。なにごとかと思えば、祭の飾りを銜えて、これは何というものなのかとわらわに訊ねるのじゃ」
「飾り?」
 天狗が不思議そうに問い返すと、鬼姫は頷く。
「あの、いつも1人でぼんやりとしておったキツネっ子がじゃぞ? わざわざわらわのところへやってくるなど、しかも『何かに興味を示す』など、なんとも珍しいことではないか」
「それは……」
「もちろんわらわは教えてやった。それは『風車』というのじゃとな。キツネは風車を眺めてこう言うのじゃ。くるくると回って、鮮やかで、綺麗だと」
 とても不思議そうな、興味深そうな顔で。
「あんなあの子の顔を見たのは初めてじゃ」
 いつも虚ろに、何を見つめているのかひとりぼっちであった仔狐の目に、小さな光が映って。
 こんなものを人は作るのか、どうやって作っているのかと小首を傾げる姿はとても子どもらしくて、微笑ましいのだ。
「お主も、気にしておったろう? キツネがいつもひとりでおることを」
「む……」
「妖はもちろん、皆で仲良くする、というような者達ではない。しかし、話し相手も、面白いと思えるものもないなどとは、何とも寂しいことではないか。天狗、お主が人間に対して気を張るのはわかるよ。長く生きる者ほど、妖と人の間にあった様々なことを知っておるからのう」
 喜びも、悲しみも、交わりも、戦もあった。
 傷つき傷つけた記憶だって、鬼姫にはある。
「それでも、何も奴らを騙そうというのではないのじゃ。こっそりと人の里の様子を見るために、人に化けるくらい、許しても良いではないかえ」
 妖と人の間にあった出来事を、若い妖達は知らない。
 けれどもそれは、妙な先入観や偏見がないということだ。
 いつまでも過去の出来事にしばられて憎みあうなど、互いを傷つけるばかりではないのか。
「お主がそのような甘いことばかり言うから、妖達が祭りに紛れ込んだり……!」
「おや、何を言うか天狗。お主だって昔は、人と」
「うっうるさい!!」
 慌てて遮った天狗に、鬼姫はころころと笑ってから小さく肩をすくめた。
「まあ、それはさておいても。天狗や、わらわはキツネが自分で見たいと思ったものを見せてやりたいのじゃ。厄介ごとがないよう、わらわもあの子を気にかけよう。ゆえ、わらわに免じて、人への変化をひとつ許してやってはくれぬかえ」
 穏やかに言って、天狗を見る。
 天狗は言葉に詰まった。長い付き合いだが、昔から鬼姫のこういう態度にどうにも弱いのだ。
 互いに妖の悪さも、人の弱さも、痛みも知っている。だからこそ、鬼姫の言うこともよくわかってしまう……。
「……はあ! お主は言い出したら、どうせわしが何を言っても聴かんだろう! いいか、厄介ごとはごめんだぞ」
「ふふふ、そうじゃな。わかってくれて嬉しいよ。良かった良かった、のう? キツネ?」
「え?」
 天狗が目を丸くすると、いつから潜んでいたのか向こうの茂みから、人の少年が姿を現した。
 ひょろりとした細い手足に、特徴的なつり目、着物の帯には、大切そうに赤い風車。それに……ふわりとした尻尾が。
「キツネや、尻尾が見えておるよ」
「え? あ」
 少年が慌ててくるりと一回転すると、尻尾が消えてようやく普通の人の子になる。
 すっかり変化しているが、それは間違いなくあの仔ギツネだった。
「あーあー……やれやれ」
 天狗は感心半分、呆れ半分でどさりと縁側に腰を下ろしてキツネを眺めた。
「良いか、チビすけ。いくら人に化けられるからと言って、里にむやみに近づくな。わかっておるのだろうな?」
「うん」
「返事だけは良いのだ、うちのカラス共も。お前にまで手を焼かされるのではかなわん、大人しくすると約束しろよ!」
「うん、うん」
「ほほほほ、大丈夫じゃ、わらわも見ておる。そうじゃな、変化が上手くなれば次の秋の祭へは遊びに行けるのではないか?」
「鬼姫!!!」
 天狗が怒鳴り声が響く。
 笑いながら鬼姫は、キツネの帯に飾られた風車をスイと手にとった。
「のう、人の里にも、妖の山にも、同じ風が吹いておるのだよ。キツネや、色んなものを見られると良いね」
「……うん」
 ほんの少しはにかんで、小さく嬉しそうなキツネの返事。
 秋風に、風車が優しくからからとまわった。


 それから、キツネはよく人に化けては山の麓近くで里の方を眺めておるのだよ。
 天狗の言葉を守って、里までおりたりはせなんだが。

 キツネはあの風車が好きでのう。
 あれを見ると、祭や、人間の面白さが垣間見えるような気がするからかの。

 そうじゃ、そろそろ秋の祭の季節じゃ。
 キツネも楽しみにしておる。お主もおるしな。
 ふふふ、一緒に行っておやり。天狗は、わらわが何とか言いくるめておこう。
 そうそう、もしかしたら他の妖が人に化けて紛れ込んでいるのに、会うやもしれぬな。

 今日もいい風が吹いておる。山にも、里にも。
 わらわも良い気分じゃ、笛でも吹こうか。
 さあ千代、お主も沢山、色んなものを見ておいで。

 <了>

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