一つのメルヘン 1996年3月作曲
野村泰介 作曲 中原中也 作詞
*秋の夜ははるか彼方に小石ばかりの河原があって
それに陽はさらさらとさらさらと射しているのでありました
陽といってもまるで珪石か何かのようで非常な個体の粉末のようで
さればこそさらさらとかすかな音を立てているのでした
さて小石の上に今しも一つの蝶がとまり
淡いそれでいてくっきりとした影を落としているのでした
(間奏)
やがてその蝶がみえなくなるといつのまにか
今迄流れてもいなかった川底に水はさらさらと
さらさらと流れているのでありました
(間奏)
*繰り返し
中原中也は私が高校生の頃好きだった詩人です。その中で最も有名な作品「一つのメルヘン」に曲をつけたのが高校卒業〜大学入学まで間でした。単純な作りですが、かなり気に入ってます。作曲・アレンジ・録音とも1日で終わったと記憶してます。他に中也の「蜻蛉に寄す」という作品には曲らしいものをつけましたが、アレンジ・録音ができていません。
Tree of Life-命の木の実 1997年2月作曲
野村泰介 作曲 N 作詞
1人でいることになれてきたからふりかえってみるよ至らなかった自分を
子供でもないのにただ寂しいだけで好きなのにあなたを傷つけてた
あなたが去ったときまた戻ってくると思って自分の愚かさに気づかないふりしてた
2人ですごした時が無駄だと思えなくて悲しくて泣くだけで誰も信じられなくて
はじめて私が悪かったのだと気づくことで少し大人になれた
(間奏)
長い時がすぎてあなたに会えて変わった自分をすこし好きになれた
花が微笑むように大気がつつむように人にやさしくありたいと強い自分でありたいと
あなたを失ったかわりに私は知ることができた愛するだけが愛じゃないことを
La
La
La...........
1998年に発表したマンドリン用の「春にまつわる三楽章」第3楽章のオリジナルです。作詞者の詳細はわけあって公表することは出来ませんが、詞と曲を同時に作った初めての作品です。作詞・作曲・アレンジ・録音に1週間ほどかかったと思います。詞を見てもわかるとおり、せつないラヴソングですね。
この曲もとても気に入っています。ギターを手にすると必ずつまみ弾きしてしまう・・・。
サウンドコラ−ジュU 1997年8月作曲
この曲は全部で4つの楽章に分かれますが、今回は初めの2つの楽章のみを公開します。
マンドリンオーケストラ用に作った「サウンドコラージュ」シリーズと紛らわしいですが、全く別物です。サウンドコラージュという言葉は「音の貼り合わせ」という意味を持つ私の造語です。ビートルズの「レヴォリューション9」という曲をご存知でしょうか?高校生の頃この曲を聴いてショックを受けた私はアナログMTRを使って4トラック分、色々なところから集めた音を加工(といってもアナログですから逆回転や再生スピードの変化に限られる)して音を繋いで「レヴォ9」のまねごとをしていました。これが「サウンドコラージュ」の起源です。
1997年マンドリンオーケストラの作曲をはじめて間もない頃、ふとしたことでかつて作った「サウンドコラージュ」をまたやってみたくなりました。構成は全部で4つの楽章に分かれ、第1楽章は藤掛廣幸氏の「セレナーデ2」にどこか似たゆったりとしたメロディ。第2楽章は後に「サンバートライ」に発展する古いブラスロック。第3楽章は様々なSEが乱れる「サウンドコラージュ」。第4楽章は後に一部がこのHPのBGMとなった「明日へのマーチ」。全部で10分近くの長い曲です。今回公開するのは最初の2楽章のみです。3楽章は当然MIDIに起こすのは不可能ですし、第4楽章は「明日へのマーチ」の項を参照してください。
サンバートライ 2000年2月作曲
この曲の由来についてはマンドリン用の作品解説をお読みください。
さて、この曲の元というか、ブラスロックアレンジのきっかけとなったのは「サウンドコラージュU」の第2楽章ですが、完成直後は「海のトリトン」やら「一休さん」やら色んな感想を浴びたもんです。私が管理する大学時代の研究室同窓生コミュニティのHPのBGMとして2000年10月まで使用されました。
↓この写真は廃車直前の「サンバートライ」です。後ろのタイヤがパンクしてるのに注目。
明日へのマーチ 1997年8月作曲 2000年5月改作
2001年4月まで当HP表紙のBGMに使われていた曲です。元は「サウンドコラージュU」の第4楽章の一部でしたが、BGMに使用するにあたり、少しいじりました。進行していくにつれて、楽器の種類も増えていきます。行進の列がどんどん大きくなり、元気な明日へ向かって行こう!という明るい曲。
サンバートライ2001 2000年10月作曲
「サンバートライ」に変わり、大学時代の同窓生のHPの表紙で流れていた曲です。サンバートライのアレンジバージョンです。これはマンドリン用にアレンジした後に作ったもので、前の情熱的な響きとは異なり、どこか飄々とした印象を受けます。単調なロックンロールのビートにのった無機質なオルガン、フルートとサックスのかけあいもどこか落ち着きを見せています。これはこれで気に入った出来。
説教ソング 2001年2月作曲
2000年4月、女子校の教師として社会に出ました。1年目ということもあり、生徒にナメられまくりでかなりストレスがたまってました。2001年2月、卒業生を送る「送別会」のイベントのひとつに「先生たちのラスト・ボーカル」というのがありました。先生が体育館のステージで歌うというもの。そのイベント用に作ったのが、この説教ソング。「ルーズソックスを脱げ〜 携帯電話しまえ〜 バイブにしててもバレバレ!」なんていう歌詞が妙にウケ、ちょっとしたブームになりました。
その後、2001年9月の文化祭で再度披露。2002年9月の文化祭では別バージョンを録音して3度目の披露。現在、生徒達の間で「伝説」となっているらしい。
霧の散歩道 2001年7月作曲
マンドリンオーケストラの演奏者としての「現場」を離れて約2年、私の作曲スタイルも変化をみせてきました。いわゆる「オーケストラ」の形式をとり、かつ曲時間が10分を超えるようなものは「交響詩−行乞俳人-」以来作っていません。正確に言うと「作れない」のです。「現場」から離れている故にオーケストレーションのカンが鈍っているんですね。
そこで独りでもコソコソできるマンドリンの曲はないものか?と思案していたところ、突然ひらめいたのが2001年7月のこと。マンドリンをメロディにドラムを打ち込み、それにエレキギター・エレキベースを加えてMTRで多重録音という、極めてインドアな音楽です。(2001年8月記)
その後、2005年1月に行われた「KSBふるさとCM大賞」に山陽女子高校放送部が出品した作品のBGMとして使用されました。
ギャルロック 2002年2月作曲
2002年の送別会「先生たちのラスト・ボーカル」用に作曲。「説教ソング」の続編として作ったが、今ひとつの盛り上がりだった。曲のラストは校歌をロックアレンジした挑戦的な内容となった。
純粋戦隊キツネンジャー 2004年8月作曲
2004年、高校1年生の担任をしました。この年の文化祭で生徒達が「純粋戦隊キツネンジャー」という題の劇を発表しました。劇の最初にスクリーンでタイトルバックを流し、それ用に作曲しました。この曲は元々は2001年頃に「M.Aのためのサンバートライ」の続編としてマンドリンオーケストラ用に作っていたものを改作したものです。この曲を聴いて、クラスの生徒が歌詞をつけてボーカル付きで録音しています。