バロック〜ロマン時代のオーケストラにおける、弦セクションについての概観と問題提起
2002年5月16日(木) 西川研究会
3年 渡辺 崇聖 Takamasa Watanabe
発表の順序
1.発表の目的
2.各時代のオーケストラ
2−1.バロック時代のオーケストラ
2−2.ロココ時代のオーケストラ
2−3.ロマン主義時代のオーケストラ
3.今日の演奏について
3−1.フル編成定着についての疑問
3−2.小編成オーケストラの意義について
4.反省点と今後の課題
5.参考文献
1.発表の目的
バロックからロマン主義時代にかけてのオーケストラにおける、主に弦楽セクションの人数配分について概観を試みる。
バロック初期より始まったオーケストラだが、その編成には様々な変遷があった。古典作品を演奏する上で、それらに対する認識は不可欠なものであるが、弦セクションの人数については明確な指示がないことが多い。そのため、とりわけフル編成の定着した後期ロマン主義時代から現代では、演奏者の判断によって、作品が要求している編成を大幅に上回る数の弦楽器が配され、本来とまったく異なった響きになっている可能性がある。「作曲者の意図に忠実に」を目的とする現代の傾向と、この現象は矛盾するのではないかという視点から、問題提起を行う。また、そこから現代の小編成・古楽器オーケストラの意義についても検討してみたい。
本発表では、弦セクションについて焦点を絞るので、管・打楽器・声楽ついては、主として扱わない。
♪略記についての注意事項
@1stVn=第1ヴァイオリン、2ndVn=第2ヴァイオリン、Va=ヴィオラ、Vcl=チェロ 、Cb=コントラバス(弦バス)、Cl=クラリネット
A混乱を避けるため、楽器名はすべて英語表記に従った。
例:×ファゴット→○バスーン、×コール・アングレ→○イングリッシュホルン)
B移調楽器の音名には独語音名を用いた。調性が明記されていないものはC管である。
C弦(5-4-3-2-1)と表記した場合、左から順に(1st
Vn 5 - 2nd Vn 4 - Va 3 - Vcl 2 - Cb 1)の意。また、楽器数が明記されていないのは、単独で用いられている楽器である。
2.各時代のオーケストラ
2−1.バロック時代のオーケストラ
オーケストラという語は、元々はギリシャ語の「踊る場所」という意味からきているとされる。古代ギリシャ演劇において、合唱隊(コロス)が歌い踊るところを指していたものだという。この語は17世紀末頃からフランスで再び用いられるようになり、楽器奏者と指揮者が座る場所、という意味から、次第に演奏者そのものを指す様になって、フランスを中心に一般的に用いられるようになった。
常設のオーケストラが配備されるのは、バロック時代に入ってオペラが上演されるようになってからであった。フランスのルイ13世が自分の宮廷に弦楽奏者を中心としたオーケストラ、「王の24のヴァイオリン」を設置した事から、ヨーロッパの宮廷はこぞってこれを真似し、宮廷オーケストラが数多く生み出された。オーケストラは、王侯貴族が自らの権威を示す手段としてうってつけなのであった。
宮廷楽団は宮廷の費用で維持された常設のオーケストラであったが、帝国都市や大学都市においては、宮廷にひけを取らない活発なオーケストラ活動が行われていた。18世紀末から19世紀初頭にかけて、常設の劇場が次々と各地に確立された。市民層における楽友(ムジーク)協会(フェライン)や教会は、アマチュア音楽家の活動の場であった。学生達はコレギウム・ムジクムと呼ばれる自分たちのオーケストラに所属しており、それは20〜25人程度の人数で構成されていた。
バロック時代の作曲家であり、管楽器奏者でもあったヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ
Johann Joachim Quantz(1697-1773)は、著書『フルート奏法試論』の中で、各楽器の比例関係について提言している。以下を参照されたい。
良い演奏を望む者は、以下のことに留意せよ。あらゆる楽器の、相応しい比率について吟味すべし。一方が多すぎ、他方が少なすぎることがないように。充分かつ最良に言い当てたと思われる、幾通りかの比率を、私は提案したい。チェンバロは、大小すべての音楽において備えられるものだと、私は心得ている。
Vn4につき、Va1、Vcl1、Cb1を揃えるのが一般的である。
Vn6につき、上記のものに加え、バスーン1。
Vn8につき、Va2、Vcl2、Cb2、フルート2、オーボエ2、バスーン2。
Vn10につき、上記のものにVcl1だけなら加えても良い。
Vn12につき、Va3、Vcl4、Cb2、フルート4、オーボエ4、バスーン3、オーケストラにおいては、更に鍵盤楽器1、テオルボ1.
狩の(ヴァルト)ホルンは、楽曲の状況、作曲者の意向によって、小さな曲でも大きな曲でも必要となる。
(以上、Versuch einer Anweisung die Flote traversiere zu spielen より要約)
バロック期のオーケストラは、後の完成された2管編成とは異なり、可変性の強いものであった。弦楽器を主体とする点では変わらないが、現実的な問題として、手近にあるオーケストラの編成に応じて曲が書かれたため、オーボエだけが4本加えられる、という場合も珍しくなかった。
2−3.ロココ時代のオーケストラ
初期のオーケストラでは、管はオブリガート的に用いられたり、オペラの一場面における雰囲気を盛り上げるため―――狩の場面でのホルンなど―――に取り入れられたりするだけだったが、次第にフルート、オーボエ、バス―ン、ホルン、トランペットなどが定席を占めるようになり、18世紀末にはクラリネットが普及しだした。また逆に、オーケストラの中では弱すぎる楽器、リコーダーやリュート属は淘汰されていった。
ベートーヴェンの交響曲によって、オーケストラにおける2管編成は完成された。弦5部にフルート、オーボエ、クラリネット、バスーン、ホルン、トランペット、ティンパニらが定席を占めるようになった。もっぱら教会や軍隊用の楽器であったトロンボーンも、ヘンデルのオラトリオや、ベートーヴェンの交響曲などで、少しずつではあるが普及し始め、19世紀後半には定席を獲得した。
2−4.ロマン主義時代のオーケストラ
こうしてロマン主義期のオーケストラには2管編成が定着し、それまで変動の大きかったオーケストラ編成にある種の規準が与えられた。もちろん、オーケストラの扱いはより多様化して行くわけだが、それにあたってもベートーヴェンの編成が基準として作曲家たちの頭にあったのである。それまでは2本であったホルンも次第に4本が一般的となり、ホルン4重奏によって四声体コラールを書くことも可能となった。その後、ベルリオーズ、ヴァーグナーらによってオーケストラ編成の拡大が進められるわけだが、それと平行して、ベートーヴェン以来の2管編成を守る作曲家も存在し続けていた。
この時代における「大編成」のオーケストレーションは、ただ単に楽器の数を増やしたものではなく、オーケストラをすみずみまで細分化した書法が見られる。ヴァーグナー《ラインの黄金》では、前奏曲においてホルン八重奏に8つの異なった声部を設け、「神々のヴァルハラへの入城」として知られる幕切れの場面では、6台のハープに6つのパートを与えている。これらの曲では、事実上オーケストラの縮小は許されるものではなく、やむなき場合には編曲が不可避となってしまう。
ロマン主義も後期にさしかかると、マーラー、R・シュトラウスらによる大編成の曲が生み出される一方で、極端な小編成による「オーケストラ曲」も書かれるようになり、近・現代へと移行して行くのである。
この時代には作曲家の手によるオーケストレーションの著書も生み出され、中でもベルリオーズ著『管弦楽法論』、リムスキー=コルサコフ著『管弦楽法原理』では、弦楽器の編成について言及している。以下を参照されたい。
まずはベルリオーズ Hector Berlioz(1803-1869)の著書から。
かつて、オペラのオーケストラにおける弦楽器の数は、常に適正な比率に保たれ、他の楽器についても同様であった。しかし、近年この事は、もはや当てはまらない。オペラ・コミックのオーケストラは、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、バスーン2、フ
レンチホルン2だけであり、トランペット2は稀で、小太鼓はまず用いられないので、(9-8-6-7-6)の弦とうまくバランスが取れる。しかしながら、今日では、トランペット2、ホルン4、トロンボーン3、大太鼓、小太鼓が加わるのに、いまだに同数の弦楽器が付されており、バランスは完全に崩壊している。ヴァイオリン群は、ほとんど聞き取れず、
全体の効果はいちじるしく不満足なものである。
グランド・オペラのためのオーケストラは、上記のほかにコルネット2、オフィクレイド、打楽器群、そして場合によってはハープ6〜8を備えており、(12-11-8-10-8)の弦では同様にアンバランスである。最低でも(15-14-10-12-8)を揃えるべきであるが、非常に柔らかい伴奏の際は、これら全てを用いる必要はない。
(以上、Treatise on instrumentation より要約)
続いて、リムスキー=コルサコフ
Николай Андреевич Римский-Корсаков
/ Nikolai Andreevich Rimsky-Korsakov(1844-1908)の著書から。
以下に挙げたのは、弦4部(1)の編成と、今日(こんにち)劇場やコンサート・ホールにおけるオーケストラで必要とされる奏者の人数である。
小編成 | 中編成 | フル編成 | |
第1ヴァイオリン | 8 | 12 | 16 |
第2ヴァイオリン | 6 | 10 | 14 |
ヴィオラ | 4 | 8 | 12 |
チェロ | 3 | 6 | 10 |
コントラバス | 2〜3 | 4〜6 | 8〜10 |
より大きな編成においては、第1ヴァイオリンは20〜24にさえなることがあり、その他の弦もこれに準じて増幅される。しかし、この様な大量の弦は、通常の管セクションを圧倒してしまい、管楽器の増強を余儀なくされる。ときおり、オーケストラが第1ヴァイオリンを8人以上揃えていない事があるが、これは間違っており、弦と管のバランスは完全に崩壊してしまう。オーケストラ曲を書く場合は、中編成の弦を想定するのが賢明である。より大きな編成のオーケストラで演奏された場合、作品はより良く聴こえるであろうし、より小さなオーケストラで演奏された場合、与えられた損害は最小限のものとなるであろう(2)。
各編成における、おおまかな楽器数については以下の通り(括弧内は持ち替えについて)
2管編成 | 3管編成 | 4管編成 |
フルート2 (第2→ピッコロ) |
フルート3 (第2→バス・フルート、 第3→ピッコロ) |
フルート3 (第3→バス・フルート)、 ピッコロ1 |
オーボエ2 (第2→イングリッシュホルン) |
オーボエ2、 イングリッシュホルン1 |
オーボエ3、 イングリッシュホルン1 |
クラリネット2 | Cl.3(第2→小Cl.、 第3→バスCl.) |
Cl.3(第2→小Cl.
)、 バス・クラリネット1 |
バスーン2 | バスーン2、 コントラバスーン1 |
バスーン3、 コントラバスーン1 |
トランペット2 | トランペット3 (第3→アルト・トランペット、 またはコルネット2、トランペット2) |
トランペット3 (第2→小トランペット、 第3→アルト・トランペット またはバストランペット) |
ホルン4 | ホルン4 | ホルン6〜8 |
トロンボーン3 | トロンボーン3 | トロンボーン3 |
テューバ1 | テューバ1 | テューバ1 |
上記の楽器とは別に、リヒャルト・ヴァーグナーは《指輪》において特に、テノールとバスのテューバ、そしてコントラバス・トロンボーンによる四重奏を用いている。時にこれらの追加は、しばしば他の楽器群にとって重荷となり過ぎたり、他の金管を無効にしてしまったりする。恐らく、この理由から作曲家達はこういった楽器を採用することを控えるようになったのであり、ヴァーグナー自身も《パルジファル》の総譜ではそれらを取り入れていない。今日の作曲家の幾人か(リヒャルト・シュトラウス、スクリャービン)は、5本ものトランペットに作曲している。
(以上、 Principles of orchestrationより要約)
弦の人数について細かく明記するようになったのは、ベルリオーズやワーグナー辺りから。弦の人数は明記されることのほうが少ないので、大半の作品においては、弦の編成をどの規模にするかは、演奏者の判断に委ねられるのである。
3.今日の演奏について
3−1.フル編成定着についての疑問
現代オーケストラ演奏では、フル編成が定着している。オーケストラ側も、弦セクションはフル編成のための人員を常備している。
♪現在オーケストラが公表している楽員数内訳の例
註:木管は左から(フルート−オーボエ−クラリネット−バスーン)
金管は同様に(トランペット−ホルン−トロンボーン)
VPO | BPO | LSO | N響 | |
弦 | (24-20-16-14-13) | (19-19-14-13-11) | (16-17-12-11-10) | (18-14-14-12-10) |
木管 | (6-6-5-6) | (3-3-4-2) | (3-3-4-4) | (5-3-4-5) |
金管 | (5-11-6) | (5-7-4) | (4-4-2) | (5-7-5) |
上記の表にはコンサートマスターは含まれていない。ピッコロ、イングリッシュホルン、バスクラリネット、コントラバスーンなどは、同属楽器との兼任が多いようだが、専属の楽員を抱えているオーケストラもあった。テューバは各オーケストラとも1名のみ。その他、ハープ、打楽器奏者については省略。
(以上の情報は、各オーケストラの公式ホームページより)
3管編成以上の作品を演奏する場合、フル編成は理に適っている。しかし、ロマン派の2管編成の作品、およびモーツァルト、ハイドンらの時代の作品にフル編成が採用されることについてはどうだろうか。定説があるわけではないが、2管編成に際しては、弦は中編成以下にするのが妥当なのではないか。2管編成の時と3管編成の時とで弦の編成規模が変わらないというのは不自然なように思われる。
大編成の響きと小編成の響きは明らかに異なる。大編成曲は、単に音量や音の厚みが増すだけのものでないということは、既に記した。ヴァーグナーの音楽が、小編成を意図して書かれたものではないのと同様に、バッハのカンタータがフル編成を想定して書かれたということは、考えにくいはずだ。そのことがベートーヴェンやブラームスらにも当てはまるかどうかに、議論の余地があるのではないだろうか。
♪各時代に用いられていたオーケストラの編成
・ケーテン、宮廷楽団(J.
S.バッハ) Vn(2×2)、Va、Vcl、ヴィオラ・ダ・ガンバ、フルート2、オーボエ、バスーン |
・1730年、ライプツィヒ、ザンクト・トーマス教会(J.
S. バッハ) Vn(2〜3×2)、Va(2×2)、Vcl2、ヴィオローネ、オーボエ2〜3、バスーン1〜2、トランペット3、ティンパニ、鍵盤楽器2(臨時にフルート2) |
・1782年、ヴィーン、宮廷楽団(W.
A. モーツァルト、サリエーリ) 弦(6-6-4-3-3)、フルート2、オーボエ2、バスーン2、ホルン2、鍵盤楽器2 |
・1783年、エステルハーツィ、宮廷楽団(J.
ハイドン) 弦(6-4-2-2-2)、オーボエ2、バスーン2、ホルン2、ティンパニ1 |
・1813年、ヴィーン大学講堂(ベートーヴェン《第7》、《ウェリントンの勝利》初演時) 弦(4-4-2-2-2)、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、バスーン2、ホルン2、 トランペット2、トロンボーン2、ティンパニ1 |
・1824年、ヴィーン、ケルントナートーア劇場(ベートーヴェン、《第9》初演時) (12-12-10-6-6)・・・以下弦編成以外は省略 |
・1876年、バイロイト、バイロイト祝祭歌劇場(ヴァーグナー、《指輪》全曲初演時) (16-16-12-12-8) |
・1876年、カールスーエ、宮廷劇場(ブラームス、交響曲第1番ハ短調 初演時) (10-8-4-4-4) |
ヴァーグナーの《指輪》では(16-16-12-12-8)と弦楽器数が明記されているが、同じヴァーグナーの作品であってもすべてこの編成にしてしまうのには問題があるのではないか。《指輪》は4管編成だが、その他の彼の作品は多くが3管編成で、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の編成は、2管編成的である。
また、シューマン、ブラームス、フランク、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、シベリウスらの代表的な交響曲は、ほとんどがホルン4本の2管編成である。ブルックナーも、3管編成なのは第8・第9のみ(第7ではヴァーグナー・テューバ4本が加わる)。つまり、同じブルックナーの交響曲でも、中期までの作品と、後期の作品とでは、弦の厚みを変えねばならないのではないか。
ロマン時代においては、オーケストラの拡張が急務であったためか、作曲家の著作などをみても、「人数が少なすぎる」という告発に対し、「多すぎる」という批判はあまりみられない。本発表の範疇外の人物となるが、ストラヴィンスキー
Igor Stravinsky (1882-1971)がこの問題について興味深い発言をしている。
すでに述べたように、《アポロ》は弦楽オーケストラのための作品である。私は普通の管弦楽で用いられている四重奏、正確にいえば五弦部(第一、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)の代りに六つの弦楽グループを要求した。つまり六番目のグループとして第二チェロを加えたのである。こうして私は各グループが厳密に規定された独自の役割をになう六重奏を形成することになった。この場合当然問題になったのは楽器の数について各グループの間のつりあいに細心の注意を払うことであった。
このつりあいがいかに音楽の線の明快さと音の立体的効果にとって大切であるかがはっきり示されたのは、ベルリンでクレンペラーの指揮のもとに行われた《アポロ》の練習の時である。この時私は最初の数節を聞いただけで、音の混乱と過度の音量のために頭がぼんやりしてしまった。アンサンブルとして透明な音が流れ出るのではなく、各グループがいっせいに強い音を出しあい、音はばらばらなまま混ざりあって、全体はなんとも名づけられないただ耳を聾するばかりの騒音としか聴こえなかった。しかも指揮者はスコアを完全にマスターし、指定された拍子や転調のすべてに厳密な注意を払った結果がそうであった。誤算は楽器相互のつりあいを考慮しなかったことにあった。私はすぐこのことをクレンペラーに知らせ、彼は私の提案に従って楽器編成を修正した。はじめ彼のアンサンブルは、第一ヴァイオリン16、第二ヴァイオリン14、ヴィオラ10、第一、第二チェロおのおの8、コントラバス6、からなっていた。新しい編成は、第一、第二ヴァイオリンおのおの8、ヴィオラ6、第一、第二チェロおのおの4、コントラバス4、とされた。結果はたちまち所期の効果をもたらした。すべてが明快で透明な音になったのである。
われわれ作曲家は、なんとしばしばこうした一見ささいにみえるものの犠牲となっていることか。聴衆に与える印象、つまりはその作品の成功、不成功がなんとしばしばこうした細かい条件で決定されていることか。一般聴衆はもちろんこんな事情を知りはしない。彼らはたまたま提供されたとおりの形で作品を評価する。(『ストラヴィンスキー自伝』より)
つまり、(8-8-6-4-4-4)の編成を、(16-14-10-8-8-6)としてしまったことで、問題が生じたのであった。この話は、あくまでストラヴィンスキーについての事例ではあるが、「作品の要求する響き」の問題についての、作曲家自身による貴重な証言である。
3−2.小編成オーケストラの意義について
「歴史的コンサート」は1643年ニュルンベルク辺りからすでに始まっていたらしいが、20世紀初頭には、アーノルド・ドメルッチ(1879-1959)、ワンダ・ランドフスカ、パウル・ザッハーによるバーゼル室内オーケストラ、などがこの分野で活躍した。これらの活動の延長として、近年では、室内オーケストラや、オリジナル楽器によるいわゆる古楽器オーケストラが数多く組織されている。これらの団体は、小編成作品を演奏することを目的としているため、ベルリオーズ、ヴァーグナーら大編成作品の演奏を放棄している。特にオリジナル楽器団体は、古楽のスペシャリストとしての様相を呈しており、とりわけバッハ以前の音楽ではその傾向が著しい。今やバッハの宗教音楽をフル編成で演奏する、というのはむしろ少数派になってきており、その流れはベートーヴェン以後にまで波及しつつある。彼らの姿勢には必ずしも「保守的」とは言い難いところがあるが、そのオーケストラ編成についての見識には注目すべきところがあるように思える。
古楽器オーケストラはともかく、室内オーケストラは大編成曲を放棄しただけであって、ロマン派以後の作品すべてを放棄したわけではない。現に、R・シュトラウス(《メタモルフォーゼン》)やバルトーク(《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》)らは、先のザッハー指揮バーゼル室内オーケストラに作品を献呈し、彼らによって作品は初演されている。
古楽器団体は、綿密な学問的研究を素地に活動を行っており、音楽学者を兼ねるリーダーが多い。作品の成立当時使用されていた楽器を忠実に再現した楽器、すなわちオリジナル楽器を、当時の演奏様式に基づいた形で再現する。それによって、ロマン時代以降歪められてきた作品本来の姿を取り戻そうとすることが、彼らの最大の目的である。
現代では、大時代的な「粉飾」がだいぶ洗い流されたようではあるが、中期ロマン派における2管編成作品を演奏するにあたっての弦セクションの人数配分に、いまだ19世紀後半の名残を残している様子がある。ブラームスの演奏にあたって、小編成、中編成を用いる傾向も現れ始めている。しかし、決してそれは奇をてらった思い付きではなく、作品本来の姿を垣間見ようとする試みなのではないだろうか。
4.まとめ、反省点と今後の課題
主に2管編成の作品が、作品成立当時の慣習よりも大きな弦編成の規模によって演奏されるという、ロマン主義時代の名残が、現代に至っても未だ払拭し切れていない可能性について指摘した。
扱う対象が非常に広範に及んだため、資料収集やテーマの掘り下げを十全に行うことが出来なかった。今後同様の主題を扱うにあたっては、特定の時代や作品ジャンルに限定して調査を行うことが肝要と痛感した次第である。主題設定が野心的に過ぎたため、無残な結果を招くこととなった。
本発表者自身は、今後、作曲家・作品研究に移行する構想を練っている。よって、通史としてのこれ以上の掘り下げは行わないが、作品研究に際しては、演奏時の編成規模、初演時の状況などについて、詳細にリサーチを行う意向である。以上。
5.参考文献
・ワーグナー,リヒャルト『指揮について』高木卓訳、音楽之友社、1959年、初版1869年。
・岡部博司編『新音楽辞典 楽語』音楽之友社、1977年。
・『バッハ叢書 X ケーテンのバッハ』角倉一郎、小岸昭訳、白水社、1978年。
・ストラヴィンスキー,イーゴル『ストラヴィンスキー自伝』塚谷晃弘訳、全音楽譜出版社、1981年。
・『バッハ叢書 10 バッハ資料集』角倉一郎、酒田健一訳、白水社、1983年。
・平野昭『ベートーヴェン ―カラー版作曲家の生涯―』新潮文庫、1985年。
・三宅幸夫『ブラームス ―カラー版作曲家の生涯―』新潮文庫、1986年
・ミヒェルス,ウルリヒ編『カラー 図解音楽事典』角倉一郎
日本語監修、白水社、1989年。
・マーリンク,クリストフ=ヘルムート『オーケストラの社会史』大崎滋夫訳、音楽之友社、1990年。
・ルヴィエ,アラン『オーケストラ』山本省、小松敬明訳、白水社、1990年。
・淺香淳編『新訂 標準音楽事典』、音楽之友社、1991年、1966年初版。
・『ニューグローヴ世界音楽大事典』講談社、1994年。
・ザルメン,ヴァルター『コンサートの文化史』上尾信也、網野公一訳、柏書房、1994年。
・井上和男編『クラシック音楽作品名事典<改訂版>』三省堂、1996年、初版1981年。
・鈴木織衛『オーケストラを読む本 もっと知りたいオーケストラの話』トーオン、2000年。
・鈴木秀美『『古楽器』よ、さらば!』音楽之友社、2000年
・ソロモン,メイナード『ベートーヴェンの日記』青木やよひ、久松重光訳、岩波書店、2001年。
・Mattheson, Johann. Das Neu=Eroffnete Orchestre. Hamburg:1713.
・Burney, Charles. The present state of music in France and
Italy. London:1773.
・Quantz, Johann Joahim. Versuch einer Anweisung die Flote
traversiere zu spielen. Breslau:Barenreiter, 1789.
・Berlioz, Hector a. Strauss, Richard. Treatise on
instrumentation. tr.by Theodor Front. Belwin Mills, Paris:1843,
Berlin:1904, NY:1948.
・Nikolay Andreevich Rimsky-Korsakov. Principles of
orchestration. ed.by Maximilian Steinberg. tr.by Edward Agate. NY:1964(original
issued in 1922)
・Koury, Daniel J. Orchestral performance practices in the
Nineteenth Century Size, Propotions, and Seating. Michigan:UMI
Research Press, 1981
・The New Grove Dictionary of Music and Musicians. ed. by
Stanley Sadie. Grove, 2001.
・http://www.wienerphilharmoniker.at/
・http://www.berlin-philharmonic.com/index1.htm
・http://www.lso.co.uk/
・http://www.nhkso.or.jp/index.html
(1)
現在では「弦5部」と呼ぶのが一般的だが、R=コルサコフは「弦4部」と言っている。
(2) "played by a smaller one, the harm done will be
minimized."の訳。前後の内容から、この表現について示唆するものは無く、意味不明。演奏者のミス、という程度の意か。