ショパンの4つのバラードとその先行研究について
2002年10月10日 西川研究会
3年 真島 愛美
1.発表の目的
ショパンの4つのバラードについては、これまでにさまざまなことが論じられている。今回の発表では、バラードにまつわる話とバラードについての先行研究にどんなものがあるか、そして、これからどんな研究が可能かを考察したい。
2. 4つのバラードについて
2−1 バラード第1番 ト短調 Op.23
作曲:1831年6月(ウィーンでスケッチ)〜35年(パリ)
出版:1836年
献呈:シュトックハウゼン男爵
構成:一種のソナタ形式
(小節) (調)
導入 1〜 7
呈示部 主題@ 8〜 44 ト短調
移行部 44〜 67
主題A 67〜 93 変ホ長調
展開部 主題@´ 94〜105 イ短調
主題A´ 106〜125 イ長調
移行部 126〜137
主題B 138〜165 変ホ長調
再現部 主題A 166〜193 変ホ長調
主題@ 194〜207 ト短調
コーダ 208〜264 ト短調
◆シューマンの手紙から
「そこには彼の作品のどんなものよりも彼の天才性が現れているように思われます。」
「ショパンの最も粗野で、最も独創性に富んだ作品だ。」
「彼の全楽曲中で一番好きだ。」(ハインリヒ・ドルンに宛てた手紙、1836.9.14)
◆ミツキェヴィチの詩「コンラード・ヴァーレンロッド」にプログラムを得て作曲されたといわれてきたが、その中に<標題音楽>のように事物が写実的に描写されているところは全くない。
◆Jim Samson Chopin: The Four Ballades から
・138−9小節目の表現法が≪ワルツ 変イ長調 Op.34/1≫の33−36小節目と類似している。
・序奏に見られる19世紀初期のオペラとの結びつき。
2−2 バラード第2番 ヘ長調 Op.38
作曲:1836年初稿(?)〜1839年1月(マジョルカ島)決定稿
出版:1840年
献呈:ロベルト・シューマン
構成: (小節) (調)
主題@ 1〜 46 ヘ長調
主題A 47〜 82 イ短調
主題@´ 83〜140 ヘ長調
主題A´ 141〜168 イ短調
コーダ 169〜204 イ短調
◆シューマンの手紙から
「前曲より芸術的でないが、同様に幻想的であり、理知的でもある。」
「その熱狂的なエピソードはあとから挿入されたものらしい。ショパンがこのバラードをここで演奏してくれたとき、曲がヘ長調で終わっていたのを思い出す。ところが今度はイ短調に変わっている。彼はそのとき、このバラードを書くためにミツキェヴィチのある詩(=「魔の湖」)から感銘を受けたと言っていた。しかし他面彼の音楽は詩人をしてそれに歌詞をつけさすような感銘を与えるだろう。」
◆ Jim Samson Chopin: The Four Ballades から
・第1主題が≪ノクターン ト短調 Op.37/2≫(1839年に作曲)と類似している。
・第2主題が≪エチュード イ短調 Op.25/11≫(「木枯らし」、1834年に作曲)と類似している。(“抑えられない力の爆発”の部分。)
・ショパンは1832年に、マイヤーベーア作曲<悪魔ロベール>の主題によるチェロとピアノのための≪大二重奏曲 ホ長調≫を作曲したが、当時とても人気のあったそのオペラの、騎士ロベールによって潔白のノルマン人の王女がおびやかされているという描写がミツキェヴィチの「魔の湖」のテーマと著しく似ている。
2−3 バラード第3番 変イ長調 Op.47
作曲:1840年〜41年秋。
出版:1841年(フランス版)、1842年(ドイツ・イギリス版)
献呈:ポーリーヌ・ドゥ・ノアイユ
構成: (小節) (調)
主題@ 1〜52 変イ長調
主題A 53〜115 ヘ短調
主題B 116〜144 変イ長調
主題A´ 144〜183 嬰ハ短調
主題A+@ 183〜212 転調
主題@´ 213〜241 変イ長調
◆シューマンの手紙から
「このバラードは、その形式、特徴において、あきらかに彼の初期の作品と相違して、最も独創性に富んだ創作に属しているといわねばならない。フランスの首都の貴族的環境に順応した、洗練された知的なポーランド人が、そのなかに明らかに発見されるであろう。」
◆ミツキェヴィチの詩「水の精」から着想されているとも言われるが、先の2曲と同様、標題音楽として捉えるべきものではない。
◆第1・2番のバラードのいくつかの点を負っているが、終結部は特徴的である。
2−4 バラード第4番 ヘ短調 Op.52
作曲:1842年
出版:1843年
献呈:ドゥ・ロスチャイルド男爵夫人
構成:ソナタ形式、変奏曲形式、ロンド形式の要素を組み合わせたような特殊なもの。
(小節) (調)
導入 1〜 7
主題@ 7〜 22 ヘ短調
変奏@ 23〜 36
主題@に基づく挿入句 37〜 57
変奏A 58〜 71
移行部 72〜 80
主題A 80〜 99 変ロ長調
挿入句/展開部(主題@) 99〜128 変イ長調
導入 129〜134
主題@ 変奏B 135〜151 ヘ短調
変奏C 152〜168
主題A 169〜210 変ニ長調
終結部(主題B) 211〜239 ヘ短調
◆この曲が作曲された1842年は、ワルシャワ時代の恩師ジヴヌィや親友のマトゥシニスキが死去するなど、ショパンにとって精神的打撃の多い年だった。
◆1842年はショパンの創作時期の第3期が始まった年である。このころからショパンの作曲のペースは劇的に衰えている。自己批判的になり、ジョルジュ・サンドによれば同じパッセージを何度も何度も弾いていたという。作品の根本的な再考の時期と言える。
◆非常に形式が豊かであることと、力強く目標へ導く勢いが特徴的である。
3.バラードについて
3−1 中世のバラードとロマン派のバラード
バラードは本質的には大きな意義深い事件や、珍しい出来事、力強く崇高な情緒を凝縮した形で描いた短い詩であるといえる。
中世・・・婦人に対する完璧で永遠の愛、恐れを知らぬ風刺、騎士道の偉大な行為、人生のはかなさの悲劇と憧れ、死の恐怖、宗教的感情の気高さを意味していた。
ロマン主義時代・・・武勇談やお伽話の情感や要素を吹き込み、人間存在に対する驚きの感覚からその精神を引き出し、作品全体に激しい語りの形式を与えている。
3−2 ショパンのバラード全体について
◆ 1〜4番を作曲した1836〜42年の間はショパンのもっとも安定した多作の時期。
◆バラードは1曲1曲が異なった表現的特質を示しているという点で、彼の作品全体の中で特別な地位を占めている。
◆ショパンのバラードに見られる唯一の本質的特徴は、4曲全部にゆきわたっている6/4または6/8に由来する舞踏風の様式である。しかし、ショパンがこの舞踏の要素を意図的に組み込んだのか、それともバラードの起源が舞踏にあると感じて直感的にそれを用いたのかは不明。
◆ショパンの作品の中で、原形どおりの正確な再現が最も少ないもの。
◆文学上の何らかのジャンルとの関連を発見できるかどうかとは関わりなく、作品を“バラード”と名づけていること自体がロマン主義期に最も特徴的であったジャンルとの結びつきを示している。バラードのおかげでショパンは何よりもまず古典的形式の堅苦しさを克服し、そのつど目指す表現上の必要に応じて、作品を作り上げることができた。そのため主題構成とその展開の方法がより一層柔軟なものとなった。
◆彼のバラードは後代のオーケストラによる交響詩を先取りする独特なピアノ詩である。
◆Jim Samson Chopin: The Four Ballades から
詩のバラードは物語の特別な種類のものであり、ストーリーをあらわす劇の会話またはモノローグの役目を果たす。つまり、それらは劇と物語の間のどこかに位置しているのである。同じように、ショパンのバラードも、音楽と物語の間のどこかに位置しているのではないだろうか。
4.ミツキェヴィチと彼の詩について
アダム・ミツキェヴィチ Adam Mickiewicz(1798〜1855)
ポーランドのロマン派最高の詩人。ノヴォグウーデク(現ベラルーシ)に生まれ、リトアニアのヴィルノ大学で哲学を学んだ。1832年からパリに移り住み、1830年のワルシャワ蜂起以来ここへ集まっていた亡命ポーランド人社会にあって、これらの人々との交流をしながら多くの作品を書いた。
このころのロマン主義の歌曲や声楽の詞、台本はミツキェヴチの作品から取られているものが多い。民族主義的内容を取り入れた芸術の分野の頂点として、彼の『パン・タデウシュ』という作品が挙げられる。モニュシュコ、スタニスワフ Moniuszko,Stanislaw(1819〜1872)に有節形式を放棄させたのも、主としてバラードの歌詞、とりわけミツキェヴィチのそれであった。
5. 先行研究
@ Jim Samson Chopin: The Four Ballades
歴史的また分析的な観点から4つのバラードを調査している。1820年代のワルシャワ時代からパリ時代までの背景を扱っている。それぞれの作品の起源、評価、形式について論じている。さらに、バラードをひとつのジャンルとみなしている。
A Karol Berger Chopin’s Ballade, Op.23, and the Revolution of the Intellectuals (Chopin Studies 2, ed. John Rink and Jim Samson)
バラードOp.23の形式的な論理について説明している。その音楽形態を19世紀のパリにおけるポーランドからの亡命者集団としての歴史的な自覚と比較している。19世紀の革命の理論的な歴史を再検討し、その突出したイデオロギーと関連した活動のコンテクストの中にショパンを位置付けている。バラードを音楽の物語とみなすことに考えが集中している。
BSerge Gut Interferences entre le langage et la structure dans la Ballade en sol mineur, opus 23, de Chopin (Chopin Studies 5, 1995)
バラードというタイトルの根拠を再検討し、それ以外にバラード第1番ト短調を分析している。その作品の内容、様式、そして調性プランについて調査している。バラードの構成図が示してある。
C Jim Samson The Second Ballade ― Historical and Analytical Perspective
(Chopin Studies 5)
その作品の様式をその構造からひき離す、2つの調の配列が果たす役割に集中している。その作品にあてはめられるかもしれない、さまざまな理論を再検討している。古典派のあとのポピュラーなコンサート音楽やその他の初期ロマン派の音楽において歴史的コンテクストを発見している。
D Eero Tarasti A Narrative Grammar of Chopin’s G minor Ballade(Chopin Studies 5)
物語や、記号論の方法論にあてはめることによって、その作品を分析している。Algirdes Julien Greimas の記号論をバラード第1番ト短調に適用している。図に音楽的な例を与えている。
E James Parakilas Ballads Without Words: Chopin and the Tradition of the Instrumental Ballade (Porland, Or.: Amadeus Press, 1992)
物語のモデルとしてのバラード、とくにその歴史的背景、国家との関連としてのバラードの起源を探究している。ミツキェヴィチのそれを含む、ショパンが知ることのできた文学のバラードの重要な特徴について論じている。ショパンのバラードの形式についての章では、音楽の構造について調査し、どれくらい物語の構造と一致するか考察している。音楽的な例を通して、全体のリズム、旋律の特性、テーマの変化、構造そしてソナタの要素について論じている。この本の多くは、他の作曲家のバラードについて論じてある。参考文献一覧、インデックス、作品の年表、ディスコグラフィーを含む。
F Franciszek German Chopin and Mickiewicz (Rocznik Chopinowski 1, 1956)
ショパンとミツキェヴチの似通ったキャリア、その2人の芸術家間の接触についてもまた考察している。ショパンはミツキェヴィチの作品に慣れ親しんでいて、彼らは同じ文化サークルの中で、打ち解けて交際した。彼らの関係の年表を示したあとで、その論文はミツキェヴィチの詩と音楽の関係を扱っている。
G 安部 綾子 「ショパンのバラードにおける民族精神の研究」 (島根大学修士論文、1997)
ショパンのバラードとミツキェヴィチの詩との関わりについては、その是非をめぐって様々な議論がなされてきたが、詩のあらすじだけを基にした議論では、作品の根底にある意図も、その関わりも知ることはできない。ミツキェヴィチの詩はポーランドのナショナリズムに働きかける作品であり、そこにうたいあげられた民族的精神がショパンのバラードにも流れているのだと考える。
H 塚本 雅子 「音楽的ジャンルとしてのバラード研究」
(横浜国立大学修士論文、1998)
同じバラーデ(詩)を用いている3人の作曲家の歌曲の比較とその題材を用いたピアノ曲、更には独自にピアノ曲で「バラード」を成立させたショパンの作品を多方面から分析することでそれぞれの作曲家の「バラード」に対する意図を明らかにすることを試みた。その結果、歌曲においては言葉に対する解釈との密接な関係により詩の性格が第一となる。ピアノ曲においては題材を明確にしているものはその内容に関連が見られるものの、そうでないものは、「バラーデの在り方」に意図をもった作品であることが明らかになった。
6. まとめと反省・今後の課題など
ショパンの作曲に対する姿勢は、彼が「メトード・ド・メトード」という未完のピアノ入門書の1ページに書き記した言葉によって集約されると思う。ミツキェヴィチの詩との関連は、あるにせよ具体的なものではなく、ショパンにインスピレーションを与えるようなものだったのではないだろうか。ショパンのバラードが音楽と物語の間にあるというのは、的確な表現だと思う。
ミツキェヴィチの詩と音楽との関連、ポーランドからの亡命者としての民族精神との関連、そして楽曲分析がおもな先行研究の内容だと考えられる。もしこの先やるとしたら、民族精神とショパンの作品との関連だと思う。詩と音楽の関係は曖昧すぎるし、楽曲分析はとても無理だからだ。その際、バラードだけについて調べても、その他の作品(ポロネーズ、マズルカ、スケルツォなど)も一緒に調べても面白いと思った。また、バラード第2番とエチュードOp.25/11の類似や、バラードそのものの歴史なども気になった。
何を対象にするにせよ、テーマを早めに決めて、今回のように焦ったりすることのないようにしたいと思います。
◇ 参考文献 ◇
・『ニューグローヴ世界音楽大事典』 講談社 1994
・Sadie, Stanley, ed., The New Grove dictionary of music and musicians 2nd ed., 2000
・William Smialek, guide to research Frederic Chopin,Garland Publishing;New York, 2000
・Jim Samson, Chopin: The Four Ballades, Cambridge University Press, 1992
・『作曲家別名曲解説ライブラリーCショパン』 音楽之友社 1993
・アーサー・ヘドレイ編、小松雄一郎訳 『ショパンの手紙』 白水社 1965
・ステファン・シレジンスキ、ルドヴィク・エルハルト編、阿部緋沙子、小原雅俊、鈴木静哉訳 『ポーランド音楽の歴史』 音楽之友社 1998
・ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著、米谷治郎、中島弘二訳 『弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学』 音楽之友社 1983
・『音楽文献目録(26)、(27)』 音楽文献目録委員会編、発行 1998,1999
・佐藤允彦 『ショパンとピアノと作品と』 東京音楽社 1991
・ジム・サムソン編、三宅幸夫監訳 『世紀末とナショナリズム』 音楽之友社 1996
・フィリップ・ファドクリフ著、小沼ますみ訳 『クラシック音楽史大系5・ロマン派の音楽』 パンコンサーツ 1985
・東貴良監修・執筆 『ショパン パリコレクション』 (株)ショパン 2002
・ヤン・エキエル校訂等 『バラード集』 音楽之友社 1986