現代音楽において調性とは何かを考えるために、シェーンベルクが調性に対してどのような考えを持っていたのかを確かめる。 今回はシェーンベルクについての資料から調性に関係すると思われるものをあげてそのことについて考える。
協和音と不協和音を区別するポイントは、美の程度の度合いではなく、実は理解し易さの度合いによるのである。 これに従えば、協和音と不協和音、といった鋭く対立した用語は正しくない、ということになる。 われわれの耳がより遠隔な協和音―いわゆる不協和音のことである―に、以前より、より馴染んだことによって理解の妨げは徐々に取り除かれ、最も遠い不協和音までをも受け入れるようになったのである。
不協和音の解放という術語は不協和音のわかり易さ、ということを意味しており、それはとりもなおさず協和音のわかり易さとイコールであると考えられる。 このことを前提とした音楽様式にあっては、不協和音をあたかも協和音の如く取扱い、調的中心を否定する。 調の確立を回避することは転調性を否むことである。 転調とは規定の調性を捨て別の調性を確立するということだからである。
従来においては和声は美の根源のためにつくしていただけでなく、一層重要なことは音楽の表現形式を特色づける一つの手段としても役立っていた。 新しいスタイルの音楽においては、当時まだ和音の構成価値が十分に探求されておらず、このような和音によって従前の音楽における和音が果たしてきたような機能をつかさどるようなことは非常に困難なことであった。
シェーンベルクは著書『和声学』のなかで、1900年頃の近代和声の状況を説明するために「浮動する」調性とか「宙づりの」調性という表現を用いた。 それは2つ以上の調の間での揺れ動きを意味するが、それは転調という意味ではなく調の多義性、つまり同時に複数の中心音と関係づけられる状態を指している。 (C.ダールハウス *1)
*1. | CARL DAHLHAUS (1928−1989) ドイツの音楽学者。音楽美学を歴史との関連のなかでとらえた。 |
シェーンベルクの初期の作品における和声法は半音階法を大きく導入し、従来の意味での機能和声への依存からは脱しながらも、究極的には調性和声のわくからは逸脱しない、というのがその特徴になっている。 (上田昭 *2)
*2. | 上田昭 (1932−) シェーンベルク『音楽の様式と思想』訳者。 |
半音階が完全に是認されるのは調性音楽においてのみである、なぜなら調性音楽は半音階によって周辺を画されるような音響空間の中で展開するからである。 と、他方において、われわれが認めなければならないことは、半音階ははじめから破壊的な要素であり、その成長によって体系をころすであろうような萌芽である、ということである。 忘れないでほしいことは、調性音楽が調性的であるにとどまろうとするならば、調性という統一原理に従わねばならない、ということである。 しかし調性は長あるいは短旋法のある一定の移置という基礎の上に、すなわち7音音階という基礎のうえにつくられている。 しかしながら半音階の極度に進んだ使用は、そうした音階の輪郭を消してしまい、それをすべてのほかの移置形と同化し、その結果すべての旋法的要素のみならず、調性のすべての固定点が除かれてしまう。 実際に、われわれをふたたび一つの音楽体系の破壊に直面させるのは半音階なのである。
ワーグナーは協和―不協和という2元的関係を「超越」することに成功しなかった。 それはワーグナーがそれ自身のための和声という概念を欠いていたからであり、この概念のみが、ポリフォニーの起源以来の発展の過程を通じて(それはついにはその完全な消滅をもたらすだろう発展である)、「協和の弛緩」と「不協和の弛緩」とを対置することを決してやめなかったあの古来の闘争を解決することができる概念なのである。 しかし、1904頃からのちには、シェーンベルクはどんな垂直的集合音でも、用いることにはなんらの懸念ももはや持っていなかった。 これは彼が不協和音の解放と呼んだもので、それは調性体系の停止に役立つはずのものであった。 (省略…) 勿論、われわれがいま問題にしている諸和音は、単にそれ自身のための和声という概念によってのみではなく、半音階のすべての可能性の増大によってもまた可能なのである。 実際、これらすべての和音の首尾一貫した説明を与えるのは半音階のみなのである。 (省略…)われわれはシェーンベルクが1904年以後に自由に用いている4度和声その他の和音型を考える時、一つの逆説に直面していることがわかる。 つまり、これらの和音は調性体系を破壊する傾向をもっているが、しかし作曲家はそれらを調性の法則に従うように強制しているということである。 しかし、この状態は長くは続かなかった、なぜならシェーンベルクは1908年以後においては、彼が半音階を徹底的に取り扱ったことによって解放された力のゆえに、調性体系が停止されるべきことをさとったからである。 (R.レイボヴィッツ *3)
*3. | RENE LEIBOWITZ (1913−1972) フランスの音楽学者、教師、作曲家、指揮者。 1930から1933にかけてベルリンとウィーンでシェーンベルクとヴェーベルンに学ぶ。 |
シェーンベルクは調性による作曲を否定したのであって、調性を崩壊させることが目的ではなかった。 ただしこれが彼の唯一の考え方ではない。