モノドラマ ≪期待≫ をめぐる諸問題

―『ヒステリー研究』が提示する解釈―

2000/6/8 3年 手嶋 菜穂子

● 序

 今世紀初頭のドイツで起こった芸術運動、「表現主義」。 もともとは造形芸術のものであるこの用語を、新ウィーン楽派(シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン)の、無調時代の作品に対して用いることは、現在では一般的な事となっている。 「音楽における表現主義」に言及する際に、しばしば筆頭に挙げられる作品が、シェーンベルク作曲のモノドラマ≪期待≫である。 今回は、この作品の成立に関しての背景を紹介し、同時代の新しい学問であった精神分析との関連を考察する。
 もととなった論文は Falck, Robert "Marie Pappenheim, Schoenberg, and the Studien uber Hysterie" in German literature and music: Anaesthetic fusion: 1890- Munchen: Fink, 1992 であり、ここでの論考のほとんどが、Falck の研究に依拠している。

● 作品について

Op.17 モノドラマ≪Erwartung 期待≫ 1幕 台本:マリー・パッペンハイム
※ モノドラマMonodram[独]
登場人物が一人のメロドラマ(すなわち、台詞と音楽伴奏から成る作品)のこと。
(『ニューグローブ世界音楽大事典』,講談社,1994年,
項目[モノドラマ])
1909年8月27日から9月12日に作曲、10月4日にはスコア完成
1924年6月6日、プラハの新ドイツ劇場初演
「モノドラマ『期待』(作品17)の半時間分のスコアを14日間で書き上げたこともあったし…」
(シェーンベルク『音楽の様式と思想』)
作品全体は4場から成るが、第4場が作品の約4分の3を占める。
第1場(mm. 1-37)38小節
第2場(mm. 38-89)52小節
第3場(mm. 90-124)35小節
第4場(mm. 125-426)302小節
登場人物は名のない女一人(Eine Frau)。 物語としては、ほとんど何も起こらない。 自分を裏切った恋人を探しに夜の森の中に入った女が、恋人の死体を発見し、混乱した意識のままモノローグを続ける。
出来事・物語ではなく、登場人物の心理そのものを描き出すことが主眼とされている。

● 台本について

§ 台本作者…Marie Pappenheim

当時27歳の女子医大生。詩人として、カール・クラウス主宰の雑誌『Die Fackel』に寄稿していた。 シェーンベルクの師であり、義兄でもあったアレクサンダー・ツェムリンスキーを通じて彼と知り合い、オペラ用台本を依頼された。
クラウス,カール(1847-1936): 文芸批評家、ジャーナリスト。 ウィーン世紀末文学の新しを牽引した。 批評活動の他、自らも諷刺作品などを書いた。 彼の雑誌『Die Fackel』には、シェーンベルクも寄稿している。

1895年フロイト=ブロイアー『ヒステリー研究』出版。
1900年フロイト『夢判断』出版。
1908年7月『ヒステリー研究』第二版 出版。(改訂なし)
§ 登場人物の女に表れるヒステリー症状
  1. 知覚麻痺
  2. 白日夢、幻覚
  3. とぎれとぎれの言葉
  4. ある言葉をきっかけとする以前の年月の回想
  5. ひどい不安感、極度の気分の変転
§ 解釈

最後の台詞「ああ、あなたがそこにいる…私、探していたの…」の謎
死んだはずの恋人がなぜあらわれるのか?
  1. 恋人が実際に現れた → 今までのことはすべて白日夢。
  2. 白日夢の始まり → あらわれた恋人は幻覚、今までのことは現実。
  3. 談話(催眠)療法が行われていた → 患者が目覚めたときにみえたものが、“あなた”。
つまり、今までのことはすべて「私の芝居小屋」とよばれる、妄想、白日夢で、患者はそれを演じていた。 実際に見えた"あなた"とは、医者のことと考えられる。
(Falck, Robert)
§ 最後の台詞の削除問題

現在残されているドキュメントとしての台本は2種類存在する。
(The Arnold Schoenberg Institute Archives, nos. 2401-26. and nos. 2427-31.) § シェーンベルクとフロイト

「出版されている書簡集の、1910年ごろの早い時期の手紙を読めば、彼がフロイトの概念に精通しているのは明らかである。」
(Falck, Robert)
「彼らはフロイトについて語り合い、クラウスのことも、ユングのことも大いに語り合いました。」
(ジョーン・アレン・スミス『新ウィーン楽派の人々』より
ザルカ・フィアテルの証言,22頁)

● 参考文献