須原敬三(羅針盤、DELUSION VALLEY、MOSHROOM、ありぢごく、SMILE etc.)INTERVIEW
 (1998年11月発行oo5号に掲載)

「シーンなんてないよ。」そう言ってる人が一番シーンにどっぷりつかっている。
雑誌『G-SCOPE』のガンジー石原さんが書いていた言葉。
もし大阪にシーンなるものが存在するならば、
この人のまわりにもそれは間違いなく存在するだろう。
須原敬三。この人の姿がないと、ライブハウスに来た気がしない。
ミュージシャンとして、レーベルオーナーとして、
そのポジティブな仕事ぶりは、誰もが認めるところだ。
得体のしれない世界にあっても確かなものは存在するのだ。
 

羅針盤の「らご」、LABCRY「A MESS-AGE FROM THE FOLKRIDERS」。
この2枚の「唄モノ」アルバムのリリースに端を発したかのように、
97年、大阪では「唄モノ」というジャンルが俄然注目された感があります。
その2つのバンドでプレイし(現在須原氏はLABCRYは脱退)、
自身のレーベルGYUUNE CASSETTEから、
数多くの「唄モノ」系のアーチストの作品をリリースしてきたスハラさんは、
現在の状況をどう感じていますか?
僕はずっと唄モノなんで。だから別段今ここにきて注目されてるとかいう意識はないんです。ウチのレーベルからだしてるのはほとんどそうやね。例外でEADというバンドがあるけど・・・あれは石隈のヴォイスやな。そういうのもあるけどやっぱり歌が好きなんで。こういう言い方したら変なんかもしれんけど、インストルメンタルというのにあんまし興味がない(笑)。

●「唄モノ」といって連想するのは、ほとんどGYUUNEと関係あるバンドですね。
いや、そんなことないんちゃう?。ウチ以外でも唄モノはたくさんあるやんか。僕らのとこなんか辺境の辺境。ハシのハシのハシ。アルケミーとかが昔から素晴しいアルバムだしてはるやん。
フォークテイルズ、アウシュビッツ。イデオット・オクロック。花電車かって、今はアンビエントとかトランスとかいってるけどそうやんか。林さん(アウシュビッツ)の歌、泣けるでえ〜。僕は20歳そこそこ、10代の頃からずっとそういうのを聴いてきたし。言葉というものに頼りきってないけど、やっぱり好きやから。

●最近の傾向として唄モノのバンドが増えてませんか?
そういう歌を大切にしているバンドっていうのは必ずあるもんやし、増えても減ってもいないと思う。東京のなんてバンドやったかな?。どっかの本で読んだけど「フォークギター買うて唄モノをする」って。「おい何やそれー!」って。そういうのはちょっと信用できへんけど(笑)。

●そもそも須原さんの個人的な見解としては英語で歌ってても唄モノであるんですか?
そうそうそう。そらそうでしょ。英語やったらわからへんなあってのはあるけど、何か伝わってくるもんはあるじゃないですか。表現力がちゃんとしてれば。怖かって歌詞の意味きいたら、けっこう歌ってんのよねえ。なんか「ギャー」いうてるけど、ちゃんと歌詞あんねんな。あれはびっくりしたな(笑)。

●歌詞っていうのが大切なんかな?
まあ重要な要素ではあるよね。

●怖まで入れてしまうと唄モノの定義もかなり広範囲になりますね。マディグラブルーヘヴンもメンボーズもスパローズ・スクーターもシュガーカイトも上沼田洋次も・・全部唄モノという一つのジャンルにくくってしまうのは強引かもしれないけど。
うん、かなり強引。あくまで便宜上の言葉やろなあ。なんか一つにくくっとこかみたいなもんがあるんとちゃうかなあ?。便宜上に人が考えだしたもんやから、僕個人はそのへんアバウトに考えてる。

●心象風景をえがいた叙情的な歌詞、メロディアスでヴォーカルメインの音楽性を唄モノの条件とするならば、唄モノ=フォークといってもいいのでしょうか?
それはちょっと違うかな。それ言ったらビートルズもビーチボーイズもフォークやん。

●GYUUNEのアーチストを語る時、もう一つ重要な言葉が「サイケ」です。
須原さん自身いくつかのバンドを語る時、この言葉を使っています。
須原氏にとってサイケとはどんなものですか?
なんやろなあ。サイケってねえ。
僕は自分がずっと聴いてきた音楽がたまたまサイケデリックってよばれるもんやったっていう。
たまたまね。アシッドフォークとか、ティム・ヴァックレーとか・・・
いうたらフォークってよばれるってらしいって後で知ってんけど、
俺はロックと思ってた。はっぴいえんども、友川かずきも三上寛も・・・。
そういうのもくくってんねん。 だから・・・全部サイケ(笑)。
俺聴いて気持ちええもんとりあえずサイケ。
これOZ DISCの田口さんがどっかに書いてくれててんけど、
だからGYUUNEのアーチストっていうのは音楽的傾向も全然違うと。
それこそメンボーズから怖まで。
これは主宰者の須原が気持ちいいと思う音をサイケと呼んでいるのだろう、
と書いてくれててん。
それ読んで、「うん、それいける(手を叩いて)それもらう」って感じで。
そやから何も考えてないんよね。自分さえおもろかったら。そんなことなんよ。
 

(取材:98年2月7日)

  
 
・・・・インタビューはまだまだつづきます。
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