●SPASMOMは最近ライヴをやってないんですが。
ああ、ちょっとお休みしょうかという。充電期間に入ろうかという。
曲つくるの時間かかるようになってしまって。
もうちょっと器用なバンドとか才能のあるバンドやったら
「1、2か月曲作りでお休みします」いうんやろけど、ウチは時間をうまく使う才能がないから。
2ヵ月休んでも曲ができてるかっていうたらちょっとわからんので、
長いスパンで考えた方がええんちゃうかと。
ホンマやったらねえ、CDだしたんやからツアーしたりねえ。
いろんな人に聴いてもらったりしたらそりゃあ気持ちいいけど、絶対マンネリがくるし。
ツアーやった後、徒労感が残るんちゃうかと。
別に逃げてるわけじゃないんですけど、マンネリとかがすごい嫌いなんですわ、ウチ。
というか飽きっぽいしね。
だからどのくらいになるかわからんけど充電しようかと。
そのかわり各自ね、スパズマムに還元できるようなことをやったらええんちゃうかと。
まあ、今年いっぱいって感じですかね。
●バンド歴を年代順に教えてください。
最初はP.B.C(PERFECT BODY CONTROL)っていうのがあって、
87年ぐらいに阿木譲さんのレーベルから12inchEPを出してたんですよ。
僕がリーダーやったわけじゃなくて、東京へ行った谷崎テトラとか、松蔭浩之君、あともう一人いて、
僕はボーカル兼ノイズギター兼メタルパーカッション。
大学で知り合いになって、ボーっとしてたらそういうことになったっていう。
インダストリアルヒップホップみたいな、
TEST DEPTとBEASTIE BOYSが一緒になったようなことをやっていた気がしますね。
P.B.Cが解散すると同時ぐらいにはじめたのがULTRA BABIES。
’編成は一応4人か5人ぐらいで、俺ボーカルで、
ギター、ベース、打ち込み、サンプラー、ターンテーブル。
時によってはドラムがっていう。88年ぐらいから90年初頭ぐらいまでやってたような気がしますね。
その頃って結構なんか第一期ジャンクブームって感じで、変態ヒップホップとか。
ハウスとかも変な方法に行き始めた頃やったからバンド編成でやるよりは可能性が広がるんじゃないかと。
音楽自体はムチャクチャバンドっぽかったですね。今のスパスマムみたいな(笑)。
変則寄りというか展開の激しい曲。リズムマシンでプリセットでやってたし。
根がそういうのが好きなんかなと。
その頃はジャンク扱いされてましたね。
あの頃はちょっと違うことやったらハードコアかジャンクかっていう時代やった気がしますなぁ。
あとはサイケ。それがまあ大阪の三本柱っていう。
JAB JAB ON WARPは、ULTRAが解散して、
今度はVo+G+B+Drっていう普通の4人のグルーブとかバンドの難しさ、おもろさを追及していこうかなと。
ULTRAでギターやってた一平にまた声かけて、ベースの人が今の横綱一番のベースやけど、
その人がヨシヨシつれてきて。結構スパズマムの母体になったような気がするし、
SPASMOM以上にくどいサウンドをやってましたわ。エンディングにいくまでに時間がかかるような。
SPASMOMをはじめたのは94年の夏ぐらいかな。その頃サトリスクールを解散したウツ君に声かけて。ULTRAとJAB
JABのええ所も悪い所も取り入れてやろうかなと。
JAB JABの時は4人編成にこだわったけど、それにこだわらずにやっていこうっていうのがあって
最初3人で、俺がベースでウツ君とヨシヨシと半年ぐらい練習やっとったんですわ。
ほんでそろそろライヴやりたいなと思って
一応ベースぐらい必要なんちゃうか、そやなあ、とりあえず一平声かけてみよか、
ほんだら「やる」言うから入ってもろて。ほんで今に至ると。
●SPASMOMのプロフィールに「ハードコアパンクの切れ味とケミカルなスピード感を基盤として
“ZAPPA”“レジデンツ”“ビーフハート”“QUEEN”“デッド・ケネディーズ”等を彷彿させる
複雑な展開が、わずか数十秒たらずの曲の中に滞在する」とありますが、
このZAPPA、レジデンツ云々っていうのは?
まあ、そのへんはSPASMOMではみんな共通するとこかなあ。
ただみんなの共通言語でやる楽しさもあるけど、そういうのまったくなしでしたかったっていうのもあって。
JAB JABの時はみんなの考えてることを一つに集合してやらなあかんって感じやったけど、
SPASMOMはある程度バラバラでもええんちゃうかと。そのかわり4人がホントに好きなことをやろうと。
4人が聴いてカッコエエと思える。捨て曲なしでいこうと。全曲ライヴでできるような。
●Less than TVからでた1stアルバムは、2ndよりエフェクティヴでかなり音に凝ってますよね。
あれはねえ、まさにあの頃が点と線のせめぎあいというか、点で行こうみたいなノリであって。
とにかくイコライジングしたり、スタジオ作業を凝ろうという。スタジオで作った曲もあるし。
スタジオ作業の醍醐味みたいなんを。それでもそんなにうまいことはいってないんですよ。
意見の食い違いっていうのは当然でてきたし。なんやかんや言うて時間がかかってねえ。
コレや!って決定打がなくって。下手したら誰かとめてくれるまでずーっとやってそうで。
やればやるほど駄目になったりして。初期作品集いう感じですな。
●当時のライヴはああいう感じじゃなかったんですか?
ライヴはショートカットスタイルでポンポンポンポンいう感じで。あの頃は20分以内で終わってたと思いますわ。十何曲ぐらいやって。
●ハードコアの要素が強かったですね。
それは好きですから。特に俺とギターのウツ君がやっぱり好きですからねえ。
JAB JABの中にあったグルーブ感も良かったけど、もっとスピード感ていうかシャキシャキとした。
このねえ、鋭角的で粘着的やなっていうのがねえ。あるいは不細工やけど男前っていうのがねえ(笑)。
一応人に言われるけどそのへんが僕の資質みたいなんですわ。
せやからヤスシらしさを出したいっていうのがあって。
●2ndアルバム『AMOEBA』はいつから録ってたんですか。
これはねえ、KIRIHITOとのスプリットの後、
いつやったかなあ、97年の年末ぐらいからレコーディングしてました。
TAG RAGのメインレコーディングルームが、いろんなお客さんがおるし、なかなか空いてなくて。
月に一回入って2時間しかやれへんとか。だから時間かかってしまって。
それと我々が結構モタモタしてて。考えたり考え過ぎたり。考えた末に全員意見バラバラやったり。
●引きだしが多いバンドやから大変ですね。
いやーそれがバンドかなとも思いますけど。僕なんかいい加減やからよく怒られますけどね。
OMEGA SOUNDの小谷さんに「曲によって色を決めなあかん」「全体の言語を統一する」って言われて。
「なるほどー。俺らアホやったー」言うて。言語と色素を統一せんでもできてたけど、
限界があったんでしょうね。
好き勝手に全員がスタート!言うてダッシュするっていうのがうまくいってる時はいいけど、
3、4年もやってるとさすがにガッチリかためていかなあかんっていうのがレコーディング中にでてしもてなかなか苦労しました。
1stに比べたらエフェクティヴなこともやってへんし、ホンマに生音に近い音。
バンドの等身大がリアルに正直に出るような。
●タイトルはどういう意味ですか?
タイトル考えましたよ。50タイトルぐらい。
全員でミーティングして。ほとんどダメな、センスないのばっかり出てきてしもて。
うわヤバイなあー。ほんで曲名からつけようかなあと思うたら曲名もイマイチやし。
じゃあ歌詞かなと。『AMOEBA』をいただこうかなと。
●「O歳からアメーバ」?
人間はそういうモンかなという。生まれる前からかも知れませんけどね。放射状というか離れたりくっついたり。それからバンドの録音してる当時の人間関係であるとか、我々の立場とか。我々の音楽性とかを一言でいうなら『AMOEBA』っていうか。
●歌詞はどうやって書くんですか?
僕が歌った時発音しやすいとか、意味は崩れちゃうねんけど、読んでおもしろい。
空耳じゃないけど、違う言葉のおもろさ。声質のインパクトみたいのもんを考えながら。
歌いながら。自宅で。読んでも馬鹿馬鹿しくて、まず僕が歌っても馬鹿馬鹿しい。
ヤスシの世界いうたら多分そうでしょう。ほんま言うたら歌詞が届くっていうのがいいですけどね。
けどそんなん僕できないですからね。
日本語でいい歌詞書いて、それがライヴでも聴こえて
「こういうこと歌ってるんや、いい歌うたうなあ」とかそういうの憧れますね。
●ナスカ・カーはどうやってはじまったんですか?
ナスカ・カーは僕がDJのTUTTLE、アレに声かけて。マーク・スチュワートをみにいった時かなあ。
トランステクノをバックにマーク・スチュワートがほたえとる。
これはー期待したわりにはおもんないなー。そしてくだらんなー。これはーちょっとやろかなあ。
ほんでTUTTLEに声かけて。やろうと。ほんだらTUTTLEが中屋さん連れてきて。
このオッサン誰やろ?と。なんやこのメガネ?とか思って。
で、TUTTLEが打ち込みとか細かいサンプラー仕事をできひんから
中屋さんにバックサウンドつくってもらって、TUTTLEはターンテーブルとかサックスとか、
僕らボーカルという編成で始まったんですよ。
それがまさかねえ、70年代のテレビとかねえ、
ああいうオタクネタをサンプリングするとは全然思ってなかったんですけどね。
僕はTGが好きなオッサンっていう紹介で中屋さんを知ったわけやけど、
TGが好き以前にそれ以上に好きなもんがあったって感じですよねえ。
ホンマかいなTG好きなんはー。
●僕はてっきり、KING KONG(ヤスシさんが働いているレコード店)にでも
中屋さんがテープ作品を持ち込んだりして知り合ったのかと。
いやいやいや。あの人はデビューは34歳みたいやから。
それまでは結構子供も嫁はんもおるから普通に仕事してたんちゃいます?
ほんで家で普通に打ち込みを。ほんで今までたまってたモンを全て、ナスカ・カーに。
趣味と実益を兼ねた開花のし方をしたという。
東京のテクノシーンにすごい反響ですよ。ナスカ・カーは。
なぜか。まったく中屋ワールドというか。
だから僕最近ではナスカ・カーのリーダーでも看板でもないですからね。
まあ、一エフェクターみたいな。前セツのADみたいな。
いやあ、その方がナスカ・カーはいいと思いますよ。
●SPASMOMもナスカ・カーも両方TAG
RAGなんですけど、どっちが売れてるんですか?
ナスカ・カーちゃいます? アッハハハハハハ・・
●リキッドルームでやる時とかすごい盛り上がるらしいですね。
トランソニック関係の宣伝とかあって、中屋さんトランソニックと仲いいし。
東京は異常に盛り上がる。
でもこないだの京都(メトロ)なんかそれと同じぐらい狂ったように盛り上がってましたねえ。
大阪のファンダンゴあたりではまあいまだにシラーっとした感じで。
まあー馬鹿がなんかやってるというか。
まあなんか一番馬鹿馬鹿しかったのがタワーレコードのインストアライヴ。やりましたよ〜。
●あれはだいたいアイドルとか、少年ナイフとか。
まあどう考えもメジャーな人間ですからね。我々みたいな汚いオッサン二人がねえ。
黒のツナギ着て。サングラスかぶって。
俺なんかアフロのかつらかぶって、2曲くらいやって。いや〜てれましたわ。
●ナスカ・カーの『電子水母』についていたビデオムービーよかったです。
あれは我々の駄目な演技力プラス、スティーヴ・ヤマグチの世界。
映像的センスが。あれたまにみると面白いですわ。
あれはアフレコで後で入れたんですよ。
●『ジャイアント・ロボ』にインスパイアされた内容だそうで。演技力ありますね。
テレビとかでたことはありますか?
テレビ・・(笑)。テレビは昔やってた昆虫同盟ソラリスかなんかででたことあったかなあ。そのバンドもULTRA
BABIESと並行してチョロッとやってたんですわ。大昔ですわ。まだお腹の肉のでてなくて顔もしゅっとしてた頃で。P.B.Cを一緒に抜けた松蔭君と、アリスセーラーと。
●今いくつですか。
僕は32ですわ。
●前ナスカ・カーのライヴで「全員30になった」とか「これからは成人病に気をつける」とか言うてましたね。
ああ懐かしいなあ。僕も30になったし、吉川君も30なっとったし、中屋さんに至っては30半ばやったからな。
●4年間でSPASMOMのメンバーは人間的に変りましたか?
ああ。変りましたね。わかりやすく言うと4年前のギャグを今言うと、他の3人は笑わないとかね。そりゃ当然ですな。当然でしょう。多少ストレスみたいなのもたまってくるんですよ。いろいろとみんなイラチやし。
●バンドで地方へ一緒に行った時はどうですか。はじけてますか。
ライヴBEFORE & AFTER? いや普通っすよ。もうオッサンやし、ツアー中に富士山みえたからって「ギャー富士さんや」とか「ギャーうわーこのサービスエリアの飯うまいわー」とかそういうのはないですから。俺ぐらいしか。僕は運転できないから他の3人は疲れてるんでしょうね。ナスカ・カーの場合はP.AのTAG
RAGの前さんとかと一緒にいきますから。そん時は中屋さんがはじけてますね。ずーっと喋ってるとか。興奮気味であるというか。非常に興奮気味であり、酒を飲まずして酩酊状態というか。なんかそんな感じですなあ。
●好きなバンドorミュージシャンをあげてください。
うわー。何があったかな。ディーヴォ。ビーフハート。デッド・ケネディーズ(笑)。ONE
AND ONLYなとこが。あとは・・・NO NEW YORKのアルバムね。あの一枚。それからAPHEX
TWINね。あとは〜なかなかでないもんですな。でないなー。
●海外志向なんですか?
いやいやそんなことないですよ。国内の方が身近やから思い浮かぶかも知れないすな。
かといってないなあ(笑)。
ああ、よく一緒にやるUとかね。スプリットもだしたKIRIHITOとか。あとはコラプテッドとか。
WORLDの・・解散しちゃったんかな。WORLDの馬鹿三人とか。FOODの馬鹿二人とか(笑)。
あ、全部関西系ですな。キリないすな、いつも対バンでやってるバンドですね。
BORISもいいですね。あ、怖、怖。怖もいいじゃないですか。まあ言やーNEGAに載ってるバンドですね。あ、ガーゼも好きですね!
ま、当然ですね。日本のハードコア、僕リスペクトしてるバンド多いですよ。
原爆(オナニーズ)、フリクション。長いことやってるバンドはすごいと思いますよ。
長いことやるってのはねえ、大変なことやと思います。
我々もとにかく続けないといけないというのがあるんで、
無理して変な状態になるよりは充電期間を置こうと。解散のかの字もでなかったですからね。
最近は噂ではSPASMOMが解散してヤスシはVOLUME DEALERSに入ったっていう話になってるんやけど。
まあ、あれはVOLUMOMっていうスタイルでたまにやるっていう。まあ、VO
LUME DEALERSも好きやしそこで歌うのは楽しいことやけど。
●VOLUME DEALERSの東京のライヴにも参加してるんですよね。
SPASMOMの『SUN SHINE SPEAKER』もやってましたね。
ああ、あれはVOLUME DEALERS MIXということで。
●大阪のシーンはどう思いますか。
シーンね。最近ライヴハウスもあんまり行ってないし。
SPASMOMもナスカ・カーも、大阪の中心バンドでもないし。
どうなんでしょうか。シーンはあるとこにはあるんちゃいます?
シーンをつくりたいって思ってる人のまわりには
いろんな人が集まってそれなりのもんはできると思いますよ。
何かをやりたいと思ってる人がいたら、それをサポートする人が現われてくるじゃないですか。
それはライヴハウスでも演劇でも編集でも。そういう意味では我々はサポートしてくれる人もいないし(笑)。
自分でやるしかない。
でもそれでシーンをという、そこまでの意気込みもないし、とりあえずやるっていうか。
俺らに似てるバンドっていうのもないですからね。
●結構たまにいますよ。◯◯とか。
みてみたら「ああなるほどな」って思いましたけどね。でも俺らも最初はコンクリート・オクトパスに似てるとか言われたよ。別にコンクリの影響はまったくないけど。
●若いバンドはみたり聴いたりします?
仕事柄ね。みたり聴いたり。たまたま連れがでてたらライヴみたり。
最近聴いた中ではCAVOっていうバンド。CAVOいいっすね。ライヴみたことないけど。
一応トーチャースラッジ系なんですけど、グルーヴ感ゼロなんですよ。トリップ感もないし。
ボーカルはホーミーと言うよりも能とか狂言みたいな感じで。
壊れたプレーヤーにBORISを載せてるみたいな。
めちゃめちゃ気違いであり、神々しい瞬間も2秒ぐらいありますね。
●最近MELT BANANAのライヴをみたら若いお客さんがたくさん入ってて驚いたんですが、
なぜだと思いますか。D.M.B.Qとかも関西で人気あるし、普段と客層が違う人が来るからなんでかな〜と。BOREDOMSのライヴにも若い人がたくさん集まるし。
TAG RAG NITEとか、BOREとか行ってる人けえへんねんやろなあ。ハハハハ。MELT
BANANAも好きですねえ。昔から仲いいけど。どうなんでしょうねえ。そういうお客さんって結構洋楽志向というか、いい意味でミーハーというか。でもそういうバンドはやっぱり良いバンドですからね。D.M.B.Qもしかり。MELT
BANANAもしかり。ええことやってたら、それなりに客もつくし人気もでるのも当り前ちゃいますかね。若い客を集めてるって言ってもそれなりに感覚とセンスがないとダメやし、SPASMOMみたいにターゲットがないし誰に対して聴かしたいっていうのがないと、いまいち不明瞭でわからんと思うし。そのへんやっぱり対バン受けはええねんけど、お客さん受けはいま一つ不明瞭やっていうのは俺らの責任でもあるし。かと言って若い人の描く普遍的なものに迎合するっていうのは、そういう性癖もないからできへんけど、それが苦痛じゃなくできる人間はうらやましいと思うし、メジャーにいこうが5000人集めようが苦痛じゃなくできるっていうのは健康的やと思いますけどね。常にイケイケの状態で。だから活動休止とか不健康なことやと思うなあ。充電とか。ものすごい不健康なことやってると思うなあ。
●登校拒否みたいなもんですか(笑)。
そうそう。ちょっと彼ねー学校嫌いやから。君やればできんねんけど学校嫌いやねんな。ほなあいっときお休み、みたいな感じで(笑)。
(取材:1999年5月10日)