*無住庵通信* 倉 橋 義 雄
* 98無住庵ツアー(アメリカ合衆国:サンタフェ--ボールダー) 7月2日(木)--11日(土) ********************************************************************
第2回目の「無住庵ツアー」は13名の参加者を得て、アメリカ合衆国は
ニューメキシコ州のサンタフェと、コロラド州のボールダーを訪問してきま
した。
ボールダーでは、かの「国際尺八音楽フェスティバル '98」に参加して、
第1回目の無住庵ツアーにまさるとも劣らない、それはそれは楽しく有意義
なツアーになりました。
サンタフェは大昔からアメリカ先住民(インディアン)の人たちが住んで
いたところで、またスペイン植民地の総督府が置かれていたところでもあり
アメリカ合衆国よりも古い歴史を持っている町です。何よりも、町中の全て
の建物がアドーベ様式という先住民の建築様式で統一されているのが圧巻で
した。役所からホテルから一般住民の家まで何もかもアドーベ様式、「余り
にも統一され過ぎていて息苦しい」と言う声も聞かれましたが、私は徹底的
に町の個性を守ろうとしている全サンタフェ住民の意志を感じて、感動しま
した。
7月4日はたまたまインデペンデンス・デイ(独立記念日)、サンタフェ
でこの日を迎えることができたのはラッキーでした。プラザと呼ばれる広場
での記念式典に参加し、風船をもらいました。住民も観光客もわけへだてし
ないアメリカ人のおおらかさを羨ましく思いました。その夜は丘の上のホテ
ルへ本場スペインのフラメンコを見に行きました。見終わって外へ出たら、
町の上空で花火が光っていました。印象的な一日でした。
7月5日、貸切バスでボールダーへ。途中リオグランデ渓谷のタオスとい
う先住民の村を訪問したりして、そうとうな長丁場の旅になりましたが、ア
メリカ大西部の息を呑むような超雄大な風景が満喫できて、これまた忘れら
れない1日になりました。
さてボールダーでの国際尺八音楽フェスティバルは、「素晴らしかった」
の一言に尽きるイベントでした。全世界からの尺八愛好家が一堂に会したこ
ともさることながら、ボールダー市民が尺八という楽器に熱い関心を寄せて
くれたことが、何よりもうれしいことでした。私が尺八の絵入りTシャツを
着て町を歩いたら、多くの市民が手を振ってくれました。街角で尺八を練習
をしている人が少なからずいましたが、多くの市民が好意的な眼差しで見つ
めていました。少なくともフェスティバル開催中のボールダー市において、
尺八は「メジャー」な存在でした。私はメジャーであることの快感を、生ま
れて初めて味わいました。ありがとう。ありがとう。
このイベントをとうとう実現した仕掛人のコリー・スペリーさん、強力な
実行力を発揮したデビッド・ウィーラーさん、クリストファー・遥盟・ブレ
イズデルさん、大勢の関係者の皆さん、本当にありがとうございました。
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ユナイテッド航空から家族5人分の無料航空券をもらったので、思案した
結果、シンガポールからタイのバンコクまで全行程を鉄道で移動する<マレ
ー半島縦断2000キロ鉄道の旅>を実行することにしました。
気負ってシンガポールに到着したところまでは良かったのですが、雨また
雨、予想外の寒さに震えながら旅は始まりました。
傘をさして、まずシンガポール第一の観光名所マーライオンを見に行った
のですが、そこで見たものは、飛び込み自殺した若い女性の溺死体でした。
しかもそれは、さっきまで私達の目の前をウロウロしていたマレー系の女性
だったのです。子供達はすっかり言葉をなくしてしまいました。シンガポー
ル川の河口にプカプカ浮かぶ女性の死体、それはショッキングな光景でした
が、異様に美しくもありました。
マレーシアでは、経済危機のおかげで5つ星の超一流ホテルに5千円くら
いで泊まれたりして、最初は「ラッキー」と思ったのですが、後で考え直し
て、いくら安くても無駄な金の使い方はしないように努めました。すると現
地の人達とシックリいかなくなりました。たとえば....
マラッカの近くのタンピンという鉄道駅で、しつこい白タク運転手に辟易し
て、ほとんどケンカみたいになってしまいました。金を使わないことで現地
の人とイヤな関係になるのは悲しいことでしたが、私もかたくなに現地人と
同じ金額しか支払わないことにしました。
ペナン島のジョージタウンでトライショーという輪タクを呼んだところ、
法外な値段をふっかけてきて、ガンとして値下げ交渉にも応じないので、私
は気分が悪くなって断りました。するとそのトライショー屋の若い男が真剣
に怒っていわく、
とまあ腹を立ててみたのですが、今いちばん懐かしく思い出されて「また
会いたいな」と思うのが、そういうケンカ相手ばかり、やっぱり私は東南ア
ジアの人が大好きなのでしょうね。
タイでは念願のカンチャナブリへ行ってきました。クワイ川にかかる鉄橋
「戦場にかける橋」を歩いて渡ってきました。橋のたもとに小さな戦争博物
館があって、日本軍の捕虜収容所の写真や遺物が所せましと並べてありまし
た。心引き締まる思いがしましたが、ナポレオンの肖像画やアメリカ南北戦
争の写真などが中に交じっていて「これ何?」と首をかしげました。上の階
には歴代ミス・タイの写真が展示してありました。意外に楽しい博物館でも
ありました。
最後に旅の印象を子供達に聞いてみたら、「まるで修行みたいやった」と
いう答が返ってきました。
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ニューヨークのアンサンブルの日本公演に私が参加するというのは、何と
もおかしな気持ちでした。心配していた通り、紋付袴で尺八を演奏したにも
かかわらず、私に英語で話しかけてくる人が出てきました。
ニューヨークで30年間もピアニストとして活躍してきた井上和子さんは
山口県下松市の出身。いわば故郷に錦を飾ったのが今回の公演でした。30
年の夢がかなって、井上さんもさぞかし感無量だったことと思います。
公演は山口県の徳地町・防府市・下松市、広島県の広島市・竹原市・東城
町、そして再び山口県の秋芳町で計11回開催されました。秋芳町ではこの
夏オープンしたばかりの秋吉台国際芸術村ホールで開催されました。
曲目は、井上さんがこのイベントのためにあたためてきた「竹取物語」の
三部作、すなわち
楽器編成はピアノ・バイオリン・ビオラ・チェロ・打楽器・中国箏(チェン)と尺八で、「バンブー・プリンセス」には語りが入りました。
井上将興さんも長年ニューヨークで活躍してこられた方で、井上和子さん
のかつての同志です。現在は東京音楽大学教授ですが、和子さんの一世一代
の壮挙に参加すべく、東京から馳せ参じてこられました。将興さんのバイオ
リンの音色には「一音成仏」という言葉を連想させるような万感こもった深
みがあり、すごい演奏家だと私は思いました。
チェロのアンドア・トスさんはアメリカのオベリン大学教授で、かの有名
なチャイコフスキー・コンクールの審査員をしていた人だそうです。偉い人
らしいのですが、ダジャレ・クラブの会長のほうがふさわしいのではないか
と思われる人物でした。長丁場の演奏旅行が終始なごやかに実行できたのは
まったくもってアンディさんのユーモアのおかげ、ずっと人を笑わせ続けた
彼のエネルギーには脱帽しました。
中国箏(チェン)と琵琶(ピパ)の奏者は、去年6月アメリカのネブラス
カで共演した呉蛮(ウー・マン)さん。1児の母になって演奏技量も美貌も
一段とパワーアップ、私もすっかり彼女のファンになってしまいました。ウ
ーマンおっかけクラブ会長の席をアンドア・トスと奪い合っていますが、ま
だ決着はついていません。
語りの高瀬精一郎・一樹父子は現在フリーですが、つい最近まで劇団前進
座の演出をしていた方々です。さすが歌舞伎の伝統を受け継いだ重厚な語り
に感動しました。
とは言え、17日間11回の公演はきつい仕事でした。最後の方ではみん
なストレスが溜まってきて、人間関係がギクシャクしたこともありました。
公演終了後アンドア・トス氏が私に送ってきたemailの中の言葉....
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駄文を最後までお読みくださって、ありがとうございました。
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