「邦楽ジャーナル」2001年6月号掲載

<続>異国見聞尺八余話 (1)

倉橋義雄の「超」グルメ

倉 橋 義 雄

 倉橋義雄またまた登場。性懲りもなく・・・・と言わずに、どう かまたおつきあいを。「<続>異国見聞尺八余話」を読んで、旅 と尺八の真髄を究めよう。
 さて、異国の旅というものは、とくに私のごとき繊細な感受性 にめぐまれた者にとっては、孤独との戦いであると言える。ニ ューヨークのようなドハデな町にいても、多くのファンに取り 囲まれても、心の底はいつも悲しい。
 孤独をいやし、悲しみを取り去ってくれるもの、それは、ひ たすら食べること。何を食べるのかって? メシに決まってる やろ。和メシ、洋メシ、インドメシ、中華メシ、中南米メシ、 何でもいいから食べて食べて食べぬいて、高らかに歌う・・「心 に太陽を、唇にメシを!」
 ところで、ニューヨークでの私のひそやかな愉しみは、実は 早朝未明の街をさまようこと。そして街角の屋台でベーグルと いうパンのようなものとコーヒーを買って、まだ暗い公園のベ ンチでひっそり食べる。孤独のきわみ、ちょっと被虐的で、あ まりにもわびしいけれど、これが官能的な喜びであり、精神的 なエネルギーの源泉なのだ。この喜び、わかる? わかる人と 友達になろう。
 雨の日雪の日には、ためらわずマックへ。未明のNYのマッ ク、これも悲しい。うらぶれた物悲しそうな人たちと肩を並べ、 ハンバーガーをほおばる。
 「な、何だと、マ、マクドナルドへ行ったと?」NYの知人 達は顔をしかめる。「NYには、うまいもん屋が星の数ほどある というに、よりによって」・・・・私の愉しみは、理解されにくい。 未明マックの悲しみと奥深さは、孤独の天才のみぞ知る。ポテト を一本ずつ噛みしめる人たちの顔を見よ。NYの悲しみがそこ に集約されている。がんばれマック。
 一転して私のディナーは豪華絢爛、贅のかぎりを尽くしてい る。それもそのはず、人様におごっていただくのだから。ここ で私の本領が発揮される。食べて食べて食べぬいて、翌朝の瞑 想的朝食にそなえるのだ。
 まず噂のNYステーキなら少なくとも500グラム、巨大ピザ ならそのまたラージサイズ、パンケーキなら三段重ね・・・・いや、 決して質より量を誇っているわけではない。もちろん私は心か ら味わって食べている。とくに辛さにはうるさい。
 インド料理や韓国料理なら、とびっきり辛いヤツを注文する。 このあいだテキサス州ダラスのインド街でチキンヴィンダルー を注文したら、インド人の店員が私を日本人と見て「貴方には お勧めできません」と利いたふうなことを言う。どんなに辛い のかと思ったら、何のことはない、ちょっと汗が出た程度。お いら普通人じゃないのよ、天下の尺八吹きじゃー。とは言いな がら、淡白なものも大好き。
 イスラエルの某キブツでは、食事と言えばナマ野菜のブツ切 りとチーズとコーヒーだけ、それがまた美味しくて美味しくて、 食べても食べても飽きることなく、日夜汗水たらして野菜をほ おばり続けた。駐イ日本大使あきれ顔でいわく「あなた世界の どこでも暮らせますよ」。
 私は美味礼賛のグルメ族ではない。美味しいものしか食べな いのではなく、何を食べても美味しいのだ。淀川長治ではない が、キライな食物に出会ったことがない。これ最高の幸せ。思 えば、これが私の私たるゆえんなり。何でも大好き。男も女も、 みんな大好き。琴古も都山もヘッタクレも何でも大好き。キラ イな曲に出会ったことがない。八方美人の八方ふさがり、尺八 界の八宝菜。
 食べると太る。文子とかいう名の愚妻は結婚当時の写真をふ りかざし「私はだまされた!」とわめく。でも、ちょっと待て、 亭主に失望する前に、一緒にアメリカへ行こう。信じられない かもしれないが、アメリカでは、この私が、ふふふ、スリムなの よ。ある美貌のアメリカ女性が、悩ましいまなざしで私の全身を じっと見つめ、そして「オオ、理想的な体形だわ」とつぶやい たことがある。神かけて、これは本当の話である。少し太めか もしれないけれど、アメリカでは、これがセクシーなのよ。
 ここで私の心眼が開いた。そう、セクシーであるために、私 は食べているのだ。だから、私の尺八の音は、セクシーなのよ。 いや、すべて音楽というものは、セクシーであらねばならぬ。だ から、食べよう。「酒」という題の古曲があるのだから、こん どは私が「メシ」という新曲をつくろう。きっと最高にセクシ ーな曲になるだろう。

(第1話終)