異国見聞尺八余話 (5)
ネゲブ砂漠の神保三谷 倉 橋 義 雄
忘れられないのは「直八子供旅」と「大江戸の侠児」。名作 だったと思う。日本的な情感というものを、私は東映映画から 学んだ。東映は我が師。 そんな私なのに、椿三十郎ショックで東映映画を見る意欲を なくしてしまった忘恩の時期があった。中高時代の6年間が、 それにあたる。 その頃、ふと私は「洋画」を見てみようという邪気を起こし た。そして見たのが、かの「アラビアのロレンス」。 いや、まあ、驚いたの何の。それはまさしくカルチャーショ ックだった。茫然自失、「アラロレ」は、私の人格を一変させ てしまった。 私はロレンスの伝記を読みあさった。いちばん良かったのは、 岩波新書「アラビアのロレンス」(中野好夫著)。 映画を見て本を読み、やがて、ふつふつと湧いてきたのは「砂 漠を見たい」という欲求。しかし海外旅行が夢だった当時、そ んなことは夢のまた夢だった。 やがて私も成長し、さすがのアラロレ狂いも過去の思い出と なったけれど、中東戦争のときは、カタズを飲んでアラブ側を 応援している自分に気がついた。アラブが負けたときは、本気で 「宿敵イスラエル」を憎んだ。 浪人時代、古本屋で「マキノ光雄」(北川鉄夫著)という本 を見つけた。東映の名プロデューサーの伝記だ。その本に興味 深いことが書いてあった。戦時中満州へ渡ったマキノは満映で 働くことになったのだが、満映のボスというのが、例の甘粕大尉だった。 関東大震災のとき大杉栄を惨殺したとされ、やがて満州国建国 の黒幕となった怪人物は、敗戦のときピストル自殺して果てる。 自殺のあとマキノがボスの事務室で見つけたものは、何とあの 岩波新書「アラロレ」だった。孤独な甘粕が繰り返し読んだの が「アラロレ」だったとは。おそらく私だけしか感じないであ ろう奇妙な親近感を、私は覚えた。東映正調時代劇とアラロレ が、かなり苦しいコジツケではあるが、こうして私の心の中で 結びついた。 私の心が再び東映を迎えようとしたとき、頃や良し、めぐり会 ったのが、名作「戦後最大の賭場」。任侠道に花開いた新東映 との華麗な出会いだった。東映なくして私なく、私なくして東 映はないことを、私は20歳にして痛感した。 時はめぐり、夢も希望もない中年オジサマになったとき、何 と「宿敵」イスラエルから招待状が舞い込んだ。テルアビブ大 学とヘブライ大学で尺八講座を開いてほしいという要請。私は 一も二もなく快諾した。夢のまた夢「中東へ行ける!」 飛行機が着陸態勢をとったとき、私は軽いめまいを覚えた。 ああ、とうとう来てしまった、遥かなるオリエント。あれが聖 地であり、ロレンスであり、甘粕であり、私なのだ。 テルアビブのホテルの窓のカーテンを開いたら、いきなり群 青の大海原が目に入った。おお、地中海! フェニキア人の海、 帰還ユダヤ人のエキソダスの海。えらいところに来てしまった。 意欲的に史跡もめぐった。エルサレムはすごい町、エリコの 古代都市は興味深く、死海で浮かんだときは愉快だった。 しかし、見るべきものは見たのに、「まだ物足りないぞ」。 ある日、友人が「自動車でどこかへ行こう」と誘ってくれた とき、私は快哉を叫んだ。 「砂漠へ!」 私達はネゲブ砂漠の真ん中にあるラクダ園を訪問することに した。そこで友人の友人がベドウィンと共に働いているという。 ベドウィン! アラロレに出てくる勇壮な砂漠の戦士! 私達はベドウィンのテントに招待された。ベドウィンの老人 がパンを焼いてくれた。何とも言えぬ充実感、満足感。 会話が途絶えたら、ゾッとするような静寂が私達を包んだ。 完璧な静寂。これが砂漠。 やおら私は尺八を取り出し、砂丘の上に立った。ベドウィン たちが不思議そうに私を見つめた。申し分ない観客たち。湿度 ゼロの超乾燥地帯、完璧な静寂の中での「神保三谷」! ツレーと吹き始めたとき、私は驚き、興奮した。尺八の音が、 無数の小さな花火玉にみたいに四囲に飛び散り、砂漠のあちこ ちではじけたのだ。音がはじける音を、確かに私は耳にした。 私は夢幻の境をさまよい、ネゲブの天空に白馬童子と紫頭巾 が駆けて行くのを、この目で確かに見た。
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