「邦楽ジャーナル」1999年10月号掲載

異国見聞尺八余話 (1)

尺八サマーキャンプの巻

倉 橋 義 雄

 コロラドの空は、月並な表現だが、抜けるように青い。天も地も、 とにかくコロラドは清く正しく美しく、それを表現しようとして、 どうしても月並な単語しか思い浮ばない。申し遅れたが、コロラド とは、アメリカ合衆国中央部に位置する風光明媚な州のこと。
 州都デンバーから北へ2時間ほど走ったところにラブランドとい う、聞くだけで恥しくなるような名前の町があり、その町はずれのサンライズ牧 場というところで、去る8月下旬、「第1回ロッキー尺八サマーキ ャンプ」なるものが開催された。ロッキー山麓の静寂の地。野原で 尺八を吹いていたら、目の前を鹿やコヨーテが横切る、腹立たしい ばかりの自然環境。
 サンライズ牧場は、キリスト教のある派の人たちの共同体で、イ スラエルのキブツそっくりの雰囲気がある。牧場と言っても、牛馬 の放牧はなく、農業を営んでいて、かたわら観光客のための宿泊施 設を経営する。ホテルみたいなサービスはないが、客を世話する共 同体の人たちの笑顔が素晴しい。
 その宿泊施設を利用しての尺八キャンプ。あの感動的だった「ボ ルダー国際尺八音楽祭98」を記念して、地元コロラドの清く正し い尺八愛好家有志が尽力し、とことん集中的に尺八を勉強するため に企画されたもの、コロラドを尺八のメッカとすべく、今後毎年定 例的に開催されることになっている。
 今回は、講師として、オーストラリアのライリ・リー氏と不肖私 が招聘された。ところが、ミシガンのマイケル・グールド氏が自発 的に参加してきたことと、あの有名なデビッド・ウィーラー氏が去 る7月東京からボルダーに引っ越してきたことで、講師陣4名とい う超豪華版のキャンプになった。
 参加者は、全米及びカナダから、強者・曲者ばかり約20人。ノ ースカロライナなど遠隔地からの参加者が目立った。清く正しい主 催者は、もっと多くの参加を見込んでいたので、やや失望したよう だが、指導者に恵まれているニューヨークやサンフランシスコの人 たちは、わざわざキャンプに参加する必要がなかったわけだ。つま りこのキャンプは、指導者に恵まれない、いわば尺八過疎地からの 人たちのためのキャンプであるという色彩を濃厚にした。
 尺八過疎地の人びとは、当然技術水準は低いけれど、水を求める 渇者のごとく、尺八への意欲はハンパでなく、怠惰で醜い私には、 ある意味でまぶしい存在だった。
 でも、なぜ? 指導者も先輩もいないところで、なぜ尺八に関心 を持ち、なぜ実際に尺八を吹いてみようという気になったのか、私 は清い素朴な疑問を何人かの人たちに投げかけてみた。その人たち は、熱心に体験談を語ってはくれたけれど・・・・
 今回のキャンプに限らず、尺八を吹く西洋人に「どうして尺八を ?」と聞いたときに返ってくる答は、たいていつまらない。陳腐で、 私の期待にぜんぜん応えてくれないのだ。神がかり的なことも多い。
 いわく「聖なる夢を見たから」、いわく「私のカルマ(業)だから」。
 この話題に限り、彼らは正直でない。でも、わざとウソをついて いるのでもない。気負っていて、知らず知らず、もっともらしい物 語を創作し、自らそれを信じ込んでいるのだろう。彼らのもっとも らしさは、私には陳腐なこと、思わずクスッと笑ってしまうが、彼 らはあくまで真剣、私が笑えば彼らは怒る。
 なぜ海の向うの人たちが尺八を吹くのか、これから時間をかけて じっくりと、私自身の小さな頭脳と長い足で、考察してみたいと思 っている。
 サンライズ牧場共同体の美しい人たちが、初めて耳にした尺八の 音色にびっくりし、ほれこんで、ぜひコンサートを開いてほしいと 申し入れてきた。うれしいことだった。だから、花咲き乱れる丘の 上のドームで、2回もコンサートを開いた。1回目は参加者による 清らかなコンサート、2回目は4人の講師によるプロ・コンサート。 共同体住人のほか観光客や近隣住民も集まって、盛り上がり、楽し い夢見るようなコンサートだった。観光客の若い女性がそっと私に 抱きついてきて「ワンダフル」。私も「ワンダフル」。
 さて、尺八指導者に恵まれない人たちのために、このような機会 がさらに必要だという声が高まり、シンポジウムが開かれ、議論沸 騰し、「世界尺八協会(仮称)」を設立しようじゃないかというこ とになった。この話はまたいずれ。

(第1話終)