〜“Moo-sun”こと 山室 宜要 プロフィール〜 | |
〜ひとりっこ〜 | |
1958年 5月27日、宮崎県児湯郡高鍋町にうまれる。 1963年 5歳の時、父の転勤で宮崎市内に引っ越す。 1966年春、花見の時 父のハーモニカにあわせて歌謡曲を唄った処、突然の拍手に驚きべそをかく。 |
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〜アルペジオが出来ない〜 | |
1971年春、 日向学院中学に入学。 1974年春、 同高校に進学。この頃初めてフォークギターを手にする。折りしもフォークブーム全盛、かぐや姫の 「赤ちょうちん」をかき鳴らす。 |
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〜気持ちよかった〜 | |
1976年秋、高校文化祭の音楽祭にフォークデュオで出演、トリをつとめる。黄色い声まじりの喝采を浴びて、 スポットライトの味を覚える。 |
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〜博多の青田刈り〜 | |
1977年春、福岡大学進学と伴に福岡に上京、同大学のフォークソング愛好会に席をおき、活動を始める。 当時のフォーク喫茶照和での出演を軸に多くのコンテストに挑戦。1980年バンドに形態をかえるが芽がでない。 次々にメジャーデビューする当時の仲間に焦りながら、模索の日々をおくる。博多の音楽シーンが全国的に注目を 集める中、自分にチャンスが巡ってこない状況に漠然とした才能不足を感じて、活動をやめる。 |
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〜何を今更!〜 | |
月日は流れて、家庭をもち、仕事におわれ、情熱はどこかに消えたはずだったのに同世代のC&Aや T・Jの活躍を親の仇の様にTVを見つめる自分に気付き、困惑する。飲み屋で歌うカラオケに“上手い”と 言われて、この程度だよと自分を慰める日々を送り、いつのまにか40代・・・。 |
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〜異常に軽い誘いだった〜 | |
1998年冬、突然 大学時代からの友人で作曲家の“浅野佑悠輝”から「活動再開するんでコーラス 手伝って!」とのTELに何も考えずにOK。 |
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〜遅過ぎる創作活動〜 | |
即、年6回程度のライブツアーに参加する。翌99年、同ライブで自信のコーナーを貰いボーカルをとるようになる。 これを機に曲作りまで始めてしまって。 |
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〜もう1度 おとなの視点で愛を表現してみよう〜 | |
2002年冬、前出の浅野氏等の紹介で80年代に憧れたアーティスト“濱田金吾氏”の博多ライブ・オープニングアクト を務める。改めて同氏の頑ななまでのアダルトな音作りに感動。師事をあおぐ。この頃より、現在の音楽シーンの 購買欲求の高い年代にしか目を向けない制作姿勢に疑問を持つようになり、大人にも残る切なさ“を世の中 にぶつけたい想いにかられる。 |
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〜みんな、同じ事を考えていたのか〜 | |
2003年春、裏方として音楽業界を支える友人達のバックアップと励ましを得て、自曲のCD化を決意。 |
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〜CDリリース〜 | |
2003年秋、浅野佑悠輝、濱田金吾両氏の協力を得てマキシシングル“タマユラ”が完成する。 | |
〜又出すの!〜 | |
2004年夏、ファーストシングル“タマユラ”初回プレス分が完売。 2004年秋、調子にのってセカンドシングル“fortune”をレコーディング。 |
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