ESBとは?

ESBは、ヴォーカル杉山氏と私が中心になって結成した、オリジナルバンドの名称である。

杉山氏は、高校時代からオフコース大好き人間でフォークギターの弾き語りがうまかった。私と出会ったのは大学のESS(英語研究会と言う人もいるが、私は麻雀合コン愛好会だと思っている)サークルであった。私はロック研で、うまい男性ヴォーカルに出会うことができず、杉山氏をスカウトしてロックバンドを結成。

最初に結成したバンドでは、TOTOやビリージョエルのコピーをしたが、”HONESTY” by Billy Joelを実に哀愁漂う歌声で歌いこなしたのには感動した。翌年、私は4ch MTRを購入、オリジナル曲の多重録音デモテープ作成を始めた。そこで最初に作成した3曲のうちの1曲春一番は、当時アイドル全盛期だった松田聖子をイメージした曲だったが、彼がそれに歌詞をつけて自分で歌ったのが、ESBを結成しようと思ったきっかけであろう。2人のオリジナルまとめて数曲になった時、同級生のキーボードのHikawa Seniorに、後輩ギタリストのKusayama、ドラムスは選考が大変であったが結局同級生のUgata、私がベース、それに女性コーラスを入れてロック研のライブに出演。以来、ライブで必ず春一番をやるバンドとして有名になる。

オリジナルという面ではHikawa Seniorも曲を提供、別途ESSでオリジナルミュージカルの音楽担当KogasukeMikitakaの曲もフューチャーして数曲をこなした。カバーでは山下達郎、EPOをやったり、冗談で「冗談 by 武田鉄矢」なんて曲をやったこともある。あらゆる歌謡曲には手を出し、硬派ロック研の中では超軟派「異端児」バンドであった。

さて、私も‘82年大学を卒業し、就職してから初めてボーナスを手にして、もう少し良い録音機材がほしいと考えた。当時1/4インチ8トラックMTRが、1/2インチ8トラックMTRのほぼ半額で発売(それでも40万近かったが)されたのに飛びつき、8chレコーディングミキサーと合わせて分割払いで購入。4トラックではリズムトラックを1つ(モノ)にまとめてヴォーカルものを重ねていくしかなかったものが、ステレオのリズムトラックができるようになり、ドラムスの定位が本格的に作れるようになったのには感動。オリジナル曲のデモテープ作りや、コピー曲をアレンジして自分なりに多重録音をする日々が続いた。

 

レコーディングの日々

オリジナル曲が増えてきたのに伴い、オリジナル曲だけでL.P.(最近はAlbumと言うが)を作ろうと考えた。作るには資金と時間が必要。幸いメンバーの合意も得られたので、まずレコーディングというものを経験してみようということで、河口湖のKarawayという音楽スタジオに合宿に行った。そこは、レコーディングスタジオ、ミキサー室、ブースが完備され、MTR1/2インチの8トラックがあったので、ビートルズ後期レベルのステレオ多重録音ができた。オペレータも頼んで、まず「November Feeling」「春一番」のレコーディングを行った。ライブしか経験のない我々は、当時主流のドンカマ(メトロノームを一番先に録音してそれに合わせて順次録音していくこと)方式ができず、一発撮りを目指したが、最終的にはヴォーカル、コーラスと一部のピアノ、ギター類は撮り直すこととなった。それでもこの2曲は、非常にライブな感じで仕上がった。(Karawayではこの他に「いざこざドライブウェイ」の録音を行った)

 

‘83年末コンサートに合わせてL.P.を完成させる目標をたて、その他の曲の録音は時間を考えて都内(ABO Music Studio in広尾)で行った。また、自分の8トラMTRを持ち込み、ギター・シンセ類の録音は大学の部室で行い、最終ミックスダウンは自宅で行った。こして全10曲の録音が揃ったが、時間と構成を加味して1曲をボツにし、全9曲の編集を2トラ38のデッキで6mmテープに仕上げた。

 

レコード作りでもう一つ大変なのがジャケット、レーベル、歌詞カード。ここではマネージャのKurose氏に大変お世話になった。写真撮影やプレス発注などは、彼の協力なしでは考えられなかった。彼は大学入学当時から様々な歌謡曲、ニューミュージックの素材を紹介してくれ、オリジナル作成の参考資料となった。様々なライブの撮影も、彼と彼の友人(Mr.Tokutake)にお願いした。

また、ジャケットデザインについても、友人の同級生のMiss Isomuraに前面依頼。パステル調のほのぼのとしたデザインが完成。歌詞カードも彼女のつてで、通産省(当時)ビル内の印刷所に頼むことになり、モノクロながら本格的なものが仕上がった。プレスも日本ビクターと一流会社に頼むことができ、ちょっと贅沢なレコードが無事12月に完成。資金はそれなりにかかったが、全員で分担してまかなった。

今も良く言われるが、自主制作レコードを作った人は私の友人にも大勢いるが、ジャケットや歌詞カードにここまで凝った例はない。今では個人でもCD−Rでプロと同じ録音レベルが可能だが、当時よくここまでやったと思う。惜しむらくは、リバーブがスプリングでプロのプレートとの音質差はいかんともしがたいのと、リミッター・エキサイタなどを使用していないので、平均音圧がかなり低めなこと。しかし、その過度の加工をしていないサウンドは、今でもインディーズとして充分通用するものだと自負している。

レコード発売時のメンバーは以下の通りである。

・宮崎 靖史              作詞・作曲・編曲、ベース、キーボード(一部)、コーラス、パーカッション

・杉山 一英              作詞・作曲、ヴォーカル、アコースティックギター(いざこざドライブウェイ)

・飛河 和生              作詞・作曲、キーボード

・宇賀田 康男          ドラムス

・草山 丈太              エレクトリックギター

・飛河 智生              ピアノ、キーボード

・高野 淳子              ヴォーカル、コーラス

・黒瀬 憲雄              プロデュース、マネージメント

 

この他の協力メンバーとして、かつてメンバーであってコーラスを担当していた金井、曲を提供してくれた古賀、ジャケット担当の磯村、写真担当の徳武、Karawayエンジニアだった上原、予備録音機材を貸してくれた吉田、マネジメント面で新谷垣内・中谷、そして貴重な録音場所やアンプ類を提供していただいたロック研の方々を忘れることはできない。(多くの女性スタッフ・メンバーは旧姓で紹介している)

レコード制作後も、オリジナル曲は増え、2nd L.P.を作る夢は持ち続けているが、未だに実現はしていない。そのうち仕事が忙しくなり、メンバーもほとんどが結婚。子供が小さいうちは充分な活動ができず、実質解散状態だが、定年退職後はまた活動を再開しようという夢は持ち続けている。
以下、試聴コーナーを作成した。各曲とも一部の紹介。(改めて全曲聞きたい方はメール下さい)

A-1 春一番(作詞:杉山一英、作曲・編曲:宮崎靖史)試聴

A-2 いざこざドライブウェイ(作詞・作曲:杉山一英、編曲:宮崎靖史)試聴

A-3るんるん娘(作詞:金井雅子・杉山一英、作曲:杉山一英、編曲:E.S.B.試聴

A-4 SAILIN’ AWAY(作詞・作曲・編曲:Kogasuke & E.S.B.試聴

A-5 BIGWIDE STREET(作詞:杉山一英、作曲・編曲:宮崎靖史)試聴

B-1 黄昏のパステルブルー(作詞:杉山一英、作曲:飛河和生、編曲:E.S.B.試聴

B-2 NOVENMER FEELING(作詞・作曲・編曲:宮崎靖史)試聴

B-3 STARRY-EYED BABY(作詞・作曲・編曲:Kogasuke & E.S.B.試聴

B-4 GETTIN’ ALL RIGHT(作詞・作曲・編曲:宮崎靖史)試聴


最近の話題説明: C:\Users\靖史\Documents\靖史HP\08.gif
 作詩・作曲家の古賀氏から、久々にEメールが来た。彼は某有名作曲家を師匠と仰いでいるが、その有名作曲家が最近作った曲のAメロが、何と我々に提供してくれた曲のAメロとそっくりとのことである。
 その曲は、2003年オリコン1位をとった上、年末に紅白などで流れたため、メンバーも皆感動して聞いたとのこと??? 

 

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