ALEXEI PETROV [アレクセイ・ペトロフ]

1982年モスクワに生まれる。

祖母、母はボリジョイ劇場の歌手。
祖母は旧ソビエト時代に日本公演に参加した事があり、父もプーチン大統領に演奏を依頼されるなど第一線で活動中の歌手である。 このような音楽環境に恵まれた中5歳から音楽の勉強を始めた。

1990年 モスクワ中央附属音楽学校に入学 ホーベン・エレーナ・ベトローブナに師事。
(女史は1904年生まれ、1932年モスクワ音学院附属"特別児童グループ"設立当初から初歩の児童教育に携わってきた人物で、同時代に活躍したS・ブーニンの祖父ゲンリッヒ・ネイガウスなどと共に名教師として知られている人である。)
アレクセイは、エレーナ氏に、 1998年に彼女が94歳で亡くなる迄ピアニストとしての基礎教育を受け、ロシアニズムの流れ受け継いでいる。

1996年 イタリアでの、「若い音楽家の為のセニガリアコンクール3位入賞」 1997年 アンドレイ・ピサレフに師事。(モスクワ音学院助教授、ロシアを代表するピアニストで、2002年6月アメリカ・ソルトレイクシティでのジーナバックアの審査員、コンサートはもちろんマスタークラスの講師などを世界各国で活躍している。)

1998年 アンドーラ国際コンクール1位優勝。このコンクールにより、モスクワ音学院大ホール、ラフマニフホールなどでオーケストラと共演。この模様はラジオ、テレビを通 じてロシア全土に放映されてピアニスト、アレクセイ・ペトロフの存在を知られる事となった。

2001年 モスクワ音楽院入学。
2002年 5月 モスクワにて、ドミトリー・プロロフ指揮、プロコフィエフ・ピアノコンチェルト1番をモスクワ音学院大ホールを初め5回公演を成功させた。

この事で、2003年アメリカ・シアトルにてラフマニノフピアノコンチャルト2番をシアトルフィルハーモニーオーケストラと連続演奏会がきまって、アメリカデビューを果 たした。
ラフマニノフ始めスクリャビン、プロコフィエフ、ショスタコビッチを中心最近の試みとしてアレクセイの為に作曲家の友人のサーシャが献呈した「プレリュード」の紹介、また、現在ロシアで活躍中の作曲家の作品の演奏をするなど『21世紀のロシアの音』の紹介にも積極的に取り組んでいる。


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