今日の一言 その8(5/17)

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本日のお題

臓器移植について

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先日「臓器移植法」に基づく2回目の脳死体からの臓器提供が行われたそうですけど、
家族の意思により公表は摘出が終わってからになったそうです。

ってゆーか前回の最初の臓器提供の時最初にあんだけ大々的な過剰報道しといて、批判が殺到すると
言い訳がましく和田移植の例なんか引き合いに出して「情報開示が必要」って開き直るマスコミ見てたら
誰だって「全てが終わるまで静かにさせといてほしい」と思うのは実に自然な感情でしょうな。

だいたい和田移植ってのは監督官庁(この場合厚生省)や警察に対して情報を提供しなかったのが問題になったんであって
マスコミに対しても情報をオープンにしなきゃいけない必然性は全くないじゃないですか。
だいたい一般国民にそういう情報を公開されても我々医学について全くのド素人にどうやって
適切な移植かどうか判断しろっていうんですか?
っつー気がするんですが…

そういう情報はまず厚生省とか日本臓器移植学会とか専門的な知識を持つ第三者機関に対して公開して
問題があってからマスコミに公表するなり刑事告発するなり、という手順にしてもらわないと
ワケのわかんねぇ情報をいきなりポンと公開されても逆にこっちが困っちゃうんですけど。

とにかく一般行政の情報とは別次元の話なのに「”密室”はよくない」という一言だけで
問題点をすりかえていっしょくたにしてしまうのはどうかと思うし、それ以前に「”密室”はよくない→
大々的に報道→プライバシーなんか知ったことじゃねぇ」ってのはあまりにも短絡的では…

あと、「国民レベルでの本質的な議論が必要」って言われても人間の普遍的な本能として「死」ってのは怖いもんなんですから
極力考えないでおきたいものなはずなのに
議論しなきゃいけないのかよってのが正直なところなんですけどいかがなもんでしょうか。
それは人の「性(さが)」ってもんをまるっきり無視した無機質な意見に私には思えます。

単純に助かる見込みのない身体から使えるモノを取り出して助かる命のために使うんだったら全然OKなように思うんですけど、
それだけのことを決めるのに「死とは何か」「生とは何か」って人間にとってあまりにも根源的すぎて
しかも絶対に答えの出なさそうな議論
をわざわざ通らなきゃいけないんですかねぇ?
実際に移植に携わる人ならいざ知らず、我々一般国民がホントにそこまで考える必要が実際のトコロあるんすか?
俗物のカタマリである生身の人間がみんながみんなそこまで考えられたらそれはそれで逆に気味悪いような気もするんですけどねぇ…

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