さてさて、セリーグは本塁打王へまっしぐらのペタジーニ一人の手によってペナント争いにほぼ完全に終止符が打たれ、
明日からのパリーグ首位決戦次第では日本シリーズのカードが確定しそうな今日この頃、背景画像も変えてみちゃったりして
もうすっかり気分は秋な管理人ですが皆様はいかがお過ごしでしょうか (^^;;
それはさておき、「ここは本当にファンサイトなのか」というほどの真夜姉に対するツッコミの嵐でごく一部で好評な(!?)当サイトですが、
そのなかでも随所でネタにしてる"セルフカバー"についての考察が今回のテーマなんですよ、ハイ。
まず基本的な用語の説明から入ると、人の歌ってた曲を歌うのを単に"カバー"と言います。
んでもってその曲を作った人が他の人に提供した曲をカバーするのが特に"セルフカバー"と呼ばれているわけです。
で、真夜姉の場合、人に提供した曲の中でセルフカバーしてない曲を探すのが難しいほど人に提供した曲はまず自分でも歌っていて、
しかも「Will…」や「ANNIVERSARY」のように岡本真夜ファンの間で高い人気を誇ってる曲が実はセルフカバーした曲だったりもします。
まぁそういうわけでうちでもふざけて真夜姉に"セルフカバーの女王"なる称号をつけちゃったりなんかしてるわけですが、
しかしここまでセルフカバーにこだわってるとなるとそこには何らかの意味があるのではないかという気もしてくるわけで、
そこでいろいろと考えてみてちょっと思いついたことがあるんで書いてみます。
ここまで毎回セルフカバーをやってるとなると、曲を発注する側の立場に立ってみれば「岡本真夜に曲を頼めば
必ず彼女はセルフカバーをする」というのは依頼する時点ですでに前提としてあるわけですよね。
これはフツーに考えれば発注する側にとってマイナス要素ですが、彼女の場合必ず一定期間を置いてからカバーするので
少なくともセールス面でそこまで深刻な影響はないという考え方も成り立ちます。
そこで一度今度は岡本真夜サイドに立って考えてみると、ここまで毎回セルフカバーをしてるということは
やはりこちら側にも「そのうちセルフカバーする」という前提の下に曲を作ってる、という推論は充分成り立つでしょう。
しかも上記のように岡本真夜ファンの間でも彼女のこれまでの作品全体の中で高い人気を誇るセルフカバーの曲まで存在するとなると、
最初から自分用に作ってる曲と少なくとも同等、あるいはそれ以上のテンションで提供する曲を書いてくれるはずだという風に
発注サイドが期待したとしても何の不思議もないわけです。
果たして岡本真夜サイドがそこまでの効果を意図してセルフカバーをしてるのかどうかはわかりませんが、
少なくとも発注サイドに以上のような信頼感を与えているであろうという推論はさほど的外れではないと思いますがいかがでしょうか?