19XX年  岡山県笠岡市で産声を上げる。
19XX年  小学生時代、図画と工作と音楽に異常な興味を示す。
19XX年  中学1年生の頃、ギターを始める、(アコースティック・ギター)
19XX年  中学2年生の頃、オリジナルの楽曲を作り始める。
19XX年  中学3年の頃、バンド活動を始め、エレキ・ギターに興味を持ち始める。
19XX年  高校進学と同時に、地元のサークル、KFC(笠岡フォークソング・サークル)の
      サークル長に任命され、中間・期末テストの最終日に、定期コンサートを地元の
      公民館で主催する。
      それと平行して、大学生に混じってのライブ活動、流行歌を演奏するバンドでの
      ボーカル兼、ギターでライブハウスに出演したりする。(城山ロッジ)
      丁度、その頃「自分にとって使い易いギターが欲しい!」と言う理由からエレキ・ギター
      の改造・及び製作(パーツを組み上げる程度)を始める。
19XX年  東京の専門学校に進学を希望した所、家族に反対され、しかし、どうしても東京に行きたくて
      高校の先輩が会社説明に来た会社に【着物のデザイナー】を志し、上京する。
19XX年  その会社の同僚で、優れたギタリストと出会い、再び音楽活動を再開、コンテストなどに
      応募するも、採用成らず悶々とした日々を送る。
19XX年  ヤマハのポピュラー・ソング・コンテスト銀座大会に、アレンジャーとアコースティック
      ギター演奏で参加、一次予選で敗退する。
19XX年  自分がリズム・ギターに向いている事に気づく、テレ・キャスターの様なエレキ・ギター
      を製作する。
19XX年  仙台で、同じコンテストに出場、アレンジャーとリズム・ギターで参加、地区大会で優勝!
      東北大会では敗退、
19XX年  友人の紹介でバンドを組む企画が有り、参加するも、一向にビジョンが見えず、消化不良
      のまま、自然消滅する。
19XX年  そのバンドのメンバーの紹介で【片岡貴生】と出会う。(リンク参照)
      オリジナルを作る為、ベースも弾けたので、ベーシストとして片岡氏の
      バンドに参加する事となり《気合いの入ったバンド活動》が始まる。
19XX年  本腰を入れてベーシストになる事を決め、高級なベースを購入、しかし、購入した途端!
      バンドが解散になる。
19XX年  再び、悶々とした日々が続く。
19XX年  片岡氏から再び、バンド結成の話が持ち上がり、参加する事にする。
      【PASSING MESSENGER】としての活動が始まる。
      月1〜3回のライブ活動を約2年間行うも、メジャー・デビューの話は無く、唯一の功績は
      プロダクション主催の【FREEDOME EXPRESS 89】で準優勝を獲得した事です。(1973組中)
19XX年   そのコンテストを境に、バンド活動は休止状態、また再び、悶々生活が始まる。
19XX年  いつまでも、悶々としている分けにも行かず、再び楽器の製作に没頭する。丁度この頃は
      ベース・ギターの製作にハマり、4本ほど製作する。
      同時に、アコースティク・ギターの収集にもハマり、生活が破綻する。
19XX年  大量のコレクションを管理する上で、アコースティック・ギターの構造に一抹の疑問を
      感じ始める。弦を緩めないズボラな管理により、トップ(響板)が持ち上がる事を何とか
      ならない物か?と考え始める。
19XX年  剛性を高めて、良い音を出力する研究を、中古の楽器を買って実験し始める。
      楽器を分解して、内部構造の勉強を独学で行う事にする。
19XX年  結局、ギターの胴体部分をくり抜いて、スルー・ネック状態にするのが得策と思い、
      製作家を探し始める。当時、アコースティック・ギターは自分では作れないと思って
      いたのです。
19XX年  製作家が見つかり、実寸大の設計図を送り、1年と7ヶ月の後、完成する。
      出来上がったギターは、トーンは若干高めの物の、独特の世界観と音響を出力し
      狂気乱舞する。
      このギターが完成する間、次のナイロン弦用の設計図も完成する。
      弦をブレイシングに巻き付ける構造は、この時点で発想する。(ヘッド・アレンジですが・・・)
19XX年  楽器メーカー及び、専門誌に売り込みを掛ける。同時に都内の楽器店にPR活動の一環として
      【ご意見伺い】で、楽器を持って徘徊し捲る。
      その結果、アコースティック・ギター・ブックに掲載される事となり、良い関連業者の方々と
      巡り会えた事が、私の一番の宝物です。
19XX年  ナイロン弦仕様のギターを、自分で作る事に決める。材料は地の利を生かし、江東区新木場の
      銘木店で探し捲る。運良く【ハカランダ】のギター用材を手に入れる。(初心者が使う材料
      では無いと思われますが・・・)材料は揃った物の・・・どれを、どうしたら?と途方に暮れる。
19XX年  3年の月日を費やして、やっと完成する。沢山の個人工房の方々に助けて頂き、何とか
      形が出来上がる。
      最初に、弦を張って音を出した時の感動は、今でも心に残っている。
      【新しい、良い音】の誕生だ!と確信する。
19XX年  【なんちゃってルシアーのギター製作奮闘記】を原稿用紙に書いて、以前お世話になった
      シンコー・ミュージック・ムックに投稿したところ、採用されアコースティック・ギター
      ・ブックに掲載される事となる。
19XX年  第二弾の【JPN2000】の製作に、材料に触発され着手する。
      (神代杉とか、神代欅(ケヤキ)を使って作って見たいと思った訳です。)
20XX年  2年の月日を費やして、やっと完成する。しかし、廻りの人からは「普通のギターを作れば?」
      と言われ続ける。そして、【NEO CLASSIC】の設計に着手する。
20XX年  普通のギターのデザインはするものの、いざ、製作に入ると変化球に走ってしまい、紆余曲折の
      末、2年の月日を費やして【NEO CLASSIC】が完成する。
20XX年  鉄弦のギターが欲しくなり、デザインを始める。【ハカランダ製のXブレイシング】と言う
      コンセプトでトップ(響板)を製作した物の、湿度の変化で非常に変化する為、現在 製作を
      保留中。
20XX年  同時に、最高級えぞ松が手に入った為、【JPN2000】の最新バージョンに着手、現在進行中。
2004年  塗装に関してのジレンマが有り、初めての素材【日本リノキシンのヴァイオリン・ヴァーニッシュ】
      を試してみる為に、現在、ウクレレを製作中。
2006年  サドル&ナットを切り出した後、残った象牙素材の有効利用の為、アクセサリーの製作に
      挑戦、殊の外!第1作目が巧く出来上がり、調子に乗って次々と製作する。
      (現在、約1ヶ月で9作のハイペース)同時に、新しいギターの外周デザインを模索中!
      《螺鈿紫檀六弦ギター》の装飾製作の訓練のつもりで、現代風のオリジナル・インレイを
      探求中!(復元では無い、新しいインレイ表現を考え中)