少年M



         



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 信じてもらえないかもしれないけど、僕の趣味は他人の電波をジャックすることなんだ。
 うーん、正確に言うなら「電波みたいなもの」かな。何故かはわからないけど、小さい時から人の思念が僕の頭の中に次々と入ってくるんだ。
 面白いよー。渋谷のスクランブル交差点なんて人の思念が渦を巻くみたいに押し寄せてきて。女の人のうなじの事しか考えてないおじさんとか、通り過ぎる女の人を全員裸にして喜んでる小学生とか、先端恐怖症の女子高生は、好きな男子にボールペンで攻められる妄想ばかりしてたりとか。
 そんな中に、人を殺したいって思念がたまーに混じってる。「殺意」が一番びんびんくるよ。それが強ければ強いほど僕はわくわくするんだ。

 僕の趣味は、そういう奴をちょっとだけ手伝ってあげることなんだ。


 
渋谷のセンター街。仕事を終えた後、竹田賢治は最近よく、この街をあてどなく歩くのを日課にしていた。ひとりになりたくなかった。部屋に帰り、缶ビールを飲み干して一息ついた、その直後から、竹田はそのことばかり考えてしまうからだ。入社した時には同期、今は出世し、自分の上司になっている、三谷明という男のことばかりを。
 三谷はいつも「邪魔」ばかりしてきた。自分が企画したプロジェクトが没になった話を三谷にした三日後、三谷は竹田のプロジェクトの問題点を修正した企画書を提出し、採用されていた。三谷を問いつめるとこう言った。「別にパクったつもりはないよ。きみの話を聞いて面白いな、と思ってさ。もったいないから、ちょっと直して持っていってみただけなんだ。まさか通るとは思わなかったよ」悪びれない、きれいな目で話す三谷を見て、竹田は何も言い返せなかった。
 こんなこともあった。上司になった三谷に指示された書類を作り、三谷に提出してからしばらくして、課長から三谷と竹田が呼び出された。内容は、書類に不備があったために、無駄な発注をしてしまい、多額の損害が出た、というものだった。竹田にミスは無いはずだった。しかし、三谷は、自分のチェックミスを謝罪するとともに、あたかも竹田のミスを庇うような弁解を繰り返した。課長は三谷の熱心さに折れ、許してくれたが、竹田に対する評価は下がったままだった。
 そしてつい一週間前、竹田が大学時代から付き合っている彼女を三谷にとられた。竹田と別れる話になった時、初めて相手が三谷だと知らされたわけだが、彼女は三谷が竹田の上司であることすら知らされていなかった。
 竹田の人生はいつも三谷に「邪魔」されている。竹田は限界に近づいていた。三 谷 が い な く な り さ え す れ ば 。竹田の考えはいつもそこに終着するのだった。

 「ねえ、おにいさん」
 はっ、と我に返ると、竹田の前に15才くらいの少年が立っていた。赤いベースボールキャップをかぶり、まだ9月の半ばにもかかわらず、黒いセーターに黒いマフラーをしていた。
 「おにいさん?」
 少年は催眠術の暗示をかけるように、ゆっくりと竹田を見て、そう繰り返した。
 「…なんだ、誰だおまえ」
 戸惑い気味に竹田がそれだけ答えると、少年はにっこりと微笑んでこう言った。
 「僕、手伝ってあげるよ」



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 少年の名は、宮野令といった。世田谷区の私立高校に通っているらしく、学生証も見せてもらった。「怪しい者じゃないって信じてもらいたいから、どんな質問にも答えるよ」にこにこ笑いながら宮野はそう言ってきた。だがどれだけ質問しても宮野の胡散臭さは俺の中で完全に消える筈もなかった。だってそうだろう?俺が殺意を持っていることも、相手が三谷という男だという事も、宮野は九九でも言うようにさらりと言ってのけた。何故?超能力なんて俺は信じちゃいない。きっとまた三谷が「邪魔」するための仕掛けに違いないんだ。

 「で、三谷を殺すのを手伝うってお前は言うわけだな?」
 「そうだよ。僕は相手が何を考えてるかすぐにわかる。この能力さえあれば、三谷を殺すことだって、竹田さんが僕を全然信じてないって知ることだって、簡単にできるんだよ」
 竹田は混乱していた。宮野の言動は、本当に竹田の頭の中を理解しているとしか思えないほどスムーズだったし、三谷が送ってきた人間にしては、宮野はあまりに幼すぎたからだ。
 「もー、そんなら実験しようよ。竹田さんが6桁の数字を思い浮かべる。で、僕がそれを読み取る。それが合ってたら信じてくれる?」
 「…わ、わかった。それで信じるよ」
 竹田は半ば強引な宮野の提案を承諾した。数字を思い浮かべる。971488。
 「971488!」
 即座に宮野が答える。「ね?当たったでしょ?」
 「お、おう。本当に本物みたいだな…」
 「じゃあ早速作戦会議ね。僕はあくまで手伝いなんだから、三谷は竹田さんに殺してもらわなくちゃ」
 二人は閉店間際のスターバックスを後にし、竹田の部屋へと向かった。



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 真弓、待ってるだろうな。今日はあいつの誕生日だし、ケーキ買って早く帰ってやらないと。プレゼント、喜んで貰えるかなぁ。あいつには昇進祝いに高いスーツ貰っちゃったしな。ちょっとくらい奮発してあげないと怒りそうだし。真弓の喜ぶ顔、早く見たいな。
 それにしてもここの会社は雑用が多すぎて困るよ。今度のプロジェクトだって、何でうちの課がこんなことまで担当しなきゃなんないんだか。竹田は最近疲れてるみたいだし、なんか色々悩んでるみたいだし。今度、気晴らしに一緒に飲みに連れてってやろうかな。今は部下とは言え、元々同期だしな。

 「三谷主任、ファイル終わりました」
 「あ、ごくろうさん。竹田、お前最近疲れてるだろう?もうあがっていいよ」
 「ありがとうございます。じゃあ失礼させて頂きます」
 「うん、おつかれー」
 無表情のまま退社していく竹田を眺めながら、三谷は竹田を心配していた。自殺でもしないだろうな、あいつ。竹田が自分を殺そうと考えているなどとは、三谷の中の選択肢には全く存在しなかった。
 三谷は竹田を尊敬していた。三谷自身は少々抜けている所があり、その場その場でなんとかやりくりするタイプであったが、竹田は仕事が丁寧だし、緻密に計画を立て、それを寸分も狂わず実行できる男だった。三谷に無いものを持っている竹田は、三谷にとって憧れに近いものがあった。
 「よーし、俺もそろそろ帰ろうっと」
 三谷は手早く支度をして、会社を後にした。
 渋谷で一旦下車し、取り置きしておいたケーキをセルリアンタワーまで取りに行く。ここのケーキは有名なフランスのパティシエが作っているとかで、真弓が前々から食べたがっていたのを三谷が覚えていたのだ。渋谷から田園都市線に乗り、三軒茶屋へ。三谷の住むマンションは三軒茶屋から徒歩10分。真弓の勤務先が二子玉川だったので、中間をとって三軒茶屋にした。非常に住みやすい土地だったので、三谷も真弓も満足していた。
 「ただいまー」
 玄関を開けると、そこには黒ずくめの男にナイフを突きつけられている真弓の姿があった。



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 宮野の計画はシンプルだった。竹田が三谷のマンションの鍵を盗み、合い鍵を作って鍵は三谷にこっそり返しておく。宮野は決行当日、三谷と、三谷と同棲中の水口真弓が出社して誰もいなくなった後、合い鍵で部屋に侵入し身を潜める。水口が帰宅したところを宮野が拉致し、竹田にメールをする。そのメールをもらったことを確認した上で、三谷より先に退社し、三谷に気付かれないように後をつける。三谷が玄関を開け、水口が拉致されている状況に動揺している隙を付き、背後から三谷を殺す。もし三谷に気付かれた時は、宮野が三谷を刺す段取りになっていた。
 竹田は殺害現場を目撃されないかを心配したが、三谷の部屋が最上階の突き当たりの部屋なので、エレベーターに故障中の貼り紙を貼ることと、宮野の「誰か来たらすぐに思念でわかるから大丈夫」という言葉に納得し、計画に向けて各自準備を始めた。

 三谷が鍵を財布にしまっていること、そして、トイレに行く時には必ず財布を机の上に出しっぱなしにすることを、竹田は以前から知っていた。竹田の会社は小さなチーム毎に部屋を割り当てられていたので、他の社員の目を盗んで鍵を盗むことも比較的容易だった。竹田は難なく鍵を手に入れ、昼休み中に合い鍵を作り、その日の午後には財布に戻すことが出来た。

 退社後、いつものように竹田の部屋で宮野と落ち合い、三谷のマンションの合い鍵を渡す。それと交換に、宮野はよく切れそうなサバイバルナイフを竹田に手渡す。
 「このナイフは足が付かないから大丈夫」
 どこで覚えてきた台詞で、どこから入手したナイフなのか。竹田が不審がるほどに、宮野は人を殺すことに慣れているようだった。



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 こんな最悪な日ってある?
 朝はゴミ出しの時にばったり管理人に会って、今日は燃えるゴミの日じゃ無いとか、袋の口はもっときつく縛ってくれなきゃ困るとか、色々愚痴を言われるし。あの女殺してやりたい。
 出社して自分のパソコン立ち上げた途端に故障して、結局今日中に仕上げなきゃいけない書類、全部手書き。明日直ってなかったら早退してやる。
 昼休み、お弁当買うのに10分も並んだのに、私の前のおやじで私の欲しかったお弁当売り切れ。そのおやじ、本気で呪ったわ。
 おまけに会社から帰る電車で、隣に座ってた酔っぱらいが突然吐いて。臭いし汚いしもう最悪。
 そして今は、彼のマンションに帰ってきたら、部屋の中に変な黒ずくめの男がいてナイフで脅されてガムテープでぐるぐる巻きにされてる。
 私が何したって言うの?こんな最悪な誕生日ってある?もう泣きそうよ。

 「水口真弓さんだよね?びっくりしただろうけど、しばらく我慢しててね」
 「え?」
 水口は黒ずくめの男が発する幼い声に驚いてそう聞き返してしまった。それに自分の名前を知っている。表札には三谷の名しか出ていないし、水口自身も名を明かすようなことはしていない。
 「あなた…誰なの?」
 「聞いても知らないはずだよ。真弓さんの会社とも、三谷さんとも、全く関係無い人間だから。」
 水口の頭の中を覗き見たように、男は答えた。水口は深く考えることを諦め、素直に男の言うとおりにすることにした。
 「真弓さんって素直な人だね。僕好きだな」
 覆面の下でにこりと笑う男を見て、水口は不思議な感覚にとらわれていた。自分は脅されているのだろうか?こんなに人懐っこい犯罪者に出会ったことなどもちろん無かったが、恐ろしくは無く、むしろ心地良い感覚に、水口は満たされていた。
 「ありがとう」
 水口は思わず、にこりと微笑み返した。


 「ただいまー」
 ガチャン、という音がして、三谷が玄関に入って来た。
 「うわぁ、ま、真弓!」
 すぐ水口の状態に気付き、玄関先で固まる三谷。
 「こんばんは、三谷さん。お待ちしていました」
 水口にナイフを突き付け、三谷の方を向き直して話す少年の口元は、水口に向けられていたのと同じ、アルカイック・スマイルのままだった。



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 ちくしょう。こんなところまできて震えが止まらなくなってきた。落ち着け、竹田、おい、落ち着くんだよ。三谷には気付かれずにマンションまで尾行できた。エレベーターに故障中の貼り紙も貼った。宮野から貰ったサバイバルナイフも部屋で何回も試した。殺し方だって宮野に習ったじゃないか。完璧だ。ほら、見ろよ。お前がずーっと殺したかった三谷は目の前だぜ。間抜けな背中が玄関からはみ出てるじゃないか。あと少しだ。殺せ。殺せ。殺せ!殺せ!!コ ロ セ ! ! ! ! !

 「お前は一体誰だ?泥棒か?金ならやるから真弓を放してくれ!」
 三谷は混乱した頭を回転させながら、必死にそう叫んだ。
 「お静かに願います、三谷さん。あなたの大切な人が殺されたくなかったら、まずは黙ることです」
 宮野の冷静な声が部屋に響いた。三谷は口を真一文字につぐんで押し黙った。
 「それでいいんです。僕は素直な人は好きです」
 宮野はなお微笑み続けている。水口はだんだんとその笑顔が恐ろしくなってきていた。
 「ところで、竹田賢治、という人をご存じですか」
 水口の目が一瞬泳いだ。宮野はそれを見逃さなかった。
 「ああ、知ってる。俺の会社の部下だ」
 三谷が答えた。
 「じゃあ、あなたの恋人の真弓さんがつい最近まであなたと二股をかけていたのが、竹田さんだったということも知ってました?」
 「何だって?」
 その瞬間、三谷の背中に、ぐさり、という鈍い音が聞こえた。
 「ぐおおおおおおぉぉ」
 三谷はそのまま前に倒れ込んだ。その後ろには真っ赤なサバイバルナイフを持った竹田がいた。



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 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
 竹田は肩を大きく動かして、興奮を抑えようとしていた。ナイフは小刻みに震え、目は泳いだままだった。
 「竹田さん、遂にやったね。おめでとう」
 宮野はマラソンで完走した選手を労うような口調でそう言った。水口はその無感情な台詞と、目の前の状況にすっかり怯えきっていた。
 「だけど竹田さん、殺す人間違えちゃったね。三谷さん、とってもいい人だったのに」
 「…?」
 竹田は何が起きたのかわからない表情を浮かべた。
 「わからない?この水口真弓さん。この人を殺すべきだったんだよ」
 「な、何言ってるのよ!?」
 水口が叫んだ。その目は何かを弁解するような目だった。
 「黙れよ、メスブタ」
 宮野の口調が変わった。いや、口調だけではなく、声も、顔も、全てが別人のようだった。
 「お前、竹田と付き合ってたことは一切三谷には話して無いだろ?お前の頭の中は損か得かだけなんだよ。なかなか出世できない竹田に嫌気が差して、出世コースに乗った三谷に乗り換えただけじゃねえか。すごいよな、偶然装って三谷に携帯拾わせてみたり。三谷も竹田も、女見る目ねえな」
 水口と竹田は固まったまま動かない。三谷の背中から溢れる血で、玄関は赤く染まっていく。
 「しかも、」
 宮野は笑った。
 「こいつの腹の中には赤ん坊がいるのよ、三ヶ月目の。昨日病院で検査したんだよな?いやーめでたいね。なあ、竹田、誰の子だと思う?なあ?」
 下品に笑う宮野の質問に、竹田は呆然とするばかりだった。
 「三谷の子?違うね。三谷はインポテンツの種無しなんだよ。こいつの腹の子は、竹田、お前の子なんだよ」
 「や、やめてえ!!」
 水口が叫ぶ。すかさず宮野はナイフで水口の腕を刺した。
 「痛いいいぃぃぃ!!!」
 泣き叫ぶ水口。宮野の顔に返り血が飛び散る。
 竹田の顔からは血の気が引き、自分がどうしてここにいるのかすらわからなくなっていた。
 「竹田さん、ありがとう。今日は最高の日だ」
 宮野は微笑んで続ける。
 「僕の趣味はね、殺したい人の手伝いをすることなんだけど、それで終わりじゃないんだ」
 竹田は宮野の言っている意味がわからない。
 「僕の趣味はね、人を殺した直後の人間の肉を食べることなんだ」
 宮野はゆっくりと立ち上がった。
 「今までさ、色んな人の肉を食べてきたけど、人を殺した直後の肉が一番おいしい、って最近気付いたんだ。それに目の前で人が死ぬのって楽しいしね。それに、」
 水口のお腹を見て宮野は舌なめずりをした。
 「人間になりきれてない赤ん坊の肉まである。今日は最高だよ。デザートまで付いてるなんて」
 水口は出血のショックも手伝って、泡を吹いて気絶してしまった。
 「竹田さん、本当に楽しかったよ。ありがとう、さようなら」
 宮野はそう言うと、ナイフで竹田の首を切り裂き、首筋に噛みついた。



                              終