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SLH - PW_Werke_Korngold | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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Erich Wolfgang Korngold (1897-1957)
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト
1897年、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは、ブルノで気鋭の音楽評論家 ユリウス・コルンゴルトとその妻ヨゼフィーネの間の次男として生れた(彼のミドルネーム 「ヴォルフガング」はモーツァルトの名からとられた)。父ユリウスは若くして19世紀最高の 音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックに才を認められ、彼の後継者として健筆をふるった 音楽評論家であり、エーリヒの音楽家としての成長に大きな影響を与えたと言われている。 幼くしてその楽才を発揮していたエーリヒは、マーラーの紹介によりツェムリンスキーの下で学び、 1908年、若干11歳で大作、ピアノによるバレー曲「雪だるま」を完成させる。この曲は翌年 皇帝フランツ・ヨーゼフ臨席の下で初演され、大変な成功を収めた。その後1912年に大作 シンフォニエッタ作品5を、1914年と1916年にそれぞれオペラ、ポリュクラテスの指輪作品7と ヴィオランタ作品8を完成させる(ふたつのオペラはブルーノ・ヴァルターにより1916年同時初演 されている。)。1920年には代表作、死の都作品12が初演され、コルンゴルトの名声は決定的となる。 コルンゴルトはシェーンベルクなどと同じ時代を生きながら、所謂現代音楽的手法とは距離を置き続けた 作曲家であった。「彼は現代の無調的手法を痛烈に批判した。調性音楽は無尽蔵であり、 旋律とハーモニーの無限の組み合わせは発見されるのを待っている、というのが彼の確信だった。」 ({Hayasaki} S.238)評論家はほとんど例外なく 彼の生み出す旋律の豊かさと美しさについて語っている。恐らく20世紀の作曲家の中でも彼の旋律家としての 才はプロコフィエフなどと並んて最上位に位置するであろうと思われる。加えて、そのヴィーン的な喜悦感や テンポ感がある。これらは彼の音楽を――ティーンの時代から晩年まで変ることなく――特徴付ける要素と なった。 1927年、彼自身最高傑作と自負するオペラ、ヘリアーネの奇蹟作品20が初演される。しかし この作品は、その難解さと父ユリウスの現代音楽批評をめぐるいざこざが災いし、前作のように オペラハウスのスタンダード・ナンバーとなることはなかった。やがてナチスが台頭し、次なるオペラの 作曲もままならぬ中、コルンゴルトは旧知の演出家マックス・ラインハルトの要請により、1934年、 ハリウッドの映画製作に加わることとなる。 ハリウッドにおいても作曲家としてのずば抜けた実力を示したコルンゴルトは、ワーナー・ブラザーズの 映画製作になくてはならない存在となり、映画『風雲児アドヴァーズ』の音楽はアカデミー音楽賞を受賞する ことになった。1938年、祖国オーストリアがドイツに併合されると、コルンゴルトはアメリカに亡命。 生活のために映画音楽の作曲に集中せざるを得なくなる。 戦時中コルンゴルトははクラシック音楽の作曲の筆をほとんど絶っていた。家族の証言はナチス・ドイツの席捲に ショックを受けたことがその原因であることを窺わせている ({Hayasaki} S.180)。戦後、コルンゴルトは クラシック音楽の世界でのキャリアを取り戻すため活動し始める。傑作、ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35や 弦楽合奏のための交響的セレナード作品39などを作曲し、またヴィーンでは自作のオペラの上演のため運動した。 しかしその成果は芳しくなく、「時代遅れ」の評価に激しい失望を味わうこととなった。最後の大作、 交響曲嬰へ調作品40は憤懣やるかたない気持ちを抱きつつ作曲されたと言われている。 コルンゴルトは徒に現代音楽を拒否したわけではなく、彼の作風は無調音楽などの影響によりその表現の 幅を広げていったと言われているし、実際彼自身「シェーンベルクが開拓した豊富な和声を用いずに、閉じ こもっていることはできません」と述べている({Hayasaki} S.111 長木誠司氏の訳の引用)。だがこれに続けて「でも、『古い音楽』のさし出す大きな可能性 への要求も諦めたくはないのです」と述べているとおり、彼の立場はあくまでも伝統的なものだった。結局、 コルンゴルトは戦前のような賞賛を再び浴びることなく、1957年にハリウッドで死去する。享年60歳。 クラシック音楽の作曲家としてのコルンゴルトの再評価は、1970年代頃から始まり、未だその途中である。 **未完**
Klavierkonzert in Cis Op.17
ピアノ協奏曲 嬰ハ調 作品17
Suite Op.23
組曲 作品23
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