検証!ジョン・コラビは本当に駄目だったのか? |
ジョン・コラビという人物を知っているだろうか?。 ヴィンス・ニールが一時期離脱していた時にモトリー・クルーのボーカル&ギターを務めていた男である。 ある雑誌で組まれた特集”器じゃなかった人”という記事にも取り上げられたり この時期の作品もファンからも黙殺されることも多い 「何故に彼は駄目だったのか?」 「彼は本当に駄目だったのだろうか?」 彼の在籍時に生み出されたアルバム”モトリー・クルー”などから検証してみようと思う。 ジョン・コラビはスクリームというバンドでデビューしていた。 モトリー・クルーのニッキー・シックスは彼の歌を気に入り、ヴィンスの後任として白羽の矢を立てたのだ。 まだデビューしてそれほど経っていたわけでもない”スクリームのジョン・コラビ”、まさに大抜擢である。 スクリームの契約が残っているなどの問題もあり長引いたようだが、彼は正式なメンバーとなり 新たなアルバムを作るためセッションやレコーディングに入る。 彼の声質はヴィンスとは全くもって異なる、ハスキーな声である。 ヴィンスが脱退する前に出した楽曲はヘヴィな路線に移り変わる予感を感じさせるものだった。 ヘヴィな新しいモトリー・クルーの楽曲を作り上げるには、ジョン・コラビがまさにうってつけだったという訳だ。 完成しリリースされた作品は”新しいモトリー・クルー”であり、今までのイメージを払拭させるものだった。 タイトルも「モトリー・クルー」と、バンド名を持ってくることで、より強く新生モトリー・クルーをアピールしてるように感じる。 アートワークも彼等のヴィジュアルもイメージを一新させた。 今、その作品を手にとってみても、その気合がビリビリと感じられると思う。 作品の楽曲もヘヴィでありつつもオルタナティヴやグランジと当時の新しい音楽を取り入れ自分のものに昇華し 今までのクルーには無い非常にクールな音楽になっている。 今までのクルーじゃない、新しいモトリー・クルーがそこにはあったのだ。 世界一になったモトリー・クルーだからこのメンバーチェンジにもその後の新しい作品にも当然のように注目は集まった。 しかし、あまりの変化にほとんどのファンは拒絶反応を示してしまった。 全くといっていいほど”違うモトリー・クルー”に人々は戸惑ったのかもしれない。 ファンが求めるクルーでは無くなったのだろうか。 このアルバムは今までのパーティロック的なノリやバッドボーイズロック的な要素とは違っていたのだ。 楽曲も出来も決して悪くは無いだろう(個人的には全部がいいとは言えないが)が彼等変わりすぎてしまったのだ。 それでもこのアルバムは今までのものには及ばないながらも売れた、それは作品のクオリティが高い証拠だと思う。 そんな中、新生モトリー・クルーは当然のようにワールドツアーを行い、ライヴでその真価を披露することになるのだが その結果たるは散々だったようだ。 ヴィンス時代の曲を全くもって歌えていなかったのは、まだ声質の違いから仕方が無いと言えるかもしれない。 しかし、こんな評判まで聞いたことがある。 −アルバムでかっこいいと思えた曲でさえも良いとは思えなかった− こればかりは見た訳では無いし、ブートも入手してないのでなんとも言えないが・・・。 オリジナルメンバーであるヴィンス・ニールが居た時に感じた神懸ったライヴではなかった、という。 残念ながら、この頃のモトリー・クルーのステージであまりいい評判は聞いた事が無い。 強烈な批判が彼に集中したようで、ヤケクソになったのか終いには「俺はもともとボーカリストじゃない!」と言ったとか・・・。 そのワールドツアーの日本来日を記念しての企画盤がリリースされた。 本国でファンクラブ用に作られた企画盤「クォータナリー」にリミックスやデモ・バージョンを加えたもので 「クォータナリー(ロウ・トラックスIII)」というタイトルである。 元の「クォータナリー」とはメンバーそれぞれがソロという形で一曲づつ曲を作り持ち寄った作品である。 トミー・リーの作品はクルー脱退後のメソッズ・オブ・メイヘムを予感させるミクスチャー的な要素があり なかなか興味深いものがある(皮肉にも後にこの音楽性への興味や意欲が脱退の引き金になった)。 他にも情感溢れるミック・マーズのブルース寄りなインスト、ニッキー作のヘヴィナンバーも収録されているが 以上の3曲は後に出た「スーパー・ソニックス&デモニック・リリックス」というレア音源を集めたアルバムに収められている。 そう、彼の曲はここでしか聴けない、ジョンのソロナンバーである、「フレンズ」だ。 リリカルなピアノをバックに歌われるこのナンバーはビートルズを思わせ、懐かしさを感じるナンバーだ。 そして次のアルバムが製作されることになるが、レコード会社の声もありヴィンス・ニールが呼び戻される。 当初はニッキーもジョンをかわいそうに思ったのか、2ndギターとして残すことを考えたそうだ。 ヴィンス復帰前から製作に関わっていたこともあり、ジョン作曲の曲も採用されている。 ギター・パートのアイデアを出したりしてるし、勝手にギターパートを弾いてミックを怒らせた、なんてエピソードもある。 ヴィンス復帰作であるが、「ジェネレーション・スワイン」はジョン・コラビの作品でもある。 後に元KISSのブルース・キューリック&エリック・シンガーらとESPやユニオンといったバンドを組み活動をし いくつかの作品を残している。 そして再びニッキー・シックスから声がかかりニッキーの新バンドであるブライズ・オブ・ディストラクション にギタリストとして加わり ドラムであるスコットも歌えることから、「このバンドには3人ボーカルが居る」とニッキーが誇っていたし そして彼は”セッションしながら曲を作っていける、本物のソングライター”ともニッキーは言っていた。 しかし、彼はまたしてもこのバンドからも離れることになる。 発売されたアルバム「ヒア・カム・ザ・ブライズ」には彼がレコーディングに参加した楽曲が収められている。 現在はジョンはRATTのヘルプギターとして活動している。 結局、彼に不足していたものはなんだったのだろうか? それが彼の器だった、と言えばそれまでだろうか・・・? モトリー・クルーに入ることで有名になったともいえるが、彼はなんだかんだ不運だったともいえる。 あのモトリー・クルーという名義でなく違うバンドとして世に出ていたら、またいたのかもしれない。 ジョン時代のモトリー・クルーのビデオ・クリップも非常にクールだった。 余談ではあるが俺のモトリー・クルー初体験は他でもない、「モトリー・クルー」というアルバムである。 当時は理解できずに好きになれなかったが、今では大好きな作品だ。 このアルバムの聴き所はリズム隊のカッコ良さという点がある。 一曲目を飾る「パワー・トゥ・ザ・ミュージック」のイントロのドラムは特に鳥肌モノだ。 モトリー・クルーというバンドとしては異質ではあるが素晴らしい作品であると俺は思う。 世界一のバンドというネームバリューがジョン・コラビを苦しめたのではないだろうか、と俺は思う。 いきなりの大舞台が彼には大きすぎたのではないか、とも思えるのだ。 人それぞれの感じ方もあるが、来日を見に行った中に、「ちゃんと歌えてた」と言っている人も居る。 ニッキーがスクリームを気に入ったからってクルーにジョン・コラビを加入させたのがいけないんだよな。 あの声で従来のモトリー・クルーの曲を歌うのは無理があるあるのはわかったはずなのだ。 やはりあれはモトリー・クルーであってモトリー・クルーでは無い作品だ。 「あれは素晴らしいアルバムだがモトリー・クルーなんてタイトルにしちまったのが最大の失敗だった」と 後にニッキーは言っていたし。 スターであるヴィンス・ニールは輝いていた ジョンは優れたミュージシャンだけどスターにはなれなかったんだ、と俺は思う。 |