1975
・ 現世に誕生。
・ 母が毎日聞いていたプレスリーやビートルズ(1st〜「ラバーソウル」迄)が
胎教音楽となり その後ロック人生を歩む事が決定づけられた(笑)
・ 生まれてはじめて歌った曲は「およげ!たいやきくん」らしい(両親談)
1983
・ この頃,エレクトーンを始める。
聴音やソルフェージュといった基本的な音楽理論を叩き込まれ、
知らず知らずのうちに絶対音感を会得。
1988
・ TVアニメがきっかけで、TM NETWORKにハマる。
生まれて初めて行ったコンサートはTMの「CAROL」ツアーだった。
(クラスの中で「TMかボウイか?」で意見が真っ二つに分かれていた世代)
「楽曲のアレンジ」に興味を持ったのも,この頃。
1990
・ F県立W高校入学。
吹奏楽部に入部し,打楽器奏者の道を選ぶ。
「自分の理想の打楽器奏者を見つける!」と意気込んでCDレンタル屋へ通っていた時
LED ZEPPELINの4枚目のアルバムと巡り合う。
JOHN BONHAMの存在感ありまくりのドラムに圧倒され、「俺はこの人を目指す!」と
胸に誓ったのであった。
※ なお,高校時代のクラブ活動には良い思い出がほとんどない。
・ 高校2年に進級時、英語専攻のクラスに編入。
クラスメイトからGUN'S & ROSES、SKID ROW、TOTOなどを教えてもらい
担任がLLのヒアリングで取り上げていたEAGLESやSTEVE MIRROR BANDなどで
「ロッククラシック」を知る。
※この頃にZEPのボックスセット「1968-1980」を購入し、毎日毎日聞き漁っていた。
結果、この時代に売れていたHR系ミュージシャンの知識が完全に欠落(笑)
1993
・京都の某私大(K都S業大)に進学。
高校時代に引き続き、吹奏楽の道を選ぶ。(初めてマーチングというスタイルに出会う)
クラシックとは全く異なるテクニックが要求されるため
高校時代からココロを入れ替えて熱心に練習を重ねる。
・ 大学2年に進級する折、寮からアパートに引っ越す。
引越した当日、アパートの階段の下で200本近いHR/HMのカセットを拾い、
HR/HMを本格的に聴き始めるようになった。
この中にはGAMMA RAYの1stや、HELLOWEENの「守護神伝」といった[HMの定番アルバム」
も数多く含まれており、「クラシック風なメタル」に大きな興味を持つようになる。
・ 大学2年の秋、先輩から楽曲のマーチング用アレンジを頼まれ、これ以降卒部まで
演奏楽曲のアレンジに関わるようになる。
(実際は、テープ音源から譜面を起こす「採譜」作業がメインだったのだが)
「音の引き出し」を更に増やすべく、メタル〜ジャズ〜バロック音楽とむさぼるように
曲を聞きまくり,今日の「広大な音の許容範囲」が形成された。
・大学3年の時(1997年2月19日),大阪城ホールで「生PAGE&PLANT」を見て、大いに感激!!
一方で,あまりに冷めた客席の様子も気になっていたりした。
・大学卒業直前に「 インターネット」を知る。
最初に検索したのは勿論,「LED ZEPPELIN」だった。
1997
・ 大学卒業。地元北九州にUターン就職。
激務につぐ激務の為、生まれて始めて「カラダが音楽を拒否する」体験をする。
1998
・秋頃,初めて博多の「ケンズロック」を訪れる。
ジャーマンメタル連発状態の中、単身ZEPの「アキレス最後の戦い」を
リクエストし、大いなるインパクトを撒き散らす(笑)
その後今日に至るまで、片道2時間強という距離のハンデをものとせず通い続け、
数多くの「素晴らしきロック仲間達」と巡り合う。
※ 当初は「4ヶ月に1回」のつもりだったが、だんだん遠征回数も増え
ピーク時は週1回のペースでお店に行っていた事もあった(笑) あの頃は若かったねえ・・・
1999
・ サイト「Led Impulse」立ち上げ。
サイト名はZEPPELINと、大学時代のマーチングバンド名にあやかった。
ここを媒体に,様々なバンドのファンの方々と交流を重ねる。
・「ロックが聞ける場所にはロック好きが集まる」と勝手に思い込み
初めて行った土地でロックバーを探し、単身襲撃する活動を開始。
・ ZEPPELIN方面では、ひょんな事からファンサークル「プラチナ・ペニシリン」の
存在を知り、ここにきてようやく思いっきりZEPを語れる場を得る。
2000
・ 相変わらず,激務の日々を過ごす。
・ 春先には初めて大阪へライブ遠征し(THUNDERのラストライブ2days)、夏には
「やすしくん」ことグラハム・ボネットをボーカルに迎えたANTHEMを観る。
・ BLACK CROWSファンサイト企画で,セッションを初めて経験。
己の技量のほどを知るが,これがきっかけでミュージシャン魂に火が点いた!!
2001
・ これまでの人生で、多分一番ライブに行った年。
・ 10月,広島へZEPPELINのイベントを見に行き、長らく冬眠していた「ZEPPERモード」が復活。
同じ九州で活動しているトリビュートバンド「IMMIGRANTZ」を知る。
・ 年末,地元の老舗ロックバー「ヘブンズドア」(現・小倉ロック座)を初めて訪れる。
ここでも数多くのロック仲間と巡り合う事ができた。
2002
・ 年明け早々、大阪にてBEAUTIFUL CREATURESのライブ観戦。
同月末,エアロスミス@福岡ドーム観戦。翌日から,インフルエンザでダウン。
・ 4月20日,IMMIGRANTZの熊本ライブにてカメラクルーデビューを果たす。
更に10月,同バンドの椎田公演及び「王様&ロバ一頭王子夢の共演」を撮影。
2003
・ 4月18日,渋谷AXにてSPIRITUAL BEGGARSのライブ観戦。
東京滞在中,「歌舞伎町呑んだくれツアー」に初挑戦。
・ 6月24日,大阪にてGOTTHARDのライブ観戦。
以降,海外ミュージシャンのライブ観戦は予定なし(爆)
・ 9月27日,IMMIGRANTZ初の単独公演(at 大分カンタループ2)を撮影。
この時の映像は後に,DVD化される。
2004
・ 2月27〜29日,,「第2回歌舞伎町呑んだくれツアー」に繰り出す。
歌舞伎町名物カクテル「チャーリー」を,13時間に亘り堪能する。
・ ドラマーとしての技量を鍛え直すため,ドラムレッスンに通う事を決意。
市内在住のプロドラマー,大平啓人氏に師事。
・ 7月10日&11日,「高塔山JAM」及び関連イベントにスタッフとして参加。
「高塔山伝説」誕生の瞬間を目の当たりにする。
・ 10月,ラジオの世界へ飛び込む。
・ 12月31日,友達がカウントダウンライブに参加。そのローディーを務める。
大晦日に雪国を体験する事になろうとはねぇ(笑)
2005
・1月より,鉄鋼業界に転職。
交替勤務のため,諸活動に影響が出まくり。
・7月30日&31日,「高塔山JAM 2005」にスタッフとして参加。
多忙のあまり,ステージ上の演奏の事はあまり覚えていない(苦笑)
しかし,新たな「高塔山伝説」誕生の瞬間に立ち会う事ができた。
・10月頭,毎年恒例「大江戸呑んだくれの旅」へ出かける。
今年は久々の徹カラを敢行!!
・10月後半,突如40度の高熱でダウン(約1週間)
この影響で,10月末〜11月に予定していたライブの予定が,全てオジャンになった(涙)
・12月1日より,「ZEP楽曲のカバー情報に関するデータベースサイト」に模様替え。
2006
・2月17〜19日,「多分俺も31歳記念 江戸遠征ツアー」に出る。
行動範囲は,六本木〜渋谷〜原宿〜歌舞伎町〜御徒町とますます拡大!!
命の洗濯はバッチリできたようだ(笑)
・3月より,師匠の勧めでツインペダルドラマーに移行。
・7月23日,「高塔山JAM 2006」にスタッフとして参加。
時折,激しく降る雨の中行われた今回のイベントは,伝説の「ウッドストック」を彷彿させるものだった。
2007
・3月4〜6日,久々に関西へ呑んだくれに行く。
・3月24日,都合によりラジオの世界を巣立つ。
・8月12日「高塔山JAM 2007」,8月19日「紫川ブルースフェスティバル 2007」に
スタッフとして参加。
2009
・2月20〜23日,「マジかよ呑んだくれツアー2009@OEDO」
・5月8日,サイト移転。
・・・つづく。