ギター遍歴 最終章



高校入学。 
同じ中学出身の5人で今度はロックバンドを結成する。高校は2校に別れたんだけどね。 
コピーはほとんどやらずにオリジナル中心。 
以前入っていた音楽サークルは、どちらかと言うとフォーク系だったのと音的にも満足出来なかったので 
新たに自分自身で音楽サークルも作った。 
機材など、先輩や知り合いに安く分けてもらって、月1でライブを開催する事に成る。 

自分で言うのもアレですが、私達のバンドはかなり人気が有った。 
特にヴォーカルとキーボードの2人。 
この2人は2校の文化祭で男子人気投票No1にも成ってるし、初ライブでも500人の女子高生が集まった。 
今で言うとビジュアル系?だったのかもしれない・・・。 
ただ、私達はそれが不満でも有った。 
やはり音でも認められたかったし・・・。 
でも、「人が呼べるバンド」として、あちらこちらから声も掛かった。 
地元のライブハウスや女子大の文化祭に呼ばれたりもした。 
そんな活動して行くうちに男の客もじょじょにでは有ったけど増えて行った。 

また、私が運営していた音楽サークルも人気が出て来た。 
音の良さと奇抜な?企画でかな? 
奇抜な企画とは、当時の神戸市役所のとなりに広場が有ったんだけど、そこにトレーラーを乗り入れ 
それがステージで、平日の昼間にライブを決行。この時、昼休みのサラリーマンやOLなど1500人が集まった。 
そんな事が噂に成り、関西ラジオから「西宮まつりの公開録音をやって欲しい。」と依頼が舞い込む。 
そこで、私達のバンドも出演させてくれると言う内容のものだった。 
私達はこの思いがけない誘いに大いに喜んだ。 
だが、これがきっかけで後々大変な事に成るのだが・・・。 

公開録音は特に問題も無く無事終了。 
で、その放送日。 
私達の演奏がラジオから流れ出した時、関西ラジオ局に「誰が歌ってるの?」と言う問い合わせが殺到した 
らしい。担当のディレクターから後で聞いたんだけどね・・・。 
で、トントン拍子で『レコードデビュー決定!』と相成った。 
これは流石に嬉しかったなぁ。レコードデビューと言う事より、ラジオで認められたと言う事にね。 
ラジオだと音しか聞こえないでしょう?と言う事はビジュアルでは無く、音を評価してもらった事に成るしね。 

そして、加古川野外オンステージで3000人を集め、高校卒業ライブでアマチュア最後を飾る。 

で、プロとして活動開始して行く訳だけど、中々デビュー曲が決まらなかった。 
「他の作曲家に作ってもらうか?」と言われたが、それだけは承知は出来ないし「自分達の曲で。」と 
突っぱねた。 
でも、その代わり条件が出て来た。 
「レコード10万枚売れない時はこちらの用意した曲を使う。」と言うもの。 
私達は「自分達の曲がやれるんなら。」と承諾。 
でも、今考えればとんでもない条件だね。当時の10万枚って今の10万枚じゃないし・・・。 
曲が決まるまでにアイドルのバックバンドとかもさせられ、その間に何十曲作ったか分からない・・・。 
で、ようやくデビュー曲が決まり、レコーディング、プロディース全て自分達で行う。 
「レコード発売日デビューの方がインパクトが有る。」と言う事で、営業、プロモーションは一切無し。 

レコード発売当日。 
そのレコードを聴いて愕然とした。 
ヴォーカル以外はカラオケに成って、しかも、アイドルバンド風にアレンジされていた。 
恐らく、スタジオミュージシャンに録音させたんだろう。 
しかも、レコードは1万枚しか製造してなかったし、初めから、アイドルバンドとしか考えて居なかったみたいだ。 
私達は事務所に対し「契約違反。」と抗議したが、「中々良い曲じゃないか。」と話に成らなかった。 
プロの世界ってこんなものなのか・・・。 
幻滅した私達はプロとして1度も自分達の曲を演奏する事も無く、解散した・・・。 

全てのレコード会社がこうでは無いと思います。 
ただ、プロとして生きて行く為には「売れないといけない。」訳です。 
これは、アーチスト側の「自分のやりたい音楽」と事務所側の「売れる音楽」が必ずしも一致しないと言う事。 
でも、最近ではアーチスト側に力を入れてるレコード会社も増えて来ているようですね。 
少なくとも私達が経験したような事が無い事を祈るばかりです。