孫子と戦争論



私は典型的な理数系で本を読むのが余り好きでは無かったのですが
こと歴史小説に関しては例外でした。
日本の歴史物の『戦国時代』『幕末物』等も好きなのですが、
中国の『孫子』『水滸伝』『三国志』などが好きで特に『三国志』に関しては、
小説だけで無く、古文、文献などの正史の物までも数多くの本を読んできました。

高校生の頃、ちょっとした嫌な思いをした経験があります。
私が「三国志が好きです。」と話していると、或るおじさんが「三国志は演義だから史実じゃないんだよ。」って。

そんな事分かってるよ。

歴史とは当然『過去』のものですし、また『小説』と言われる物は全て『フィクション』である訳で、
『三国志』に関しても、実際には居なかった武将が活躍したり、『諸葛孔明』などはスーパーマンみたいな
活躍をしていたりと『正史』からみるとかなり脚色していますが、それでも『面白い物は面白い。』としか言えな
い。
それに『正史』=『史実』とは言い切れない事が多々有る様に思う。
『正史』とは、当然その時代に書かれて現代まで受け継がれて来てる訳だが、この『正史』を書かせていたのは
その時代の権力者だと言う事。
その権力者にとって都合の悪い事は書かない。って事も十分に有りうる。
現に上杉軍と武田軍との川中島の戦いなどは、上杉領に残っている文献には『上杉軍が優勢』と
書いて有るのに対し、武田領に残っている文献には『武田軍が優勢』と書いて有ったり、
関が原の戦いで自軍の裏切りによって破れた石田光成は『人望が無い』とか言われているが、
本当に石田光成は人望が無かったのか?
この関が原の戦いの当時、石田光成は近江佐和山19石の中大名でしかなかった。
毛利、宇喜多、島津と言った大大名の中、中大名の光成が西軍の大将に抜擢されるなど、
余程の人望がなければ実現しなかったはずです。
結果的に小早川の裏切りにより、西軍の士気が落ち負けはしたが、その『裏切られた』=『人望が無い』と
言うのは胆略的だと思うのです。
多分これは、勝利を収めた徳川家康が光成を支持する武将や人民に対し、『光成』=『人望が無い』と
言う事を触れ回し、光成への失望を促す為に仕組んだのではなかろうか?
そして、勝った自分(家康)は凄いと言う事を知らしめる為に、最終的には『神』にまで成ってしまった。

『史実』だから『良い』のではなく、小説だろうがフィクションだろうが、読み手に何かしら考えさせたり、
感動させる事の出来る書物が良いと言う事です。


ちょっと脱線しましたが、本を読まなかった私が歴史小説だけは読んでいたのは、
色んなヒントが隠されているからです。
昔から『水滸伝』は人物学。『三国志』は経営学に通ずると言われています。
その典型的なのが『孫子』。
『孫子』と言う本を読んだ事がある人も多いと思いますが兵法ものです。
兵法とは簡単に言えば戦争の仕方。
この時代では強力な武器が有った訳でもないので、部隊を如何に優位に立たせるか?
相手の武力を踏まえ、陣形を考え、そして自部隊をどう動かすか?
「孫子曰く、戦う前に勝敗は決している。」
如何に良い戦力をもっていても、相手の事や、自分の戦力を把握していないと、
勝てるものも勝てなくなる。
これを現代に置き換えると、戦力とは「人材」で有り、相手の事とは「売るターゲット」であったりと
少し考えれば、今から2千年前に書かれた物で有っても、未だに経営学の基本と成ってる所以です。

ただ、問題が無いわけでもない。
こと孫子に関しては『簡潔すぎる』と言う事。
『簡潔すぎる』と読む者によって多少の違いが出たりするもの。
その本質を分からずに行う者を俗に『孫子読みの孫子知らず』と言われる。
ようは孫子を暗記しているけど、実際の意味は分かっていないと言う意味で使われています。


また孫子が『東洋の孫子』に対して西洋にも偉大な兵法家がいます。『西洋のクラウゼビッツ』です。
クラウゼビッツは、あの湾岸戦争時にブッシュ大統領も読んでいた『戦争論』の著者です。
『東洋の孫子』
『西洋のクラウゼビッツ』
この2大兵法家はとても素晴らしい人物ですが、『孫子』と『戦争論』では文化の違いがはっきりと
出てる所が興味深い。

『孫子曰く、人を攻めるを上とし、城を攻めると下とす。』
『人を攻めるを上とし』とは人を攻めると言う意味でなく、人を説き味方につける事(勧誘)が上策で
『城を攻めると下とす。』とは力押しなど味方の兵力も失うし、相手の兵力も失うので下策。
「戦争などしない方が良い。」と言っている。

それに対しクラウゼビッツは『戦争は政治の延長に他ならない』
「戦争は止む終えない事。」と言っている。

湾岸戦争時にブッシュ大統領が『戦争論』ではなく『孫子』を読んでいたなら、
戦争にならずに済んだかもしれませんね。