このサイトの目的は僕の身代わりなった女の子の供養のためです。
その女の子の名前は藤沢敏子ちゃん。 僕の家から北へたった二百八十メートルのお寺の女の子でした。 敏子ちゃんは、たったの5歳で亡くなりました。 その日は小寒のとっても寒い日でした。 僕と、敏子ちゃんは同じ日の同じ時間にお多福風邪を発病しました。 休診日だったその日、女医は別な往診の帰路、僕の家により危篤の僕に遭遇します。 医院にも連絡なしで徹夜で僕の看病に専念しました。 僕は一命を取りとめ、敏子ちゃんは手遅れで亡くなるのです。 それはもう半世紀以上も昔のことです。 5歳までの寿命と女医から宣告されていた僕、きっと敏子ちゃんの寿命をいただいので、今も生きているはずです。 それから、さまざまな事件が起きました。 男性なのに女性扱いされることもしばしば。 小学校では同級生の女子から『女っぽいと』苛められ、男女から好かれたことも。 二十歳前後では、二人の男性から求愛されたことも。 二十三歳の夏、男の服装なのにストーカーの被害(未遂)に遭ったこともありました。 でも、奇跡も起きました。 十数回の生命危機を回避したことも、ラッキーな大学合格も、国家試験などで予想的中して合格したことも、作詞や作曲をしたことも、小説や童話もつくれたことも・・・そして女性の声が完璧に出せることも。 すべて、敏子ちゃんのお陰と思っています。 でも、長い年月のこと、敏子ちゃんのことを覚えているのは、僕と、敏子ちゃんご家族だけでしょう。 ご近所でも完全に忘れ去られてしまっていますから。 敏子ちゃんは歌の上手な家系、きっと歌が大好きだったのだと思っています。 そしていつか、天国で、敏子ちゃんとデュエットしたいと願っているのです。 |