「死への準備」日記
私の再発を知った日本の読者から手紙が届き始めた。受け取って嬉しい手紙が多いけれど、こんなのもある。
記事を読んで、思わず泣いてしまいました。近くにいらしたら飛んで行って、一緒に泣いて差し上げますのに。
こういうのには、がっかりしてしまう。私の病気は非常に深刻で、涙にくれている場合ではないのだ。
だいたい、私は六年近く前に癌にかかって以来自分の病気のことで泣いたためしなど、ただの一度もない(友人を癌で失ったときには、ちょっと泣いたけれど)。感傷に浸っている時間などはありはしないのだ。肉体的な苦しさに歯をくいしばって耐えている時間以外は、どうやって残された時間を意味あるものに使うか、だけを考えてきた。
時間の使い方に関する私の考えと実践については、『ニューヨークの24時間』という本にまとめて、彩古書房から出版したばかりだ。時間の使い方は生き方の問題だと思う。
いずれにしても困難に出会ったとき、それを「今こそ自分が成長する機会なのだ」ととらえなかったら、何年生きたって人間は成長しないではないか。
「死への準備」日記 千葉敦子
2001/06/27