「台所にうかんだ地球」
夜中の台所で、ぼくはときどき、テーブルの椅子を3つならべて眠ることがあります。
昼間、台所仕事など少しもしないのに、こうして横たわっていると、今日一日の生活が思い返されてきて、なんとなく心が静まってきます。こんなとき、ぼくの頭の上に地球がポコッとうかんで、クルクルと回転するのが見えることがあります。眺めているうちに、ぼくが地球の上にいることを忘れそうになります。
ぼくが眺めている地球は、ガガーリンやアームストロングさんたちが宇宙ロケットから眺めたように、とっても青くて、静かな地球です。新聞やテレビで伝えられている人々の争いなんて、まるでなかったみたいに、ゆったりと、静かに回っている地球です。
ふと、ゴーギャンが描いた絵のタイトルが思い出されます。
「我々は何処から来たか?我々とは何か?我々は何処へ行くか?」
絵のタイトルとしては、ちょっと風変わりなものです。19世紀末のフランスを逃れ、南の海に浮かぶタヒチ島でかかれた絵です。ゴーギャンのこの問いかけが、100年後に生きているぼくの問いかけになってきます。ぼくだけでなく、この地球に住んでいる人々みんなが、ときどき、ふと問いかけているかもしれません。ほとんど永遠に答えの見つからない問いなのかもしれません。ゴーギャンもきっと、答えを見つけることなく、苦悩の生涯をタヒチ島で終えたのでしょう。
ゴッホのことも思われてきます。弟のテオに書きつづけたゴッホのたくさんの手紙の中に、こんな文章があります。
「いつも星を見つめていると、地図の上の町と村を表示する黒点がぼくを夢見させるように、おのずと夢心地になってしまう。なぜ天空の光点は、フランスの地図よりも、近づきがたいのだろうかと、ぼくはつい考え込んでしまう。タラスやルシアンへ汽車に乗っていくように、われわれは星へ行くために死を選ぶのかもしれない。」
ゴーギャンの「我々は何処へ行くか?」という問いかけは、ゴッホの「星へ行くため」という答えによって、受けとめられています。
夜空に輝く星たちは、ぼくたちの悲しみや苦しさを慰めてくれます。ゴッホにとって、星への旅立ちを夢見ることは、苦しみの連続であった彼の人生の中での安息だったのでしょう。ゴッホが星へ旅立って、やはり100年が経ちました。ゴッホが描いた絵の中に「星月夜」という絵が何枚かあります。ぼくの絵の中にも同じタイトルの絵があります。ぼくも星や月を絵の中にしばしば描いています。
ゴーギャンやゴッホから100年後のぼくには、絵を描くことや、生活することの苦しみも、彼らが体験したこととずいぶん違っているのかもしれません。ぼくには、ゴーギャンのように、奥さんや子供たちを捨てて、ひとりで遠くの島で芸術と格闘するなんて勇気はありません。またゴッホのように、とことんまで自分を追いつめて、絵と一体となった生き方をする一途さに欠けているようです。多少のことは我慢するとして、好きな絵が描ける暮らしができればいいな、と思っているのがぼくだと思います。でも、このこともそれなりに困難さがあるんだな、としばしば意気消沈しています。
そんな時は、ゴッホやゴーギャンたち、たくさんの先達たちの仕事ぶりや生き方を思い出すことにしています。そんなことですから、ぼくの描く星や月は、ゴッホがあこがれた星や月とは少し違うようです。なんだか星や月にも見守ってもらいたいと、こころのどこかで思っているような絵なのかもしれません。
台所で、ぼくの頭の上にうかんだ地球を見つめながら、こんなことを考えます。
『SPACE IN THE HEART』
成瀬正博
2001/06/27