COLUMN THE JIGSAW  SEX

子宮の気持ち 1

”S女の悲しみ” 木村恵子

 最近私は雑誌や小説等のSM物によく目を通すのだが、
今私がいるダラスのホテルのTVでポルノを全裸で見ていても
全く何も感じないのと同じように、”M女の告白”などへどがでてしまう。
そこから先へ行けない人、頭が悪くて本当に嫌だ。
男から裸で歩いて来いと言われてびくびくしているようなM女。
それなのに濡れたとか何とかって冗談じゃない。
女がやる時は本気になれば半端じゃないのだ。
そういう私にとっては”S女の悲しみ”というものがとても美しく思える。

 S女の悲しみとはいったい何か。
その前に女は基本的には”M
(マゾ)”であると私は思っていると言っておきたい。
男の腕や背中からいくら血が出ようと別に何とも思わない私などは、
それは女は血を見るのに慣れているからだと勝手に解釈している。
それにその男を心底愛していないからだろう。
女王様として君臨し、男を豚呼ばわりして精神的に苛める方が
より知的な遊びであるのは当り前だが、
スカトロやカニバリズム、道具プレイや死体愛、獣愛等アブノーマルSEXに走る人は
やはり愛が足りないのかもしれない。

 本当に心の底から愛する男と出逢えた時にS女は簡単にM女へ、
女王様から愛の奴隷へと成り下がれるものだ。
愛する男にならたとえ手足を切られても、
目の中にペニスを押し込まれてもいいと思うのが女だ。
自分を征服してくれる男を潜在的に求めているのにそれが満たされない。

 また中にはMになるのが怖くてSになっている女もいる。
それは単に臆病な女だ。
痛みや流血、辱めを受けることの喜びを知らない女、
要するに自分を守ろうとする意識が強いため
女王様になって他者を傷つけている悲しい女。

 人間なんて強いものの下で庇護されてぬくぬく暮らす方が楽に決まっている。
言われるままにお仕えし、ご主人様を喜ばす事が至上の喜びであれば
こんなに完成された関係はない。
ただ問題はもしご主人様に魅力がなくなり、愛が消えた時に
元々Sだった女はご主人様を足蹴にし、イニシアチブを取り戻し、
新たなご主人様を探す旅に出るしかない。

 Sの不幸……それはMになれない不幸だ。
自分の理想や愛を満たす相手を探し続けても巡り会えない淋しさを
豚男でまぎらわす空しさ。
男に出逢う度に苛めて差し上げても、
”この人もやっぱり違った……
ああ私のいとしい殿方はいったい何処においででせう”と
人には見せることのない涙で枕を濡らしては、
いつかその方の下でM女としてひざまずく自分をイメージして
夢の中でオナニーをしているのだ。

 S女の女王様パフォーマンス……
それは果てしない淋しさと悲しみの極みなのだ。


キムラケイコ
 ミュージシャン。
現在、秋のコンサートに向けて”Hな女”ぶりに磨きをかける毎日。
子宮にくるものが好きでたまりません。