ボーカルの女(2005/8/27更新)

中学のときから、バンドでうたっていました。

ちっともうまくなりませんでしたが、

それが今の自分を助けることになりました。


久々の更新です.

よくテレビのワイドショーとかで,「プライバシーのために音声を変えてあります」とかいうのがありますよね?新しいガレージバンドでそれをやってみました.そしたら,自分のボーカルがいやにうまく聞こえるようになりました.これって,元声がいかにへたくそに聞こえる汚い声かということか!

それではブラックモアズナイトのスピリッツオブザシーをどうぞ.


よく歌っている曲(mp3)

タイムマシンにおねがい(サディスティックミカバンド「黒船」に収録)

デトロイトロックシティ(KISS「ALIVE II」に収録)


このページは覚え書きみたいなもんです。


小学校のころは、そんなに歌を意識していませんでした。

が、中学に入り、普段、誰にでも厳しい音楽のコワイ先生に、人前で初めて、歌をほめてもらったことから、自分のボーカルを強く意識するようになり、歌が好きになりました。

中学3年の晩秋に、HRSくんから、バンドに遊びに来ないかと誘われました。1回目のバンドのときは、私は風邪をひいて高熱で行けませんでした。引っ込み思案だったんでしょうか。それでも2回目もう一度、誘ってくれて、今や外科医として救急医療に携わるSM君のおうちに行きました。SM君のおうちには、バンドできる部屋というのがあり、そこにドラムセットやら、ギターアンプがありました。20畳くらいあったかなあ。HRSくんは、普段、ギターを弾くひとなんですが、ドラムがいないということで、ドラムを叩いていました。

歌ってみなさいよということで、エリッククラプトンの「I shut the sherif」を即席でコーラスつけました。この曲は聴いたこともなかったし、一緒に歌っているHDJNくんも慣れていなくて、というか、その場に居た人で知っている人はそのHRSくんのみで、なんだかとっても心細い感じでした。

このとき、課題としては、カルメンマキの曲とミカバンドのタイムマシンにおねがいをテープでもらっていたような気がしますが、歌った記憶がありません。

さらに、その後、学校で、SM君から

「HDJNくんが受験のためバンドを抜けるから、バンドは解散」

と告げられました。体よくクビにされたんですが、(今から考えると当たり前ですが)この後、責任を感じたSM君はTDKくんに、ボーカルとして私を紹介してくれました。実はこのとき、(たぶん)TDKくんもあまり乗り気ではなかったとおもいますが、(たぶん、女の子をいれるなら、もっとかわいい子がよかったとおもいます)なんとなく、次の練習に顔出してみるか?といってもらいました。

このバンドは、中学棟の1階の工芸室(女子の私が入るのは初めての部屋でした)を借りて練習していました。TDKくんがインターアクトクラブにはいっていたので、そこの部室にアンプや楽器をおいていました。これらを工芸室へ運び込んで練習していました。このときの情景は今でもはっきり覚えていて、一番右側にドラムセットがあり、その横にベースアンプ、つづいてギターアンプ、一番左にキーボードがありました。キーボードを見ると、クラスで苦手だったHRKWくんがいて、ちょっとびっくりしました。とりあえず、歌って見ろということで、タイムマシンにおねがいをやりました。のどをしぼりながら、一生懸命歌いました。

歌った後、リーダーでギターをひいていたTKDくんに

「気に入ってしまった!」

といわれ、加入が決まりました。これが運命の一言だったと思っています。そのときの私の歌ったテープは、いろいろな人の手に渡り、これによって、バンドメンバーとして、みんなにも認められた様な気がします。

私は、それまで何の取り柄もありませんでしたし、(今もありませんが)テンパーで、顔もぶさいくで、中学高校とまともに男子とつきあったこともないような女子だったんですが、バンドメンバーとして受け入れられ、その後、他のバンドにもボーカルとして何度か呼ばれ、これが、後の人生で、結局生きる糧となりました。

というわけで、このバンド鸞で歌った曲、ひとつひとつが、今でも非常に重要な曲となっています。なんだか喧嘩っぽいこともしたりもしましたが、鸞のメンバー一人一人にとても感謝しています。ありがとう。


鸞のページへ

中学高校時代のバンドのページへ

そうちゃんによる中学高校時代のバンドのページへ

大学の頃のバンドのページへ

全く音楽を聴かずやらなかった10年を経て

ブラックモアズナイトバンドのページへ


ジオシティジャパンのホームページへ