『大人の事情/カンザスシティ・バンド』 【曲目解説 by 下田卓】 |
1. ちょっとそこ行くレイディ 作詞/作曲 下田卓
C&W歌手ハンク・ウィリアムスのヒット曲に「Hey, Good Lookin'」というのがあります。オリジナルはユーモラスな内容とのどかな曲調で楽しい曲ですが、レイ・チャールズがカバーしてるバージョンがあって、こっちはビッグバンド・スイングの迫力カッコいいアレンジで、なるほど、いろいろやりようがあるもんだなー、ウチもやってみるか、と思ったんです、そもそもは。で、こんなテイストのオリジナル作っちゃおかな、となったんです、結局。 「ベイビー」という言葉は歌で頻繁に使われますが、この曲は「レイディ」にしました。すっとした、凛とした、大人のイイ女。こんな街じゃまず見かけねえよ、あんなイイ女!清水の舞台から飛び降りるつもりで一所懸命口説く下町のニイちゃん。 20年前、服買ってやるとか美味いもん食わしてやるとか言って彼女を競馬に連れて行き、カタいはずのレースが外れて落胆する私を見かねた彼女がラーメンご馳走してくれた、そんな記憶も作詞に一役買っております。 2. スイート・ジョージア・ブラウン Sweet Georgia Brown 日本語詞 下田卓/作曲 Ben Bernie-Kenneth Casey-Maceo Pinkard もともと好きな曲で、デキシーのバンドでも演るし、昔やってたスウィング デヴィルズというバンドでもレパートリーにしてました。音楽的なことを言うと、コード進行がユニークで、いろんなメロディを展開したいという“アドリブソロ魂”をくすぐるんですねえ。 詞の内容はというと、訳したところでほとんど意味がなく、また、この曲が作られた1920年代当時の言い回しや言葉遊びが含まれてたりする。たとえば"two left feet(2本の左足)"で「ダンスがヘタ」って、わからないですよね。そんなわけで、この際モチーフのみ残してまったく創作してしまいました。 歌は、前半がフランク・シナトラを気取ったつもりが舟木一夫になってしまった感じ、後半は本音剥き出しの絶叫系、いずれにしても「ウザい中年男」というコンセプトです。 3. ほったらかしママ 作詞/作曲 下田卓 この「たったらたんた、たったらたんた・・・」というのはピアノ・フレーズで、僕が大好きなジェイ・マクシャンなんかよくやるんですね。ミディアム・テンポでブルースなどやっててこのフレーズがでてくると小気味よいジャンプ感が増してノってくるんですが、このフレーズに言葉を乗っけて曲にしようと、いうことでできた曲です。 作詞の過程で「やっぱりムリ」とか「しっかりして」とか、その他ここに書くのも憚れる下品なフレーズも含めて案が多数出ましたが、「ほったらかし」に落ち着いたと、で、落ち着いた理由の一つに、この「ママ」という言葉が続いたというのがあります。「〜ママ」というタイトルもジャズ、ブルースじゃ一般的だし、ラッキー・ミリンダー楽団の「Big Fat Mama」みたいにコール・アンド・レスポンスで楽しい曲にすることも狙いだったので、「ほったらかしママ」、ね、よかったですよ、ええ。もしも「やっぱり無理パパ/しっかりしてパパ/まったく駄目パパ」になってたら、悲しいぜー、なあ。 4. Love For Sale Blues 作詞/作曲 下田卓 ある日の深夜、マイルス・デイビスの『1958』という有名なアルバムを聴いていました。マイルスのハーモン・ミュート、ビル・エバンスのピアノの独特なボイシング、全体にかかってるリバーブエコー、いかにも深夜向きなサウンドで、その音の世界にどっぷり浸かっていたのですが、「Love For Sale」というコール・ポーターの曲が始まってすぐ頭の中に映像が浮かんできたではありませんか! 一人の女性の視点でシーンは展開されるのですが、マイルスのソロのときは真っ暗なアパートの部屋の中で鏡に向かい化粧をしている、やがて部屋から出てアパートの階段を降り、暗く静かな裏通りを歩いてゆく、キャノンボール・アダレイのアルト・サックスに移ったところで裏通りから絢爛と喧騒のニューヨークの繁華街に踏み出す、陽気に色香をふりまきながら道行く男に声をかける、そして大柄で落ち着いた感じの黒人男性が登場するのがジョン・コルトレーンのピックアップで・・・、みたいな感じで、とにかくリアルな映像で、ERとか、あんな感じ。このレコード、僕が高校生のとき買ったやつだから、かれこれ20年以上聴いてるのにこんな映像が浮かんだことなんか初めてで、早速そのイメージで日本語の詞を書いたわけです。 ところが出来上がった詞を曲に乗せて唄ってみたら、なんか違うんだよなー、これは、日本のポップス系女性歌手の人が「ジャズのスタンダード・ナンバーを唄ってみました」的なノリだ、KCB色じゃない。というわけで、「Love For Sale」とは全然違う、もっとトラッドなコード進行にその出来た詞を乗せて出来上がった曲です。 そうすると今度は、1937〜8年代頃のビリー・ホリデイの曲みたいなサウンドイメージが湧いてきたり、JATPの有名なジャケット、裸でベットの端に泣き伏せるイラストのやつ、あんな絵が浮かんできたり、結局タイトルだけ「Love For Sale」の痕跡が残ったと、そういうわけですね。 「黒い猫のブルース」に続く“KCB 街の女シリーズ”第2弾。そんなシリーズ、あったんですねー、へえ。 5. 間抜けなジェム・ジョー 作詞/作曲 下田卓 ホット・リップス・ペイジのレコードを聴いてたら、街の金融屋に金を借りる歌があって、もう、こんな歌があることがそもそもどうなんだ、で、僕のツボなわけです。で、それにヒントを得て作った曲がこれで、物心ついた頃から盗み・かっぱらいで暮らしてきた男の歌です。 “黒人伝承民話を題材にしたジャズ・ソング”みたいな体裁をとりたかったので、そいつにジェム・ジョーという名前をつけて「その昔 この町に〜」という歌い出しにしました。打ち合わせの場に運悪く居合わせた宮崎有加さんに「デュエットしてくんない?」と軽々にお願いしちゃったんですが、なんだか「昔話」感がすごく出ました。有加ちゃん、ありがとう! ちなみに「ジェム・ジョー」の語源は「税務署」です。それから、2番の詞に登場する「公園のベンチで財布を抜かれるばあさんはジェム・ジョーの実の母親なのか」という質問をいろんなところで受けるのですが、これはね、わかりません。僕自身「わからない」というままにしておくのがいいと思ってそうしてます。その方が想像が広がるしね。 6. モイスチャー・ガール・ブルース 作詞/作曲 下田卓 KCBはとにかくブルースをやります。一回のライブで18曲やったとして、10曲、半分以上ブルースということもあるくらいで、これもカンザスシティ・スタイルなわけです。で、オリジナルのブルース・ナンバーはというと「なんていい話」「26インチ・ブギ」といったアップテンポ・ジャンプもの、あるいは「おーい、お医者さん」みたいなスロー・ブルースはあれど、ミディアム・テンポでレイドバック気味にロッキングするブルース・ナンバーがKCBのレパートリーにはなかったんですねー。よし、そういう曲を作ろう!歌もちょっとカッコつけた感じで、気取ったコーラスが入る50年代西海岸リズム・アンド・ブルース風な曲を!で、これが出来たのでした。 冬の空気がすごく乾燥した頃に作ったんで潤いを求める歌になりましたが、梅雨時に作ってたら「つるつるう〜、さらさらあ〜」になってたかも知れません。そうなると「さっぱりするぜ〜、俺の心の脂を洗い流す界面活性ガール」みたいな歌になってたのかねー。しかし、歌なんて、なんの拍子にできるか、わかんないねー、勢い勢い、大体大体、適当適当。 7. ロックアウト・ベイビー 作詞/作曲 下田卓 この曲こそ適当に出来てしまった曲ですね。この、“「部屋の中に入れてくれ」っつってドアを叩く”という歌が過去どれほどあるかというくらい定番で、それからこの曲のストラクチャー、コード進行とか、これも過去どれほどあるかという、だからこれは“滑稽で愉快なダンスナンバー”という程度の、消耗品、なくてもいい、他の曲にすぐ取って代わられるような、そんな扱いの不憫な曲です。だもんで、解説もこんなに短い。 8. Moca Runo 作詞/作曲 下田卓 実は「Moca Runo」には過去全く違うバージョンが存在していました。詞の内容ももっと軽く、曲調も軽快なソン・モントゥーノで、1度だけライブでやったことがあったんですが、大人の事情でその後二度と演奏されることなくなりました。 今回アルバム制作にあたって、一曲はラテンリズムのナンバーを、そして「Moca Runo」という曲の復活を、と考え、練りに練って練り上げて、装いも新たに蘇ったのがこれです。ティト・ロドリゲスのようなムーディーでダンサブルな線を狙ったつもりだったんですが、昭和50年のレーキャバ感が強く、歌謡臭漂う楽曲となりました。高橋三雄さんのアルトサックスがたまりません、最高! それにしても試薬の治験が歌になるとは自分でも思ってませんでしたが、このー、なんですね、手っ取り早くまとまった金を作って故郷に置いてきた家族に送金しなきゃ、そのためには自分の命を縮めても、という心情は、なんつーのでしょうか、人間の弱さ、脆さ、でも優しさ、みたいな、なんつーのでしょうか、アメリカの兵隊とかもそういう、そのー、貧しいやつが金のために志願して危険な地域に送られてたりするわけだ、だからそのー、貧困と搾取がどす黒く渦巻く社会じゃ人の命の値段にまで格差があるっていう、なんだか、笑っていいんだか、胸を痛めていいんだか、怒りを覚えていいんだか、そんな諸々の感情がない交ぜになった曲、そいでもってラテン・ダンス調、レーキャバ歌謡系。わけがわからないです。 9. ジプシー・マリー 作詞 阿木燿子/作曲 宇崎竜童 僕が小学校6年生の頃、ダウンタウンブギウギバンドの「スモーキン・ブギ」という曲がヒットしてて、当時600円くらいだったシングル盤を買いに町のレコード店に行ったところ、その店内に発売されたばかりのダウンタウンブギウギバンドのライブ盤『脱・どん底音楽会』がかかっていました。僕は買う予定の『スモーキン・ブギ』シングル盤を手に取ったまま、ずうーっと、ずうーっと、お店の人がA面B面全部かけるもんだから、また、宇崎竜童さんのMCが面白いもんだから、ずうーっと、聴いていたのです。そのレコードが欲しくて欲しくて堪らなくなった僕は、後日、親に2300円をねだって買ってもらい、それからしばらくというものそのライブ盤ばかり何度も何度も繰り返し聴いていました。そして繰り返し聴くたびに僕の心をじわじわ掴んでいったのが、ヒット曲の「スモーキン・ブギ」でも「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」でもなく、「ベース・キャンプ・ブルース」と、この「ジプシー・マリー」だったのです。 それから30数年を経て今回この曲をカバーするに至ったわけですが、懐旧ではなく、音楽的な紆余曲折の先にこの曲を再発見したような感じです。間奏に「セント・ルイス・ブルース」を挿入する絶妙のアイデアも含めデキシー調の基本アレンジはそのままに、クラリネットやトロンボーンも入れて賑やかに、そして旧き場末のストリップ小屋のイメージでお客の拍手と歓声のSE、KCB版「ジプシー・マリー」が出来上がりました。 10. ラッキー・オールド・サン That Lucky Old Sun 日本語詞 下田卓/作曲 Beasley Smith-Haven Gillespie 学生の頃、レイ・チャールズのバージョンを聴いたことがありましたが、そのときは特に何とも思わず詞も頭に入ってこなかったのです。ホット・リップス・ペイジのバージョンを聴いたのが2〜3年前、とにかく詞が説得力を持ってよく聞こえてくるんです。聞き取れない箇所を知人のアメリカ人にとってもらって、詞の全編を読み、改めてリップスの音源を聴き、僕は心底この歌に感動したのでありました。人生の辛苦と超然とした自然との対比で構成される詞は「Ol' Man River」と同工ですが、やっぱりこういう歌は40歳台半ばの今頃、やたら心を揺さぶられるわけですなあ。 この曲が持つスピリチュアル・ソング的な雰囲気を生かすため小林君にオルガンを弾いてもらい、間奏に差し挟んだニグロ・スピリチュアル「Nobody Knows The Troubles I've Seen」は丸々オルガン・ソロです。一方で、デューク・エリントンがよくやるようなワークソング調のリズムと重たいホーンのハーモニーを配しました。 ほぼ直訳に近い感じの日本語詞ができたのですが、この曲、実は30年ほど前に京都・拾得のマスター、テリーさんが日本語詞を作られていて「久保田真琴と夕焼け楽団」というバンドが演奏していたということで、日本でも馴染みの方には馴染みの曲だったんですね。。 11. 励まし系俺式 作詞/作曲 下田卓 みんなで手拍子を打って楽しく盛り上れる曲を書こうと思ったのですが、出てくる歌詞のフレーズが「〜ないさ!」ばっかりで、どうしてこう否定的な言い回しになるかなー、語気に勢いはあるんだけど。じゃあ否定的なことを否定すれば肯定的になるはずだと、「落ち込むことはないさ!」「泣くことはないさ!」とか。で、励ます歌になったわけで、励ます歌っていいなー、前向きで、明るくて、俺にもこういう曲書けるんだ。と思ったものの、励ますのって励ましてる方が元気なだけで、励まされる方にとっちゃあうんざりだったりすることだってあるよなー、うつ病の人になんか無責任に「頑張れ」とか言えないよ、と僕の中の否定的な部分が再び否定方向に走りそうになります。でも自分の大事な人がすっかりダウンな状態だったら、やっぱり元気になってもらいたいし、何て励ましたらいいんだろう。 植木等さんの歌に「だまって俺についてこい」という曲があります。「ぜにのないやつぁ俺んとこへこい 俺もないけど心配すんな」 この詞がいいのは「俺もない」ことなんですね。さすがだねー、青島さん。 かくして“俺式”の励まし方は「こうすれば解決するさ!」じゃなくて、「俺をみてみろ いいことないけど 夕べ流れ星を見たぜ!」という、それは励ましてるのかどうなのかわからない、そんなスタイルになりました。いや、励ましてはいるんですよ、一生懸命なんです。でも一生懸命励ましてるうちに、自分自身を励ましてるみたいになっちゃうところが、かっこ悪くていいわけです。 12. 帰り道 作詞/作曲 下田卓 この二人は、過去に付き合ってたか、一緒に暮らしていたか、でもうまくいかなくて別れたんですね。しばらくぶりに再会したときにはそれぞれの生活があって、それはそれで、まあまあうまくいってる。飲むほどに、いろんなことが思い出されるほどに、懐かしい気持ちが呼び覚まされますが、それは口にはしません。今の暮らしがあるからだけではありません。今の気持ちは今だからで、もしよりが戻ったとしてもいずれまたうまくいかなくなるに違いないことはお互いに知ってるからです。だから二人は寄り添ったり見つめ合ったりしないんです。あんまり気持ちが盛り上っちゃうとマズいから。終電が行ってしまったことを言い訳に始発の時間までもうしばらく一緒にいられるものの、別れの時が近づけば近づくほど切ない気持ちはつのります。 ノラ・ジョーンズとレイ・チャールズのデュエットで有名な「Here We Go Again」に似た世界観ですが、始発待ちの某駅で見かけた光景から妄想を膨らませて出来た歌です。酒に寄りかかった、あんまりカッコよくない話ですけど、まあいろいろ事情ってモンがあるわけです。大人ですから。 2007.カンザスシティ・バンド リーダー 下田卓 |