ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」&ピアノ協奏曲第3番
1)ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第8番ハ短調op.13「悲愴」
2)ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番ハ短調op.37
●演奏
スタニスラフ・ブーニン(ピアノ)
ギュンター・ピヒラー指揮オーケストラ・アンサンブル金沢*2

●録音
2007年11月14日 石川県立音楽堂 コンサートホール
2,800(税込)
発売日: 2008/06/25 EMIミュージックジャパン TOCE-56093

日本で特に人気の高いピアニスト,スタニスラフ・ブーニンとギュンター・ピヒラー指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)が共演したベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とブーニンの独奏によるピアノ・ソナタ第8番「悲愴」とを組み合わせたアルバム。どちらの曲もハ短調というベートーヴェンにとって「運命」の調性で書かれている点で統一感が作られている。

ブーニンとOEKは,石川県立音楽堂で何回か共演を行っているが,いずれも,"独奏曲+協奏曲"というプログラム構成を取っていた。また,その時の指揮はいずれもギュンター・ピヒラーだった。今回のCDも,そのとおりの内容となっている。一見,ブーニンとピヒラーとでは,かなり音楽性が違うように思えるが,毎回,この組み合わせであるところを見るとお互いに意気投合しているのだろう。自在なテンポで演奏しようとするブーニンのピアノとそれを引き締めようとするピヒラーの指揮とが,不思議な引力でつながっている。

最初に収録されている「悲愴」ソナタは,以前のブーニンの演奏に比べると,かなり落ち着きのある演奏となっていると思う。冒頭の音から強靭かつクリアな音で,堂々とした世界が広がる。主部もそれほど速いテンポではなく,推進力よりも落ち着きを感じさせてくる。ブーニンの以前の演奏からは神経質な雰囲気を感じることがあったが,丸くなったともいえる。ただし,時々,フェイントのようなテンポの動きが出てくるのは,従来と同様である。

第2楽章は,比較的さらりと始まった後,だんだんと深みを増して行くような演奏である。この楽章の表情記号は「アダージョ・カンタービレ」であるが,滑らかに流れるカンタービレではなく,何かをたくらんでいるような”ためらい”が感じられる。それが楽章の後半に行くほど拡張され,独特の孤独感や叙情性を感じさせてくれる。第3楽章も落ち着いたテンポで始まるが,ここでは,気まぐれな雰囲気はなく,がっちりとした音の構築感が感じられる。どこか,ピアノによるバッハ演奏を聞いているような厳格な感じがあるのが面白い。

ピアノ協奏曲第3番は,暗い情熱を秘めた序奏から始まる。ピヒラー指揮OEKの演奏は,ブーニンよりはストレートで,古典派音楽らしく,すっきりとまとまった形の良さを持っている。その一方で,ブーニンのピアノと共通するような瞬発力や密度の高さも持っている。

この序奏に続き,独奏ピアノがしっかりと噛み締めるように入ってくる。重苦しくはないが,安定感のある音楽は大変聞き応えがある。ブーニンの音は,ソナタの時同様,大変クリアで,ところどころ意表を突くようなテンポの動きはあるが,全体としては,一本芯の通った正統性を感じさせるベートーヴェンとなっている。楽章後半のカデンツァには,艶やかな気分がある。いちばんよく演奏されるベートーヴェン自身によるカデンツァが使われているが,大変豊かな表情を持っており,楽章全体のクライマックスを築いている。

第2楽章は,ソナタの場合同様,平静で内向的な雰囲気で始まった後,次第に深みを増して行く。楽章後半,軽いタッチでさらりと聞かせる辺りもとてもセンスが良い。第3楽章も,ブーニンのピアノには落ち着きがあり,情熱を内に秘めたような演奏となっている。ただし,この楽章については,実演の方が面白かった気もする。CDでは,OEKのキッパリとした演奏とブーニンのピアノとがバランス良く応酬しているが,実演での絡み合いはよりスリリングだったと思う。

このCDでのブーニンの演奏は,ショパン・コンクール優勝直後の頃の自由に飛翔するような演奏と比べると,随分,まとまりが良くなってきている。これは,ショパンの音楽とベートーヴェンの音楽の性格の違いにもよるかもしれないが,ブーニン自身もかなり変化して来ているのだと思う。

今回,レコーディングの翌日に行われた演奏会も聞いているのだが,ピアノ演奏の表現や身振りの大きさは実演でよりがより楽しめた(これはブーニンに限らないことかもしれないが)。視覚的な面も含め,ブーニンは,ライブで聞いた方がより楽しめるアーティストという気がした。

●録音
今回のCDは,「スタニスラフ・ブーニン&オーケストラ・アンサンブル金沢」と題して2007年11月15日に行われた演奏会の前日にセッション録音されたものである。演奏会の企画が先にあったのかレコーディングの企画が先にあったのか分からないが,このCDは,ゲネプロを収録した形になる。コンサート・ミストレスは,アビゲイル・ヤングだった。この演奏会の時,演奏中,ブーニンの足音がかなり盛大に聞こえてきたが,このCDにも協奏曲を中心にその音が収録されている。

OEKは,中村紘子ともベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を録音している。その演奏時間を比較してみた。
第1楽章 第2楽章 第3楽章 合計
ブーニン 17:17 9:44 9:38 36:39
中村紘子 18:05 10:15 9:32 37:20

OEKがEMIからCDを発売するのは,久しぶりのことで,今回が2回目である。
(2008/08/12)