*ちょこっとだけ誇張して書いてます。

1969年
6月9日 【日本の「レディオヘッド」】をバンドの目標に掲げ、結成。
当時のバンド名は単に「黒髪ロック」でした。編成はGのバビル(現・華麗なる架神恭介)/Vo&Drのジョニー(現・イビルキッカァ藤(宮☆タク))/Vo&GのJ(←LUNA SEAのJではない)/Bのふとし(現・ヤマギシ社員)/だった。


6月29日 初ライヴ。場所は忘れた。
持ち曲が少ない為に「BUMP OF CHICKEN」や「Λucifer」のカヴァーもやった。しかし「BUMP OF CHICKEN」も「Λucifer」まだブレイクする前だったので知名度が薄く、オリジナル曲だと勘違されて大絶賛。ユニバーサルビクターからメジャー契約の話を持ちかけられる。だけど企業の犬には成りたくないので、断りました。
6月30日 ライトハンドをしながらスゥィープが出来ないので、Bのふとしをクビにする。ちょっと気まずい。
7月2日 ふとしの母親から電話がきて、説教される。大人からの圧力…ちょっとロックだな、と思った。
7月13日 2ndライヴ。場所は忘れた。たしか高円寺辺りだった。
全曲オリジナル(←レディオヘッドっぽい)で行ったが、ベースレスの為にグルーヴに欠け、消化不良のまま終わる。
7月14日 ミーティングの結果、新しいベーシストが見つかるまでバンド活動を停止する事にする。
1970年
一年中 ベーシストを探していた。
1971年
一年中 ベーシストを探していた。
1972年
一年中 ベーシストを探していた。
1973年
一年中 ベーシストを探していた。
1974年
一年中 ベーシストを探していた。
1975年
3月3日 ライヴが出来なくて暇なので、ジョニーがアーティストネームを「ジョニー不死身屋」へと改名。
1976年
一年中 ベーシストを探していた。
1977年
一年中 ベーシストを探していた。
1978年
一年中 ベーシストを探していた。
1979年
4月11日 藤宮拓が誕生。世界中が祝福。
1980年
一年中 ベーシストを探していた。
1981年
4月11日 ギターのバビルの両手が別々に動かない事が判明したので、ヴォーカルへパートチェンジ。
1982年
一年中 ベーシストを探していた。
1983年
一年中 ベーシストを探していた。
1984年
4月11日 ライヴが出来なくてつまらないので、Jが結婚。相手はアニメイトのめがねっ子店員。
披露宴でバビルとジョニーで「FOREVER LOVE」を歌う。 J、感動で泣く→バビル泣きゲロ→ジョニーもらいゲロ。
1985年
10月10日 ライヴが出来なくて退屈なので、Jに息子誕生。名前は「悪魔」くん。
1986年
12月23日 ライヴが出来なくて喉が渇いたので、Jがアーティストネームを「JOKER」へと改名。
1987年
一年中 ベーシストを探していた。
1988年
一年中 ベーシストを探していた。
1989年
7月14日 ベーシストを探して20年目。一向に見つかる気配がないので、諦めて解散(1回目)。
7月15日 バビルとジョニーがJOKERに秘密で「ex-歩きながらラーメン作り」のミポリン(←男子)を新ベーシストに迎えて再結成。
これを期にバンド名も「黒髪ロック〜野望の王国〜」へと改名。バンドコンセプトは【目指せ!男の子版「ZONE」】


9月19日 バビルが大物プロデューサーに身体を売ったので再結成後初ライヴでいきなり、渋谷AXでのイベントに出演。
10月10日 新ギタリズムとして「ex-シャドウ リップス」の府川隆一(現・パラサイト デザイヤ)が加入。
11月22日 バビルが大物プロデューサーに身体を売ったので、府川加入後初ライヴにしていきなり武道館のステージに立つ。
イベントタイトルはたしか「ブレイクアウト祭り89'」だった。
11月23日 密かに再結成していた事がJOKERにバレて、目の前で泣かれる。たしか新宿のビートルズマックだった。
11月26日 府川が当時名古屋のヴィジュアルシーンで絶大な人気を誇っていた「パラサイト デザイヤ」に引き抜かれる。
あんまりメジャー過ぎるイベントには出るもんじゃないな、と思う。
12月10日 ミポリンが「歩きながらラーメン作り」再結成の為、脱退。
バビル&ジョニー不死身屋、人間不信に陥る。「人間不信」という楽曲を作り「Raphael」にあげる。
12月31日 池袋サイバーでのカウントダウンイベントに二人のみで出演。
このステージを最後に「黒髪ロック〜野望の王国〜」二回目の解散。
1994年




4月9日 ジョニー不死身屋、小学校入学。加護亜衣とクラスメイトだった。
8月1日 ジョニー不死身屋、加護亜衣に告白される。付き合う。
8月12日 ジョニー不死身屋、加護亜衣と下北でデートする。
8月19日 ジョニー不死身屋、加護亜衣と東京ディズニーシーでデートする。
8月26日 ジョニー不死身屋、加護亜衣と一緒に夏休みの自由研究をする。
8月31日 ジョニー不死身屋、加護亜衣と夏休みの宿題の算数のドリルを手伝ってあげる。
9月2日 ジョニー不死身屋、加護亜衣になる。
1995年
4月9日 公園デビュー。
1996年
サマー なぜか動員が増える。ノルマ分の5倍近い人数。
1997年
2月14日 する事がないので、バビルがアーティストネームを本名の「セルガンテス架神」へと改名。
1998年
11月26日 セルガンテス架神、お金がないので立候補。
ここから本当です。
1999年
1月29日 「黒夢」無期限の活動停止を宣言。世界中が失意のドン底へ。7の月への布石となる。
7月1日 そして地球滅亡。ジョニー不死身屋、ちょっと動揺する。
8月1日 やがて地球復活。ジョニー不死身屋、単純に嬉しい。
9月19日 タモリステーション」に出たいので、ジョニー不死身屋が新バンド「アムの音楽隊」を結成。
アーティストネームも「藤宮☆タク」へと改名。バンドの方向性は【目指せ!第二の「FIELD OF VIEW」】
12月10日 世界ふしぎ発見」に出たいので、セルガンテス架神が新バンド「ミルシア69エリアーデ」を結成。
アーティストネームも「架神恭介」へと改名。バンドの方向性は【目指せ!日本の「ディル アン グレイ」】
ミレニアム
12月27日 LUNA SEA」終幕。国葬。全国民が喪に服す。
12月31日 西荻界隈で新世紀を期に「黒髪ロック〜野望の王国〜」が再結成するらしい、という噂が広まる。
2001年
1月1日 噂はマライヤ・キャリーが流したデマだった。
11月25日 埼玉大学で行われたエーツーのライヴに客としてゲスト参加。
パートは「はやした立てる」「カメラリスト」。BOΦWYの「NO NEWYORK」などをカヴァーする。
12月8日 幡ヶ谷クラブドクターで行われたイベント「ヴォリウム」に客としてゲスト参加。
転換時ヒマを持て余していたので名曲「40秒」を39秒で作曲&公開レコーディング。
12月15日 アムの音楽隊の音源「オタクロース」へのゲスト参加をキッカケに2回目の再結成。
これを期にバンド名を「清純派黒髪ロック」へと改名。
アーティストネームも架神恭介→「暮れなずむ架神」、藤宮☆タク→「立ちすくむ不死身屋」とそれぞれ改名。


12月19日 池袋サイバーで行われた「アムの音楽隊」のライヴにゲスト参加。89年以来の実に12年ぶりのステージとなる。
パートは暮れなずむ架神→Vo&B/立ちすくむ不死身屋→Vo&Dr。
12月25日 アムの音楽隊HPの掲示板でモメて、3回目の解散。
世界初のインターネット掲示版内での解散なる。これをきっかけに日本は本格的なIT社会へと突入する。
12月26日 立ちすくむ不死身屋、宇多田ヒカルとジャムる。リズム感の悪さに失望、、、クビにする。ツーショット写真は撮ってもらった。




12月27日 暮れなずむ架神、「キングクリムゾン」に加入。しかし、架神のハイクオリティかつ難解な楽曲を覚えきれないメンバー達に愛想をつかして即脱退。
12月28日 立ちすくむ不死身屋、美空ひばりとジャムる。ピッチの悪さに失望、、、、終わり 。
12月29日 暮れなずむ架神、「クィーン」に加入。フレディ・マーキュリーにサインをもらって大満足→脱退。
12月30日 お互いの存在の大切さに気がつき仲直り。山手線代々木駅の花道で上裸で抱き合う。
12月31日 暮れなずむ架神の故郷、広島ロッキンシャワーでのカウントダウンライヴに飛び入り出演。3回目の再結成。
これを期にバンド名を「清純派黒髪ロック。」へとマイナーチェンジ(←ナイナイ矢部っちへのリスペクツが込められている)。
立ちすくむ不死身屋、アーティストネームを「降りしきる不死身屋」へと改名。


2002年
1月12日 吉祥寺BRENDYで第一回ミーティング&プリプロ。「プリンのような恋でした」の歌詞を書いた。
同日 吉祥寺曼荼羅Uに「エーツー」のライヴに客としてゲスト参加。「the FIELD OF VIEW」のポスターを巧みに使用したMCにしてヤられる。
対バンで出演していたの「TASKE」にもビビる。
1月15日 暮れなずむ架神のプライベートスタジオ「スタジオ28号」でデビューアルバムのプリプロ&第2回ミーティング。
ギネス記録を狙い、一日に何曲作れるか挑戦する。が、途中で今何曲目を作っているのか解らなくなる。14曲以上作った事は確か。
1月18日 高田馬場デニーズで第3回ミーティング。
「黒髪ロックフェスティバルvol.1」について話し合う。が、話が反れて小泉内閣の今後について意見をぶつけ合う。
同日 高田馬場エリアで行われた「人退模型歌劇団」に「アムの音楽隊」のたつを氏と共に参加。
おにぎり喰ったり、吐いたり。カレー喰ったり、食べさせたり。「ときメモカード」無くしたりする。
1月26日 千葉ルート14で行われた「殺伐エレキテェール(現ゼロハイフン)」のライヴにゲスト参加。
翼くん役と岬くん役としてサッカー・バスケ・ラグビー・K1をする。出音のローが出過ぎたのでパスミスが目立った。
ライヴ後半、降りしきる不死身屋はエフェクティブボイスとして殺伐の面々とジャムセッション。ロックンロール最高!
1月27日 新宿のスタジオカラオケ館でレコーディング。「黒夢」や「X」などのカヴァ−をする。30分で5曲録る。
その後、新宿カレーで第4回ミーティング。辛口コーンカレー、本当に辛いね。
1月30日 裏原にて「メンズノンノ」の撮影。暮れなずむ架神行き着けのオープンカフェ・インディーズブランド・雑貨屋さんなどで撮影。
初めてツーショットでプリクラを撮ってちょっと照れる。。。
撮影終了後、ノンノ専属モデルへの誘いを受ける。企業の犬には成りたくないので、断る。
2月8日 代々木のスタジオノアで第5回ミーティング。
「黒髪ロックフェスティバルvol.1」について話し合う。が、話が反れて田代まさしの今後について熱く意見をぶつけ合う。
2月12日 新宿のビートルズマックで第6回ミーティング。
「黒髪ロックフェスティバルvol.1」について話し合う。が、話が反れて加護亜衣と松浦あややのどちらが可愛いかで意見が真っ二つに対立、解散しそうになる。
「ロックフェス」については何も決まっていない。
2月14日 『黒髪ロックフェスティバルvol.1〜ギブ ミー チョコレート〜』開催!
&1stミニアルバム「ボクたちの世代メドレー1」限定無料配布。
ゲスト:エーツー/おおさわ君
が、前半のトークショーで「清純派黒髪ロック。」
4回目の解散を発表。原因は「A・O・IとIZAMに根も葉もない噂を立てられ、訴えられた事」と「架神が本格的にカレーの研究に専念したいから」。
しかし「黒髪ロックフェス」自体は想像以上の動員を記録して大成功。音楽番組(生放送)に招かれたり、ジェファーソンになったり、フジミちゃんになったり、ルーを板チョコにすり替えた「100%チョコレートカレー」を作ったりした。
大方の予想をくつがえして音楽もしました。不死身屋がエーツーと、架神が星とそれぞれロックコラボレートを果たした。最後には出演者全員+山田でダブルミリオンヒットナンバー「Melty Love」を大合唱。場内感動の渦に包まれる。不死身屋唇噛みしめ→架神号泣→山田失神。
2月16日 高円寺のマックで「清純派黒髪ロック。」最後のミーティング。
「黒髪ロックフェス」で頂いたチョコレートを山分け&食する。
最後は中央線高円寺駅のホームで上裸になり、抱き合う。別れる。後ろを振り向きはしない。
解散しようとしたが、すでに解散している為に解散できず。 それでもどうしても解散したいので、解散する為に再結成をする事を決める。
3月14日 4回目の再結成。
これを期にバンド名を「清純派黒髪ロック◆リバース。」へと改名(←ファナティックとエヴァへのリスペクツが込められている)。
降りしきる不死身屋が「踏み出した不死身屋」へと、暮れなずむ架神んが「華麗なる架神」へとそれぞれ改名。
3月23日 『黒髪ロックフェスティバルvol.2〜キミもライヴができる!〜』開催!
ステージ上に客を全員上げる。不死身屋が客に散髪され10円ハゲができる。
4月24日 黒髪ロックとして初めて新宿のスタジオに入る。ロビーにある無料コーヒーを暴飲暴食。
5月1日 代々木のスタジオに6時間も入る。夜食でそばを食べる。そば屋のオヤジが職人気質でいい感じだった。
音楽的には3日本番よりも出来は良かった。
5月3日 高円寺無力無善寺で行われたDJイベンツ『ラヴラヴ恐山』にゲスト参加。
新メンバァとして「澱んだヨリコ(ヴョリ亀)」「腐欄したフ(現・フ酸)」「山田」「メタリカ(現・マタリカ★パロ★ウル★ラピュタ)」「山田」「狩生」「山田」「妖精」「たつを」「山田」「清水」「カーツ」など計35名が加入したコトを発表。
第5期黒髪ロック始動!
「ひろしステッカー」を当日限定発売→完売。
パンクスとしてスカコアを鳴らした……つもりだったが、狩生さんに「アレはスカパンクだね」と言われたのでスカパンクでした。だってスカコアよりスカパンクの方が響きがいいぢゃん。ボクたち全然(ハード)コアぢゃないし。要はピストルズみたいでした。


5月4日 架神が初めて不死身屋の家に来る。肉をご馳走になりながら、一緒に昨日のライヴビデオとANTI−KRANKEKのビデオを観る。
ひろしとも対面する。
5月8日 同潤会アパート屋上にて医療系で写真撮影。5人揃っての初仕事。
その後カラオケ館明治通り店にてカラオケ大会。坂本真綾・堕天使BLUE・遊幽白書・ダイナマン・キャプテン翼などを歌う。
5月11日 お台場ビックリサイトにて行われた「デザインフェスタ」に出演。
黒髪社会のアイドルのボクたちだから一日4回公演を果たした。
5月3日のライヴテェプ・新黒髪ステッカー・卒論などを販売。テェプ・卒論は完売し、3日に引き続きまたも黒字。なんか思いの他目立ってたし、デザインフェスタもチョロイもんだなー。
5月15日 発音しにくい名前がパンクだろう、という事で「澱んだヨリコ」が「白鳥ヴョリコ」へと改名
5月28日 山田には内緒で清純派黒髪ロック◆リバース。会則」制定
5月30日 新生・清純派黒髪ロック◆リバース。として初のミートティング。場所はもちろん新宿ビートルズマック。18時集合の予定だったが全員揃ったのは19時。しょっぱなからチームワークの良さを発揮してしまう。話の内容的には音楽占拠率6%。
ミートティング後、カラオケ館歌舞伎町本店スタジオにて黒髪ロックフェスVol.3用のサウンドトラック&販売用テェプをレコーディング。全13曲を熱唱。酸欠になる。
6月9日 『黒髪ロックフェスティバルvol.3〜山田とデート!〜』開催!
暑かったけど大成功。ギリギリで(強引に)黒字にする。まだ解散はしない。
6月9日 新生・清純派黒髪ロック◆リバース。として初のスタジオ(新宿)。晴れて本当のツインベェスになる。なんだかカッコよくて本人たちびっくり。
6月15日 アムの音楽隊の打ち上げで不死身屋がヴョリコに一目惚れする。
6月21日 代々木のスタジオに6時間も入る。夜食でそばを食べる。そば屋のオヤジが職人気質でいい感じだった。
「巫女さんのうた」の動きを必要以上にチェックする。ヴョリコ飽きる。フ壊れる。架神早くも燃え尽きる。
6月23日 『黒髪頂上対決&めがね教団&ベェシストオールスターズin本八幡ルート14
ベーシスト9人を要して望んだライヴ。山田不在・フーリガン乱入など数々のトラブルに見舞われたが、ボクたちは最後までスカパンクスでした。
しかしチケットノルマ達成ならず&(無意味に豪華な)物販売上振るわず→赤字になったので黒髪ロック5回目の解散。
7月7日 あの左近さんが掲示板にて、黒髪ロックの解散について納得できない、と異議を唱える。




7月25日 元・黒髪社会の帝王クランケ・サンさんが自身の不純な茶髪を切り落とし、名実ともに第26代黒髪帝王に返り咲く。
7月31日 白鳥ヴョリちゃんがファッショナブルプチ性転換手術に成功。念願の男子「ヴョリタロー」に成る。
8月4日 そして、約1ヶ月間黒髪家族会議を繰り返した結果「黒髪メンバァ全員がリスペクツしている左近さんが納得してくれないのであれば、解散し続ける意味も無い」というコトになり。仕方なく5回目の再結成。
これを期にバンド名を「生きていた!清純派黒髪ロック◆リバース。3スーパー〜考え中。考えるな!それでもロックか!?〜」へと改名(←【黒夢】【ファナティック】【エヴァ】【ミルシア】【セーラームーン】【友情イッキなんてしてる場合なのか?他にするコトある筈だ。ある中でホルマリンプールに沈めば?in白木屋高田馬場エリア店】に対するリスペクツが込められている
踏み出した不死身屋が「ふょ死身屋一世(仮)」へ、腐欄したフ酸が「フLワカメちゃん」へ、META★RICAが「MATA★RICA」へとそれぞれ改名。
脱色したので山田脱会。


8月7日 ふょ死身屋一世(仮)が凄まじいまでのリスペクツを込めて「イビルキッカァ不死身屋☆一世」へと改名。
8月13日
〜15日
『全国6大都市ドームツアー』
フーリガン乱入&夜な夜な山道徒歩1時間&ヴョリタロー脱走など様々なトラブルに見舞われるものも、わずか3日間で東京→千葉→静岡→京都→大阪→広島のドームを制覇。パンクバンドとしての頂点(てっぺん)を極める。
8月16日 ドームツアーの直後、高円寺無力無善寺にてシークレットライヴ決行。
ドームツアーのみやげ話・絵日記販売・経費精算などを行う。そして最後に6回目の解散を発表。理由は「ドームツアーを成し遂げ、バンドとしてやれる事は全てやったから」
9月16日 不死身屋、めがね屋デビュー。チトセメガネ

期解散
9月20日 解散しているのにも関わらず、下北系バンド「アム」からのしつこいオファーを受け、池袋サイバーで行われたイベント「東京アンダーマップレコ初イベント」に出演。
「アムvs黒髪ロック〜負けたら、即解散〜」という名目の元、見事に大敗したので7回目の解散
さらにチケット売上・物販売上ともに振るわず、赤字。よって8回目の解散。
一日で2回も解散したのは日本インディーズパンクシーンでは初の出来事。
解散累積3で3重解散となる。
同日 MATA★RICAが、この日対バンで出演していた「メトロノーム」のTALBO-1担当フクスケ師匠から、「本当にTALBO買ったら、TALBO-11のマルCをあげるよ」という、有難いお言葉を頂く。
9月23日 MATA★RICA、さっそくイシバシ楽器渋谷店にてTALBOを購入。20%OFFキャンペーン中だったので中古で48000円ナリ。
名実ともに「TALBO-11(マルC)」となる。
9月24日 黒髪BBSになぜか唐突に、先月金髪になり強制脱会された山田が降臨。
社員一同動揺する。
9月26日 不死身屋、そんな山田を拒絶する。
9月27日 不死身屋、そんな山田を罵倒する。
9月28日 不死身屋、そんな山田に謝罪する。
10月1日 めがねの日 誰も気付かない。
10月8日 山田が金髪団体による催眠から解き放たれ、山田黒髪ロック再加入。
同日 またもやプチ性転換手術の後遺症なのか!? ヴョリタローが2度目の失踪。
10月10日 新宿ロフトプラスワンにて行われたイベント「何かを表現したい人の大オーディション!!〜プラスワン・ザ・ゴ ングショー!!〜」に出演。優勝商品の「金一封」が目当て。
審査員ランプが4つ付いたら表現中でも強制退場という状況の中、ドームツアーの映像を上映。ランプ点灯3つに留まり、表現完了。合格。 
しかし合格者の中から選ばれる優勝者には選ばれず、金一封得られず、社員一同落胆。
重苦しい空気のまま、一言の会話も交わさずに帰路に着く。
同日 同イベントにて改心した山田と再会。めがねを忘れてた。顔が変わってた。2歳若返ってた。気のせいだろう。
同日 同イベントにてにてヴョリタロー発見。亀になっていた(原因は不明)。よって「亀山ヴョリ三郎」へと改名。ギターを弾くのだという。。
10月11日 黒髪BBSにて、フLワカメちゃん(現・フ酸)とMATA★RICA(現・マタリカ★パロ★ウル★ラピュタ)が黒髪ロック脱会を発表。
脱会理由はそれぞれ、M「アドリブの利かない自分に失望したから。」 フ「三重解散で止っている黒髪に居たらエネルギーが無駄に消費されていくから。」
10月11日 不死身屋がそんな二人を罵倒。ついでに架神も強制脱会。
10月12日 不死身屋がそんな二人と(一方的に)和解。
「カレーくんも、フちゃんもいない黒髪ロックなんてありえない。」と、永久解散を提案する。
10月14日 ピーター・バラカンの許可が降り、黒髪BBSにて永久解散を発表。
10月16日 蜜さんキリ番「69」をゲット!
同日 黒髪ロックオリジナルメンバーのJ(現・JOKER)が12年振りに、黒髪BBSに降臨。
最後のケジメとして「永久解散ライヴ」を行うコトを提案。
10月23日 11/3(文化の日)に「永久解散ライヴ2002秋in東京ドーム」を行うコトを発表。
11月3日 思い出の地「東京ドーム」にて永久解散ライヴ決行
→33年間というの永くも偉大な歴史に幕を閉じ
黒髪ロック永久解散。黒髪キッズたちよ永遠に眠れ。
ここから大マジです。

11月3日 下北系バンド「アム」を吸収する形で統合→ロジカルファッションパンクバンド「フちゃんの黒髪文化祭(Preみアム)」誕生。
さっそくその場(公園)で「黒髪ロックフェスティバルvol.4〜キミも天才美少女写真家になれる!〜」を開催。 モデルデビュー。
第一期
11月8日 藤宮肺気胸により入院。
11月14日 1stカレ発記念「ワンマンライヴ」in江古田ドロシー音楽デビュー。
病に倒れたリーダー藤宮不在の中、酒まみれカレーまみれでオロオロしたワンマンを展開した。
ゲストアイドル:エーツー2号。ゲストヴォーカル:お客さん。同時開催:フちゃん握手&サイン会。オープニングアクト:ギャクセツゾク
11月18日 藤宮一時退院。
11月26日 藤宮再入院。
11月28日 藤宮手術
12月3日 藤宮退院
12月4日 音楽イベント蓮池死獄 第六巻〜ぬれぬれ苺とロック野朗〜」に出演。
前回のワンマンライブでの、「藤宮不在というプレッシャーに耐えかねてライブ中にもかかわらず酒に溺れる」という失態を反省し、正統派のパンクバンドへの回帰を志したライブ。
自分たちの現状を見つめなおし、「パンクとは何か?」を確認しながら最終的には真のパンクに到達し、いっぱしのパンクバンドへと成長を遂げた。
母檸檬さんの乱入にビビり、架神は前歯を強打。 。
12月15日 「黒髪ロックフェスティバルVol.5〜きらくんバースデイ&藤宮☆退院祝い。そして山田とクリスマスパーチー〜を高円寺無力無善寺にて開催。
藤宮復帰会見&きらくんバースデイ会見。
スタート直前までお客さんがほとんど来ないという、まるで僕たちのスタジオ練習のような始まり方。(僕たちの場合始まっても来ないけど)
カレー、ケーキ、プリンを配布する(しかもおいしい)というグルメパーティーだったが、 山田で遊んだり、音楽をしようとしたり、清春っぽいドラマーが誕生したりもした。
盛りだくさんの内容に、メンバー一同大満足のめくるめく4時間! お客さんはただ疲れていた。
12月22日 パワー会議主催「パワーフェスティバル〜パワーリレー〜に出演。
下北沢の街をみんなで散策する為のイベント。亀山が借り物のギターエフェクターにプリンを盛り付ける為のライヴ。
12月25日 亀山&架神&フ&藤宮&マタリカ、カレー御殿でローストチキンクリスマスパーティー
架神お手製ローストチキンを解剖しながら食べた。安いピザを寒い中買いに行って食べた。適当にフルーツケーキを作って食べた。マタリカはクリームを塗るのが得意だ=左官になれる。
プレゼント交換会をした。架神の「ペストX」→亀山へ、亀山の「動物スリッパ&傘」→フへ、フの「お汁粉セット(割り箸ティッシュ付き)」→藤宮へ。藤宮の「丸秘ビデオ&要らないCDセット&エヴァ本」→マタリカ
へ、マタリカの「I LOVE NYティーシャツ&ビンラディン絵はがき&とんこつのマスコット(豚)のキーホルダー」→架神へ。
12月26日 架神&清原&きら&フ&藤宮&佐乃で、黒髪となんだか関係がありそうなバンド「ゐんちき」を観戦in立川アクト。華があるガールズバンドだった。
アクトは場内禁煙だ、素晴らしい。貸切料金も安い。けど、遠いのでドロシーが好きだ。
2003年
1月1日 「フちゃんの黒髪文化祭(Preみアム)」結成当初から失踪していたヤガミ先生が、2003年1月1日0時00分ジャストに悩み相談BBSに突如出現→復活。
失踪理由は「なんか新しい絵文字を使いたかった」から。何故かドラマーからフレットレスベェシストへパートチェンジ。1歳若返ってた。顔も若干ではあるが変わっていた。
これからは大阪を拠点として活動していくコトになったので、今後メンバァ11人が全員揃う可能性は非常に困難となった。
1月21日 藤宮&フ&佐乃&清原で「スタードッキリまる秘報告」を決行。
横浜のスターことマタリカ氏の自宅ドアノブにそっと豚足を掛けて帰る。
マタリカ、素で怯える。
マタリカ、バンド脱退を考える。
2月11日 本八幡ルート14で行われた、音楽イベント「ねぢくれまにあ」に出演。
間違いパンクライヴ。黒髪ファン曰く、こんなライヴだった↓
『昨日はだまされちゃったな〜。 架神さんに「どこからだったかわかりましたか!?」 と終わって会うなり言われた時、「え〜?MCあたりでしょ?」と答えたら、 まあ〜うれしそうにしてたよねえ・・・。なんとだまされやす私・・・。悔しい〜。 そういえば、写真・バスケ・メガネ・プリン う〜んアンケートもう一度書きたい〜!
言い訳いたしますと、ぎりぎりについたとたんに33点の悪い答案を返され、あせった あげく、みなさんの黒でステキなコスチュームとメイク、妙に背の高い☆タクさんに圧倒されて、そちらに気がいって、写真、写真と思ってしまっていたのです〜。』
対バン→まもの.リチウム.新沼Genji.beau.Fuzzy Navel.
2月18日近辺 山田さりげなく失踪(失踪していた事に誰も気づかなかった。)
2月23日 山田死亡説浮上.
2月24日 カレー御殿にて「ひろしバースデイパーティー(本人不在)」開催。
ひろしグロリアスレコーディング。寄せ書き。
グリーンカレーが振舞われた。
亀山おじさんが「ローストチキンクリスマスパーティー」では失敗に終わったフレンチトーストリベンジを果たす。
2月中旬
〜下旬
ヤガミ先生バイトに落ちまくる日々。みんなで励ます(掲示板で)。
3月7日 ヤガミ先生今年最初の失踪(通算4度目)。
失踪理由は不明だが、「失踪した山田を捜索する為に失踪した」という説が有力。
3月15日 藤宮と清原出逢って1周年記念下北デート。
19日のライヴに向けてTV・アディダス・オーバーオール・機材購入。贅沢三昧豪遊三昧。
同日 死亡説が流れていた山田がニコニコしながらサイバァに現れる。靴がすこぶる可愛かった。
3月23日 ギタァ班(藤宮・亀山)修業企画「山手線一周ウォーキング-第一章-」を決行。
渋谷で某ライヴ観戦後、冗談で藤宮が「じゃあ池袋まで歩いていくかー」と発言したのを亀山が真に受けた為に、実現する事に。
夜な夜な渋谷〜池袋までを歩く。出発18:00〜到着20:30。運動するとご飯が美味しい。
3月28日 ヤガミ先生新宿で発見される。
今年初(通算4度目)の失踪をしていたハズのヤガミ先生は、実は上京する為にヒッチハイクで大阪から東京へ向かっていたのだった。
たまたまその場に居合わせた藤宮・マタリカ・清原・フ・架神と共に、カフェAYAでのミーティング。そのまま新宿のスタジヲペンタに入りジャムセッションを始める。
「めがねのうた(仮)」「ネバーランド(ジャムって生まれた新曲)」「グルメDEプリンちゃん(ジャズver.)」「弟のうた〜ひろし〜(ジャズver.)」「アーティスト・ラヴァーズ(ジャズver.)」をレコーディングする。
どの曲もヤガミ先生のジャズピアノアレンジの作用により、メンバァもビックリの非常にオシャレな出来に仕上がった。→試聴
4月7日 池袋サイバァにてめがねのうたギグスを決行。
山田が金欠という言い訳でライヴに来なかったので、1曲しか演奏できなかった。
4月11日 ギタァ班(藤宮・亀山)修業企画「山手線一周ウォーキング-第二章-」を決行。
池袋〜御徒町までを歩く。出発16:00〜到着20:30。
途中、大塚でさのや地区に大興奮し、巣鴨で花見をし、駒込でハトと戯れ、上野でフちゃんへのおみやげを買い、駄菓子を買い、夜桜花見をする。
4月11日 イビルキッカァ藤宮☆タクが「誕生日だから何かしなくてはいけない」という強迫観念に駆られてアーチストネームを「イビルキッカァ藤(宮☆タク)」へと改名する。
5月27日 初めての音楽主催イベント「弟22回 フちゃんの誕生祭」を江古田ドロシーにて開催。
フちゃんの生誕を祝う為にメンバァが関わっているバンド達「なま×2破廉恥Jr.」「まもの」「ゐんちき」が大集合した。
「フちゃんはストレートヘアーになったら、とびっきり可愛くなる!」というフ兄の定説により、イベント中にストレートパーマを当てるが、失敗。フちゃんのくせっ毛はかなりのパンクだった。
イベントオーラスの曲「めがねのうた」で架神が流血→ステージが血の海となる。マタリカ「シドヴィシャスみたいでカッコイイ。」→試聴
5月27日 メンバァ誰一人として気に入っていなかった前バンド名から「真剣に解散を考えている。」へと改名。
改名を思い立ってから、メンバー全員で話し合い候補に上がったバンド名は実に69個以上!この名前に行き着くまで一ヶ月半掛かったのだった…。
その後のパンクストーリーはこちら