自衛隊内における、軍歌の存在、評論を募集しております!
軍歌論をお持ちの方は、ぜひとも、「軍歌一般論 会議室」の掲示板にて書き込みください。
管理人が、内容を編集し、転載いたします!
簡単に自己紹介させて頂きます。
皇紀2606年9月10日生まれ(出身地・東京)
高校を卒業と同時に愛国心一筋に自衛隊に志願
平成12年秋、陸曹長で定年退官
現役時代、同期・上官からは軍神と呼ばれ部下からは、右翼、自衛隊かぶれと陰口をたたかれる
趣味は勿論軍歌、その他帝国陸海軍航空隊でもやっていたバレーボール あとパソコン少々
パソコンは未だ未熟者(URLリンクの意味が分からない)
自分が入隊した頃は、兵隊の中にも終戦時、小学生又、防衛大学一期生は終戦時、十四、五歳くらい、下士官には予科練、少年飛行兵出身者ゴロゴロ、少年自衛隊の一期生だって終戦時七、八歳位ではないかと思いますが・・・・・・・
まっ、そう言う環境だったので、良く隊歌演習と言うのがあって自衛隊歌・並びに軍歌を良く歌いました。又、駆け足しながら軍歌を歌ったり・・・・・教育隊では新兵の団結と士気そして体力向上??で、腕立て伏せをしながら「同期の桜」を歌ったり、今考えると嘘みたい、若かったから出来た。今そんなことやったら死んじゃうよ!!
その当時、良く歌った、歌わされた軍歌(戦時歌謡含む) 歩兵の本領 砲兵の歌 自衛隊では、作詞作曲不明で 緑の戦線「雨に打たれてアカシアの、花がこぼれる泥濘を、重い泥靴踏みしめて、進む緑の戦線よ」この歌は、昭和15年7月キングレコードより発売された立派な戦時歌謡です。 あと替え歌ですが ほんとにほんとにご苦労ね この歌をもじって 「一曹二曹は、爺くさい、粋な三曹は、生意気で、一士二士には金がない、女泣かせの陸士長」この歌は、よく宴会の時歌った。
が、しかし現役最後の十年くらいは、人も時代も変わったかあまり隊歌演習だとか隊歌コンクールなどやった記憶がない隊歌演習は新兵、新品将校の学校では今でもやっていると思いますが、まして宴会で軍歌などは全くでなくなってしまった。隊歌と言えば部隊の創隊記念日の時に歌うくらいかな・・・・・・
話は、変わりますが自衛隊歌の中にも軍歌に勝るとも劣らない優秀なものがあります。 君のその手で 第四陸曹教育隊歌(信太山)・・・予備三曹殿はご存じではないですか 浜松航空自衛隊歌 高射学校校歌 ・・・・機会があれば私の伴奏なしのカラオケでお聴かせ致します。
追記:「同期の桜」だけは、恐らく今でも教育隊、各種学校で卒業の宴会では好んで歌われているのでは無いかと思います。我々軍隊生活の中で同期ほど良いものは無い同期から見放されたら終わりです。
昭和37年4月24日、大阪市住吉区生まれ。
小学生で、加藤隼戦闘隊を覚えました。
53年4月大阪市立都島工業高校・工業化学科入学
55年
水に浮かぶ物体間の相互作用について
の論文で、大阪府学生科学賞知事賞、日本学生科学賞読売新聞社賞受賞。
56年1月、皇居にて、昭和天皇・皇后両陛下より、お言葉をいただく。
3月高校卒業、陸自第7普通科連隊入隊
6月中部方面武器隊に移動
9月関西地区補給処武器部補給課に配属。
武器補給の職に就く、陸上自衛隊の弾薬保有量、機動力、火力の稼動率を知り愕然となる。
ソ連軍が本土上陸すれば、敗北予測、海上にてソ連軍を壊滅させるとたどり着く。
陸自退職を決意、海自入隊をねらう。
59年9月海上自衛隊舞鶴教育隊に入隊、成績52人中11位で終業
60年1月1術校初級攻撃員課程に入校、成績40人中4位
3月護衛艦もちづき
魚雷員
7月一等海士 昇任
9月舞鶴陸警隊に転勤
61年 7月海士長 昇任
62年 1月一術校 6103期
海曹士普通科運用課程入校
5月特務船かつら 運用員
日本海で、特務活動、ソ連太平洋艦隊動き無く、ソ連の弱体と判断。退職を希望。
9月任期満了退職。
平成6年1月
陸自予備自衛官となる(予備陸士長)
11年7月予備陸曹候補生に指定
13年7月予備三等陸曹に昇進
以上です。