軍歌に関する最大にして最強の偏見といえば、「マニアック」であるということです。
とにかく、あまりにもマニアックすぎる。
「マニアックであるということは、ほかに同じ趣味の人間が、いないということである。ほかに同じ趣味の人間がいないということは、孤独であるということである。よって、軍歌を歌う人間は孤独である。」
という結論から、軍歌は孤独な人間の趣味であるという偏見をもたれ、よって、だれも軍歌によりつかなくなってしまうようです。
これまた、かなり強い偏見の要素ですが、軍歌などという音楽は、あまりにも古臭すぎるからだめだという意見です。
何しろ現代人は、あまりにも遊びのレベルが発達しすぎており、つい五年前までカッコよかったことが、もはやダサいと言われる。
つい五年前ですらだめなのですから、50年以上も昔の音楽である軍歌など、かっこ悪すぎて歌えるか、ということになります。
これは、実は僕も常々思っていることですが、軍歌とは、まさに堅物人間を奨励する音楽なのではないかということ。
とにかく、一にも二にもクソ真面目なことばかりが書いてある歌なのです。こんな歌を歌っていたら、一切遊びのないロボットのような人間になってしまうのではないかということ。
たしか、どこかの本で、「校歌だの唱歌だのを真顔で歌えるやつは、どうかしている。」という意見を聞いたことがあります。これは軍歌にも直接かかわる問題です。軍歌なんてクソ真面目な歌を真顔で歌えるやつは、人格を疑われるという問題にまで発展してきているようです。
これは、時代に関係なく避けられない宿命ですが、軍歌には、どうもおおっぴらに歌うことのできない陰気な面が存在します。
なにしろ、人の命がかかわっている歌なのですから。とくに、「同期の桜」などは、すでに遺書ですし。
よって、軍歌など、陰気くさい歌を歌ってなにが面白いんだということになります。
しかし、若者にとって、「死」というものは、魅力に満ち溢れた麻薬の一種と思いますので、何も、死ぬことばかりが書いてあるから、暗いというのは間違いです。軍歌が扱う「死」は、逃避的なものではなく、もっと、プラスのエネルギーに満ちたものであると思います。