あとがき
帰国して一年後が阪神大震災で、そのド真ん中にいた私に真っ先にかかってきた電話はドイツ
からでした。
「ミスターイソダハ、イキテルカ?」
その年の8月に京都で世界移植学会があり。ノイハウス先生が阿曽先生をふくめ15人ほどの
スタッフと共に来日され再会できた。スタッフたちと居酒屋で食事したのもなつかしい思い出だ。
ノウハウス先生は私以降、日本人患者に何人も肝臓移植されたが、現在はEUの協定で外国人を
受け入れられなくなってしまった。
阿曽先生は帰国され、年に一度お世話になったドイツ組が東京に集まり、先生を囲んで食事する
のが恒例となっている。
樫田先生は移植後も引き続き診ていただいていたが、移植9年目の時に転勤され、現在神奈川県の
昭和大学横浜市北部病院に在籍されている。一昨年大腸ファイバーと胃カメラ検査をしていただいた。
門田先生は現在、大学付属病院だけにとどまらず。大阪大学の重鎮であります。
遠藤先生の病院は相変わらず患者であふれ、忙しくされている。
4年前、なにを狂ったのか、”JUST IN TIME”を開店して二年が過ぎたころ、かなり個性的な風貌の
カップルがきた、どこかで見たことがある。息子がお世話になった平田先生夫妻ではありませんか。息子が
無事高校へ入学できてから疎遠になっていた。今は予備校の先生をなさっているとのこと。
「ライブさせてくれる?」
なんとジャズピアノも弾かれる。それも生半可ではない。当店は200回ぐらいライブをしているが動員数
では先生が最高記録保持者だ、2部入れ替え制で120人。縁とは不思議なものだ、お互いジャズ
好きなんてしらなかったのに。
ベルリンで入院中、医療機器で”SIEMENS”のロゴを何度も目にし、シーメンス コアキシャルを
売り飛ばしてしまったことを後悔した。できれば買い戻したいと思い、布施さんに持ち主を探してもらい
頼み込んで譲っていただいた。今は手元にある。
その後、移植法案が日本にもでき、提供者はまだ少ないが徐々に移植者も増えてきた。
医学の進歩もめざましく、B型ウイルス性肝硬変はなくなりつつある。
書ききれなかったが、この方々以外にもお世話になった人は沢山いる。移植後
14年を経過した今も忘れてはいない。
いちばんの命の恩人は顔も名前も知らないドイツ人の
提供者である。腹を撫でながら、ご冥福を祈っている。
ありがとう!
2008/8/10
今回の”ベルリンへの誘い”は以前、ルーツサウンドのホームページに載せた物をベースにしたリメークであります。
ご覧いただいた方もあるかもしれません。
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