1993年12月18日
ドナーがでたらしい。腹の毛を剃られシャワーを浴び、ストレッチャーに寝かされて注射を打たれた。
心細そうに見ている女房に。
「行ってくるわ」
言いたいことはあったけど、これ以上情けなそうな顔は見たくない、分かってくれているだろう。
目を閉じた。
ストレッチャーの振動が伝わってくる、少し寒い、廊下を、す、す、ん、で、い、る z z z zzzz。
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・・・水・・・
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・・・・・・のみたい・・・・・
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・・・・・・ ながい、ながい、夢を見ていたようだ ・・・・・
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・・・・・・・・・・ からだが、動かない ・・・・・・・・・・・・・・
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・・・・・ボゥーッと霞んで、霧の中のようだ・・・・・
焦点が合ってきた。
だ、だれかいる、濃いグリーンの服と帽子にマスクをしている。あの目は女房だ。
「フゥ〜〜ッ、いきてたのか・・・」
「ワァ〜」 っと、ベッドに顔を伏せ、声をあげて泣き出した。
心配かけた、泣けばいい、泣けばいいけど、押しつけているお前の顔の下は、今,手術が終わった
ばかりの腹だ、イテェ〜、けど我慢してやる、で、も、やっぱり、イテェ〜!
「それより早く縛られてるのをほどいてくれ」
「知らないだろうけど、あばれて自分でチューブ抜いてベッドが血の海だったのよ。
阿曽先生は大丈夫って言ったけど、もう駄目かと思った」
そういえば、頭の上にたくさん機械が積まれていて、それぞれの機械からチューブが出て私の体に
入っている。他にも点滴や排泄のチューブなど全部で20本ぐらい体に入っている。これをスパゲッテイ
状態というらしい。
「どうや、かっこいいやろ、サイボーグみたいや」
「フン!」
さっきまでは可愛かったのに、もういつもの女房に戻ってしまった。
意識が戻った翌日。ベッドから降りて立てという、だれも手伝ってはくれない。寝ているちょうど胸の
あたり、手を伸ばせば握ることのできる高さにつり革があって、それにすがって立てという。もうリハビリが
始まったのだ。これがまた腹筋を切断されているので、なかなかむつかしい。
肝臓移植の手術はアバラ骨が左右に分かれているところから縦に10cm切る、するとへその上5cm
ぐらいになる、そこから左右二股にななめ下に10cmづつ切る。この形がベンツのマークのようなので。
看護師が自慢げに言っていた。さすがドイツ、座布団一枚!
その翌日から歩かされた。機械からチューブを外し、帽子と手袋を着せられてICUの廊下を歩く。前から
見ればさほどおかしくはないが、後姿は実にまぬけで、着ているのがベッドで脱ぎ着しやすいように体の前に
当てて袖を通し後ろでヒモを結ぶ。昔の母親たちが着ていた割烹着のようなワンピースだから、後ろが少し
開いている。もちろん下着は着けていない。
ただ歩くだけなので、なんでもないと思っていたら大間違いで背筋を伸ばせない。傷口を引っ張るので痛い。
海老のように背中が曲がってしまい、この姿勢は腰にくる。それでも胸を張り背筋を伸ばして歩けという。
「ヤンケさんはシャンと背中を伸ばして歩いてるでしょ、どうしてできないのよ!」
鬼の女房が言う。
私より6時間後に移植した彼は一般病棟で同室で、付き添いもなくスーツケースひとつさげて入院してきた。
その時の彼の腹は水が溜まり、スイカでも飲み込んだかのように膨れ上がっていた。だから水がぬけ皮がたるみ、
背筋を伸ばしても痛くない。この裏切り者め、三国同盟も二国同盟も破棄だ。