当店のパラゴンの図面etc


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 ------ 友、遠方より、、、、 ------

夕刻、客はなく、妻も出かけ、一人、コーヒーを啜りながら新聞を見ているときに電話が鳴った。
 
      「はい、ジャスト イン タイムですが」
 
      「イソダさんでしょうか、ユーコ ダンフィですが」
 
      「エ〜ッ ダンフィか!、ニホンに帰ってるのか」
 
      「いえ、ロンドンよ、前に加藤君に聞いたら、『死んだのと違うかって』言ってたのよ。でも、
 
      ユーカリに記事が出てたから・・・・・」
 
             「ほんまに・・・あいつ・・・」
 
彼女は中学の一年後輩で大学時代に再会して付き合いがはじまり、お互いの友人を巻き込んで
 
よく遊んだ。某有名女子大学の英文科卒業し、英語力をいかして外国航路の客船で仕事していた、
 
やがて、英国人と結婚しロンドンに住んだり帰ってきたりしていたが、阪神大震災当時は神戸にいた。
 
よほど揺れるのが怖かったのかロンドンに行ってしまった。
 
以降、クリスマスカードはやりとりしていたが、私が前の仕事をやめてから途絶えていた。
 
  彼女との関係を説明するのは難しい、改めて彼女と話たこともないので一方的かもしれないが、
 
異性でありながら四十年も友人でいられるのは尊敬と信頼の上になりたった関係で、胸を張って
 
紹介できる自慢の友人であります。
 
あまりにも突然で、なにを話していいのかもわからず、ドギマギしっぱなし、電話を切った後もボアァ〜ンと
 
して、彼女との沢山の思い出が浮かんできた。
 
 ユーカリというのは卒業生に送られてくる新聞で、海外にまで送っているとは知らなかった。これをきっかけに
 
彼女の友人までメールをくれた。二人に、ありがとう、感謝、感謝だ!
 
 
 
  
  この興奮を胸に仕事を終えて帰宅。ヨイショと腰を下ろして、テーブルの上の葉書を手にとって心臓が
 
止まりそうになった。オット、私の心臓はペースメーカーが入っているので止まらない。
 
[ その後、お店の方は、エンジョイしてますか?そのうち神戸の方へもうかがいたいと
 
思います。  2008年、正月、Billi's Bar 新井 幹夫 ]
 
  約十年前、初めて一関の”BASIE”へ行き、菅原さんが彼のテーブルに呼んでくれたときに、隣にいたのが
 
新井氏であります。彼もジャズの店を千葉でしているとのこと。
 
「これ、職業病です」と差し出した右手人差し指の爪の横に2mmほどのタコ。
 
「カートリッジを指で引っ掛けるだけで、こんなのできるんですか」
 
{ 彼の使っているカートリッジは針圧の重いオルトフォンだろう }と、その時思ったものだ。
 
 確かその翌年だったと思うが、彼にもらった名刺を頼りに千葉の”Billi's Bar”へ行った。
 
今まで行ったジャズ喫茶のうち”BASIE”さんを別格として、こんなに完璧な音に出会ったことはない。
 
ドルフィのバスクラリネットに完全にノックアウトされてしまい。いまだにオーディオ調整用のサウンドとして
 
耳に残っている。
 
JUST IN TIME を開店して以来、沢山の人に”Billi's Bar”紹介した。情報によると私が伺った時とは
 
スピーカーが変わっているそうだが同じJBLだ。私のような中途半端な趣味の人間とは違い、長年

プロとして真剣勝負をしてきた人は、装置が少々変わっても同じような音を出し、さらに凄みをまして
 
いる可能性のほうが大きいことを私は知っている。新井氏のオーディオは本物であり凄い。
 
でも、大きな疑問がある。
 
遥か昔にきた神戸の男とJUST IN TIMEの店主がどうして結びついたのだろうか。伺った当時
 
私自身、ジャズの店をしようとは思っていなかったのだ。
 
もっと不思議なのは前職の住所からの転送ではなく、彼の自筆の宛名書きで、葉書が家に届いたのだ。
 
彼に名刺を渡したとしたら昔の名刺だし、今も昔も名刺に自宅の住所は書いていない。送りこんだ
 
人々も知らないはずなのにどしてだろう。新井氏の本職は興信所をやってるのかもしれない。
 
 
 
こんなことが一日に二度も起こるなんて心臓には最悪の日だった。人生六十年以上もやってると
 
こういう日もありえるということだ。是非二人には会いたい、ロンドンは簡単に行けないが千葉には
 
今年中に行きたい。新井氏にも来てほしい、但し音は出ないかもしれない、パラゴンが”おそれいりました”
 
と言うことだろう。
 
 
 
昨年末から思いもよらぬ出来事が続いている、これはその中のひとつだ。大半は良いことなのだが、
 
ひとつだけ悲しい出来事があった。JUST IN TIME をバリアフリーにしてしまった張本人であり
 
”店主の呟き” ”A 体に優しいジャズ喫茶” の彼が逝ってしまった。あれを読んでいただけば
 
彼が病気に負けず、素晴らしい人間だったかわかっていただけると思う。
 
不治の病と闘病中の彼を癒し続けたのはオーディオであり音楽であったのは間違いない。
 
         ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌!
 
                                             磯田 省三


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