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J'UPONICA  VOL..3
J. was Talking...

フラフラ旅行 '81
「・・僕は鏡なんです、僕が輝けるのは僕がエライからじゃないんです
 みんなが僕に光を当ててくれるから僕は輝けるんです
 ただ僕はみんなが当ててくれる光を反射してるだけなんです・・・・
        ・・・ホントに、ありがとう(涙声)・・・」
もっとこの言葉は続くんですが今日は頭に残ってる この部分だけ書いておきます^^;
これは、Julieとハワイ旅行したフラフラ旅行'81のときの最後の船上パーティーで
JulieがFanにあいさつしてくれた時の言葉です。
Julieが私達Fanに向けての感謝の言葉だったんですよ^^
そんなときもあったんだ^^;
text by anju
TV/Julie「謹慎」を語る 沢田研二VS田宮二郎
今は亡き田宮二郎氏とのトークだったのですが
これがあの謹慎した後の時のもので
田宮氏が如何にも解かったような口ぶりで
「Julieは疲れていたんじゃないかな」云々と言って、
Julieはすでにその時から諸にいやな顔・態度をしてました。
そしてJulieが話し出した時です。
マジ顔で目が少し釣りあがって、まぁその美しさったら、
あの時代のJulieはほんとに綺麗でした (*^.^*)
Julieがチョットおこった口調ではっきりと田宮氏に向かって
こう言いました、
「僕はいやなことを言われれば、うるさいバカヤローと言いますし
バカヤローは普段もしょっちゅう言ってますし、あの時も
言葉で言って、また向こうがきたからその延長で手が出てしまったんです。
でも、それを疲れてたからとかそう言うことをいい訳にはしたくないし
はっきり言って、田宮さんや周りの人Fanの人にかばって欲しくはないです、
これは僕自身のことであって
僕がきちんと対処すればいいことで人に何だかんだ言われることじゃない。
休んだのも自分が考えてそうしようと思ったからしただけで
回りに対してどうのと言うことではなかったですから」
と言うようなことを言ってました
(チョットビデオだけじゃなく色んなものが混じったかもしれませんが^^;)
普通ならTVでああは言わないでしょう。まして面と向かってですよ。
でも田宮氏はそんなJulieを間近で見て聞いて惚れてしまったなと
これは私が思いました^^;
最後に二人握手をしたのですが
田宮氏がなかなかJulieの手を離そうとしなかったんですよ。

text by anju

1976/2/21 オールナイトニッポン Julie「花の首飾り」を語る
なんとけだるく喋るJulieでした、愛想も何も無い^^;
そこで出たのが「花の首飾り」のこと


Julie:
・・・・・タイガースで一番売れたのは「花の首飾り」なのよ
それはもうホントにそうだからしょうがない、
それは僕も認めてるしそうなんだけど、
ま、今まであんまり口にしたことはなかったんだけど
それはやっぱりショックでしたよ、一応リードボーカルはぼくだったわけで
最初A面は「銀河のロマンス」だったんだから、
それがコロッと「花の首飾り」が売れてA面なった、それはもう一種の屈辱でしたよね
そりゃそうですよ、リードボーカルとして歌ってきた僕にとっては
腹たちましたよぉ、だからってトッポとけんかしたって
記事が沢山出たわけじゃないんですけどね^^;
コンプレックスとして残りましたね、
それはもう、これからもずっとコンプレックスとして残っていくだろうし
仕方の無い事だし
でも僕は、それがあったからナニクソと頑張ってこれたんだと思うんです
何か心に「ガツッ!」ってくるものがないと人間頑張れないもの
だから、今がこうしてあるのもそう言う事があったからなんじゃないかなと
思うてるんです・・・・・・
と言うわけで、ノスタルジックや懐かしいと言う事だけでなく
じっくりと聴いてください
                          「銀河のロマンス」と「花の首飾り」がかかりました

text by anju

1982/6 FM・NHK『サウンド・ストリート』-1- 沢田研二VS渋谷陽一(ロック評論家)

時期的にタイガース再結成が終わったあとであり、ソロでは『お前がチェックイン』がヒットしている頃。
長文を避けるために多少の省略はあります。

渋谷:こんばんわ渋谷陽一です。
『ビッチ』(R・ストーンズ)が流れる。(この番組での選曲はすべて沢田研二)
エー今日のゲストは、前から予告してましたように沢田研二さんです。
どうも、こんばんわ。
沢田: こんばんわ

渋谷:
エー今週は視聴率週間ということで、他の曜日に比べて、
DJの知名度の低さをゲストでカヴァーしようと、いたいけな企画で。
なるべくビッグな人を、というところで沢田さんを呼んだ訳なんですが。
最初にストーンズかかったわけなんですが、やっぱり?
沢田:
もうーファンですから。5年以上前かな、パリでコンサートあった時に
見ることが出来て、見てしまうとまた好きになってしまってね、
それまではプロモーションフィルムとか、あとは写真とかで、
たぶんあーだろうとか、こうだろうとか想像めぐらしてたんですが、
やっぱり生で見て。子供みたいやネ、ミックって。
キースは好きな事やってるし、皆それぞれ個性があってね。
渋谷:
沢田さんの場合、ストーンズはタイガース時代から、
こだわりがあったわけで、これは誰の意志だったんですか?
沢田:
皆でいろんなレコード聞いてね、どの曲をレパートリーにするかという
話になった時、ビートルズは、やりにくかったですよ。難しかった。
緻密にやらなきゃい けないし、ストーンズはラフでいいでしょ(笑)
ステージ向きだったというか。
渋谷:
いわゆるロックシーンの中でも割と大きな指示がありながらも、
一貫して芸能界という事に、こだわり続けてる沢田研二。
「俺は歌謡曲シンガーだ」といつも意識的に言い切ってる見たいな
部分があるように思うんですけど・・
沢田:
まーやるしかないですからね。能書き言うててもしょうががない、
というのが僕らのやり方やから。
業界では、やってる事がどうであれ、歌謡曲歌手やといわれてるから、
それならそれでいいわと。いろんなところで言われるんですが、
本当はロックンローラーとしてやりたいんじゃないかと、
その辺に不満があるんじゃないかと、聞かれるんですが、
どこでやっても同じやからね。でー上手いとか下手とか・・・
ミックジャガーがいろんなアーティストの集まりでバカにされた話を聞いてね、
バッド・カンパニーのヴォーカルに「ミックあんたは歌、下手やね」と言われて、
「俺はストーンズだ」といいよったのが、すごくカッコよかったし・・・
渋谷:
今度のストーンズのアメリカ・ツアーでは昔の曲、『アンダー・マイ・サム』とか
『タイム・イズ・オン・マイ・サイド』とか・・・、『タイム・イズ・オン・マイ・サ イド』と聞くと
私はよく沢田研二さんを思い出すんですが。
沢田: 歌い方変えてましたねー。

渋谷:
そうですね。昔の曲をやって、ストーンズ20周年記念という、
そんな趣もあったんですが。えータイガースも再結成されて、
同窓会をやったわけなんですが、なぜかメンバーは全員揃わなかったと、
なぜかドラムの瞳みのるさんだけ、参加されなかったと。
それについてはどうですか?
沢田:
彼は芸能界をきっぱり辞めたでしょ。偶然に合わない限り、
会おうとして会える人じゃなくなってしまった。
学校で授業やってる時に行くと、いえ聞いてない話には合えませんと。
取材人が行っても、誰が行ってもそうなんです。
ごく少数の人を介さないと、その人を介するのも難しい、
アパートの大家さんに電話しても、~一切取り次がないでくれと言われてます~、
えらいガードが固いんですよ。
柴田蓮三郎のお嬢さんとかね、その人たちを介してね、
交渉してもらったんですが、今彼はそういう気分にはならないと思うと、
「話してくれたんですか?」と言うと、まー話すどころではないと・・。
まー彼には彼の考え方が在って、自分の仕事もちゃんとやってるから、
それはそれでいいんじゃないかなと思いますね。
だから今回、同窓会と言う言い方をしたのは、通知を出しても来ない人も
いるだろうと。彼に敬意を表して、僕たちは「復活」と言う言葉を
使わなかったんです。まー中国ヘ行って、勉強しているらしいですから、
…えー、嘘みたいな関係になってるんですよ。
渋谷:
タイガースの現役時代で印象に残ってるのは
「ビート・ポップス」と言う番組あって、最後に演奏して、
巨泉さん・星加さん・木崎さんが司会やってって、
来年のロックシーンはどうなる、こうなるって言ってたら、
突然瞳さんがぬっと顔出して、
「来年の事なんかどうだって良いじゃないか、そんなの解る訳ないだろう」って
言って、僕は腰を抜かした事あるんですが。
沢田: 生放送でしたからね。

渋谷: 反逆児だったんですか?あの人は?

沢田:
今やから言える事ですが、解散するのは彼の意思がつよかったね。
その前に加橋かつみが抜けてるから、これ以上メンバーを変えてやるのは
いやだと、他のメンバーも言ってた。瞳自身もそれは許さんと。
それが守れなっかたら、1月24日まで待てないと、
だからこうしなきゃいけないと、とりあえず1月24日までは、
彼の言うとおりやってたんですよ。
彼がよっぽど芸能界から足を洗う原因は大きいんだろうけど、
僕らには理解できなかった。当時、週刊誌なんかで内幕・暴露的風記事が
出てたんですが、彼は勉強して、ジャーナリストに成って、叩いたろと
言ってたんです。それが今は、学校の先生で…、
彼は昔タロー・サリー・カツミと同じ学区で、そんなに勉強一生懸命やる
人間やなかった。その人間がまた京都に帰って、中退ですから、
また高校に入りなおして、大学へ入って、大学院出て、
それで先生になるんやから、彼がそんなに頑張れるエネルギーを僕らが、
または芸能界が与えてしまったんやナーって気がしましてね。
もちろん彼の努力、尊敬するけど、ほんと(彼は)変わってるねー(笑)
渋谷:
タイガースと言うところを見ると、アンチ芸能界と言う極北に瞳みのるが居て、
断固芸能界と言う所に沢田研二が居る、と言う気がして
両方とも非常にラジカルな気がするんだけど。
沢田: その間には、加橋かつみが居ますしね(笑)

渋谷:
(笑)それでは2曲目沢田研二さんに選んでもらった曲、
ビートルズで『ヘイ・ジュード』・・・

text by 是清

1982/6 FM・NHK『サウンド・ストリート』 -2- 沢田研二VS渋谷陽一(ロック 評論家)
渋谷: 今度はビートルズなんですが、ビートルズはどうですか?

沢田:
もう聴くぶんには、すごくいいですね。好きさ加減からいうとビートルズのほうが、
グループとしてはやっぱり上かなという気がするんですが。
いろんなグループがあって、その代表やしね。で、グラミー賞取れなかったでしょう、
『ヘイジュード』の時に『ミセス・ロビンソン』に持っていかれた、
アレは悔しかったですよ。
渋谷: 今でも聴きますか?

沢田:
うん今聴いても、全然いいですね。当時気が付かなかった事が、
今歩きながら聴ける機械があるでしょ、ヘッドホーンで聴くと、
アー間違ってるわとか、発見したり・・、いつ聴いてもビートルズは新鮮ですね。
渋谷: 4人の中で、沢田さんにとってリアリティーのあるのは誰ですか?

沢田: やっぱりジョン・レノンが印象が強かった、でも影薄い人が好きでした(笑)

渋谷: 影薄い人というと?

沢田:
ジョージが好きやった。彼が作る歌なんて・・つまらん曲もあるんやけど、
良いとすごうええね。『サムシング』、『ギターは泣いてる』あの辺のやつは大好きだし。
でもいろんな事をやって、いい事も悪い事も、僕らの好きじゃない事も見せてくれて、
考えさてくれたのは、ジョンですね。
渋谷: 解散した後も、個々のメンバーの曲聴いてました?

沢田: 聴いてました、でもなぜかポールのは、あんまり聴いてなかったなあー。

渋谷: なんでですか?

沢田:
ひねくれてたんやね僕も(笑)そういう時期ってあるでしょ?
売れるのはよくないんや、みたいな(笑)。
渋谷:
いきがりみたいな?その頃の自分の音楽的方針も、
それに影響受けたりとかあります?
沢田:
やってる事が、軽かったというか、そういう意味では、
うるさい風の気分だけでもというか、隠し味的な事、
僕らどうしても必要だったから、これちゃんと俺、解ってやってるんだよ、と
説明付でやらないと、馬鹿にされるみたいなことあるでしょ。
こういうのやってるけど(ポップな事)、
聴くのは結構うるさいのが好きなんですよ、みたいな。
渋谷:
今や歌謡界は、年齢低下が著しいいわけで、歌謡曲シーンにおいて
年齢的プレッシャー感じませんか?
沢田:
周りがみんな言うからね、ある意味では尊敬というのも含まれてるんだろうけど、
茶化してる部分が半分だろうと思うんですが、
「まあー、ようやるわね」という言葉でいう、いい意味でも悪い意味でも。
後は自分がそう思うのか、思わないのかだけで良いんだと思う。
僕はあんまり気にならないし、自分で無理してるというのも全然ないし。
観てる方は比べることしかないですしね、
「しんどいでしょ?」って言われるけど、本人はそうでもないしね。
渋谷: じゃ続いてダイアナ・ロスを聴いてください『アップサイドダウン』 続きは今度

上記ジュリーの言葉にもあるように、「歌謡曲シンガー」と世間では位置づけされてたが、
彼のコンサートでしか聞けない外国カヴァー曲には、こだわりがありましたね。
他の同業者がやりそうもないナンバーだったり。
僕らにこんな曲もあるんだよと、教えられたり。とにかくセンスがよかったと思います。
text by 是清

1982/6 FM・NHK『サウンド・ストリート』-3- 沢田研二VS渋谷陽一(ロック評論家)

ダイアナ・ロス『アップサイドダウン』が流れる。

渋谷: このダイアナ・ロスは意外な感じが・・・
沢田:
え、この人も大メジャーな人で、この人をロス・アンジェルスで、フォーラムで観たんです。
一杯ヒット曲もってる人やから、一回見とこかなという感じで。
まー大した事ないだろうと思いながら、行ったわけ(笑)。
最初のうちは全然・・・なるほど・・・演出が見えてるなと思いながら見てたんですが、
そのうち、イヤーもうすごいんですよ。もう気持ちよくなってね。
舞台の後ろ側の、一番後ろやったんですが、それでもすごく楽しかったしね、
「のっちゃいかん、」って逆らいながら見てたんですよ(笑)。
「いや、一応俺は同業者やとおもいながら(笑)」
向こうの人はよくスキンシップで、抱きついたり、キスしたり、
アー言う気分になってきますよね。
男の人みてるんと違うから、やっぱり女の人観てるでしょ、
スタイル良いし、可愛いし、触りたくなるね(笑)
渋谷:
最近、坂本龍一と忌野清志郎が出てきて、今までのテレビ常識を覆すような、
寝っ転がったり、訳の解らないアクションで・・。
面白かったのは沢田さんと同じ番組出てて(歌のトップテン)、
沢田さんが彼らを見てて、「なんだろうな、この連中は・・」
ってな顔してたのが面白くてね。アー言うのどう思います?
沢田:
だからいろいろ同業者としてね、どういう考えでやってるんだろうと、
裏の方を考えるでしょ。テレビ出ると言う事が、彼らのファンにとって反逆行為とすれば、
その中で精一杯「ロックはハチャメチャさとか、反抗的だ、尋常じゃないのがロックさ」と、
いわゆるお茶の間の人じゃなくて、自分たちのファンに言ってるんじゃないかなと、
あの時はそういう印象で見てましたけど。
それと、この人たちはテレビをあまり重要視してないから、アレが出来るんだろうし。
先々出ようと思うならアレは出来ないだろうし。
パッと出てどれだけインパクトを与えるかと言うんで、ハチャメチャやってるんやなと。
渋谷: そういう尻まくっちゃった強さ、うらやましいと思うことありませんか? 沢田:そうね、うらやましいと思うし、僕らの場合はそれが出来ないから、小出しにしないとね(笑)
渋谷:
(笑)・・なるほど。
次は新しいアルバム『ア・ワンダフル・タイム』の中から、
まずはタイトル曲をどうぞ。  続きは今度。

僕は清志郎のファンでもあるので、興味深かったです。
このあと7年後、二人は、アルバム『彼は眠れない』で共演するわけで、うれしかったです。

text by 是清

1982/6 NHK FM『サウンド・ストリート』 最終回 沢田研二VS渋谷陽一(ロック評論家)
渋谷:今度のアルバム『ア・ワンダフル・タイム』のコンセプトは?

沢田:
根が暗いもんですから、『ストリッパー』にしても、どこか地下に
もぐるような感じだったんで、今度は夏に出すやつだし、
明るく・軽く・心地よくと言うことで、マイナーな曲は
『ア・ワンダフル・タイム』だけで、あとは全部メジャーな曲です。
渋谷:根、暗いんですか?

沢田:
決して明るくはないですね。こういう仕事してなかったら、
ホント地下に潜ってしまうような、一年通していつも青白い顔してるタイプ
だと思いますね。(苦笑)
渋谷:
沢田さんは(喧嘩ぱやい)と言うイメージもあるんですけど。
芸能生活長いですけど、今までで、一番腹が立ったことって?
沢田:
う〜ん、ちょこちょこあるけど、忘れてしまいますけど。
そんなにいつまでも根に持つ方ではないですけどね。
渋谷:もう、辞めてやる!みたいな、バカヤロー!みたいな事は?

沢田:
う〜ん、やってる事を、けなされたりするとね。
・・・・誰でもそういう瞬間あると思うんですが、
「俺がいんようになったら、困る奴おるやろな」ってな事をね。
でもね、これはね、僕、病気して一月入院した時、
コンサートもテレビの仕事もキャンセルしたんだけど、
これは大変な事や、みんなものすごー困るやろなーと。
確かにみんな困ったやろと思うけど、でも何も起こらないで、
世の中動いてると思ったら、一人ぐらい、いんようになっても・・・。
どんな偉い人でも、もう、いんようになったらしまいやで、と思いましたね。
渋谷:佐野元春のような、日本のロックミュージシャンも積極的に取り入れようと・・?
沢田:
佐野君の作ってくれたのは、すごく好きだし、
僕らでは作れないタイプの曲を作ってくれるから、
これからもどんどんいろんな人に書いてもらおうと思ってます。
渋谷:特に興味を持ってる人は?

沢田:
なかなか書いてくれそうもないけど、桑田君とか・・、
う〜ん甲斐君とか、・・・
渋谷:ステージなんかはあまり見に行かないですか?忙しいから・・・

沢田:
今度あれ見に行きますよ。オフコース。
タローがメンバーと仲いいらしくて、タイガースの打ち上げの時にも来てくれてて。
(日本武道館で)10日間もやるから1日見に行けます。

text by 是清

1982/2/5 TV放送 -1- 沢田研二VS笑福亭鶴瓶
鶴瓶:
沢田研二さんです。どうぞー(スタジオ拍手) お会いするのは何回かあるんですが、こうしてインタビューするのは初めてです。・・・・・・(CM)
僕5回目なんです。最初に会ったときね、「沢田研二と今日会える!」ってね
ワーとなって、家、出しなにね、内の嫁はんが「一緒に連れてって」
「あかん!これは仕事や!そんなら、匂いだけでも持ってくるは」って言うて、
あのとき袋を持ってきたの憶えてますけど
沢田:アハハハハ・・・(始終笑ってる)

鶴瓶:
それでね、部屋へ(沢田研二の楽屋)最初に行こうと…。
心の中で、沢田さんね、この人より僕、勝ってるなーとか、
この人は負けるなーとかありますやんかー?。
俺ね、たいがいスターには負けませんよー。
沢田:アハハハハ・・・

鶴瓶:
沢田研二!。・・うん今日は僕から挨拶に行こう。
やっぱり、いい子や思われたいですやん。
行こうと思って行きかけたら、沢田さんがリハーサル室に来て
「沢田です。宜しくお願いします」って言われた。くそーなんで先言うねんー。
あの時、俺、挨拶しない男やと思われてるんちゃうやろかー。
沢田:アハハハハ・・・そんな事思てない・・・

鶴瓶:
今日はね長い時間話せるということで・・(沢田研二の手を握る)
   (会場の女の子から嫉妬の声)
ええやんかー!嫌やったら、落語家になれや!
沢田:アハハハハ・・・(馬鹿笑い)

鶴瓶:それでね、聞きたいのはね、タイガースやってた頃、体重何キロぐらいありました?

沢田:デビューした頃は48キロ。

鶴瓶:
48キロ!中年なったら肥えますでしょ?俺ね高校の時52キロでした。
それでね、俺、今86キロですねん。だから34キロですわー。
小学校ひとり背負って歩いてるようなもんですわ。
沢田:アハハハハ・ ・・

鶴瓶:家へ帰っても、降ろそうと思ってもなかなか降ろせないですわ-。
沢田:アハハハハ・・・

鶴瓶:今何キロですか?

沢田:今? 57キロ・・・。

鶴瓶:約10キロしか肥えてないんですね。

・・・省略・・・

沢田:
僕も欲望に任せたら肥える性質なんですよ。
まーこういう仕事やってるから、あんまり太っちゃねー。(鶴餅絶句) 落語家はええやん・・・
鶴瓶:ちょっと待ってください。その感覚おかしいと思うんです

沢田:御免、御免

鶴瓶:「落語家はええやん」って僕かって、キャーキャー言われたいですやん。

沢田:そんなら、痩せなあかん。

・・・省略・・・

鶴瓶:
友達を通しての沢田研二像が有るんですよ。
「いくつかの場面」って歌あるでしょう?
沢田:はい、はい

鶴瓶:
あの歌、歌った時泣いてはったでしょ?
(河島)英伍、友達なんですよ。英伍が始めて沢田さんに曲作った時、
俺に・・・「沢田さんに曲書いたんや。レコーディングの時泣いてくれたんや。
嬉しかったわー」って言いよった。
沢田:
あれはね、歌ってて、いろんな事をあの歌のように思い出して、
いろんな事あったけど、なんとかやってる嬉しさとか・・複雑な気持ちになってね。
で、取り終ってね「これは使わんといてや-」って言うて、
それからどっか仕事で外国に行ったんです。
そしたらアレンジとプロデュースの大野さんが「これは入れとこ」って
いれよってね(笑)そのまんま、はいってる。
鶴瓶:入れた方がよろしいでっせ・・・

・・・省略・・・

笑福亭鶴瓶のレギュラー番組にゲスト出演する。
『麗人』を歌った後の対談。(番組名忘れました)
省略あり。関西弁かなり有り。
ほとんど鶴瓶が喋って、ジュリーはただ笑ってたと言う番組でしたが、
次回も懲りずにパート2投稿します。
text by 是清

1982/2/5 TV放送 -2- 沢田研二VS笑福亭鶴瓶
鶴瓶:
僕らねテレビ見てたら、歌手の人ってよくネタになりますでしょう?
この人、化粧厚なったなーとか、この人なんやねんとかー。
茶の間で言ってるから分からんでしょ?紅白歌合戦でもそうですわ、
今年の紅白誰が出るんやろ、「沢田研二」これはしゃーないな、
「五木ひろし」これもしゃーないな。えーこの人!
なんでやねん、歌売れてないのに!って
目を三角にして怒ってますねん。本人自身らも思いますか?
沢田:
思うけどね、決めるのこっちじゃないし、
自分がそうなったら(売れてないのに紅白に出ること)イヤやろなと思いますね。
鶴瓶:今はそんな事ないでしょ?

沢田:
だから、僕、喧嘩した時あったでしょ。
1回目は、『時の過ぎ行くままに』の時はシカとして出たったんや。
その次の時は(2回目の暴力事件の時)、さすがによう出んかった。
やっぱり言われたからね。「なんであんなん出すんや!」って・・・
(もし出てたら『ウインク・・』か『コバルト・・』を歌ってたでしょう)
鶴瓶:
(興奮気味に)ちょっと聞いてもらいたいわ。
俺らでもそうですわ。俺この前、阪急電車乗ってて、普通の格好して、乗ってたら、
後ろで大学生が俺に「なんや、くっさい格好しやがって」言うんですわ。
俺も押さえとこと思ったんですが、後ろ振り向いて目が合ってしもたんですわ。
行かんとこーと思たんですが。そばに女子大生が居てね、
このまま(俺が)逃げたら、弱い男やと思われますやん。
「オーなんや!もう1回言うてみー!」て言うたんですわ。
その男が「にいちゃん、まー座りーなー」、
(鶴瓶)「文句あるんやったら向こうの両にいるから来いや!」って言うて
その場を去ったんですわ。なぜこれ、週刊誌出ないんでしょう?
沢田:アハハハハ・・・

…省略…

鶴瓶:人間でしょ、なんぼ芸人でも人間でしょ。

沢田:やってる芸でね、人格まで決められたら困るわけや。

鶴瓶:俺あの時(沢田研二の暴力事件の時)拍手喝采送りましたで、俺の性格そうやから。

沢田:いやいやいや・・・・

鶴瓶:それはやったたら、よろしいねん。

沢田:もうやったらあかん。

鶴瓶:抑えきれなかったら、言ってください.電話してください.俺行きますから。

沢田:
実際問題ね、結果的に痛い思いしたからね、絶対手は出さんと思う。
その代わりメチャクチャ言うたろと。
「このガキは我・・コラ!・・」って、顔で言うたろと
鶴瓶:それかね、そんなん言わんと、前で踊ったったらよろしいですやん

沢田:アハハハハ・・・

…省略…

text by 是清

【沢田研二のひとり言】
楽譜集/沢田研二「ビッグヒットコレクション」の下欄に
1ページ一言づつ書かれていた【ひとり言】。当時のジュリーの思いが窺われます。
*初恋は小学5年の時、ずっと想い続けていたけど何もいえなかったのです。
*昭和23年6月25日、鳥取県で沢田研二が生れた。
*ボクの家族は、両親と兄、妹で銀閣寺の近くに住んでいます。
*ワンパクが功してか(?)中学時代にはケンカが強く“岡中三羽烏”と呼ばれていた。
*昭和42年2月5日、タイガースとしてポリドールから“僕のマリー”でデビュー。
*鴨沂高校では空手部に入るが、まじめな生徒ではなかった。
*本は殆んど読まないが、時々マンガを読む。
*ボクがステージ・マナーを守っているんだからファンもマナーをわきまえて見てほしい。
*ボクは満足してもらえるステージ作りの為、歌に全力投球している。
*コンサートで必ず歌う曲は“気になるお前”です。
*タイガースの時は、ファンのことや曲のことでメンバーといつも議論していた。
*小学5年の頃から野球に夢中になり、岡崎中学では野球部に入った。
*食事は全て外食、料理は出来るが洗うのがめんどうだから。
*車はモスグリーンとブラックのセドリックで運転手付です。
*ボクのサイズ、B 83センチ、W 72センチ、H?です。
*生れてすぐに京都へやって来て、ずっと京都育ちです。
*性格は短気で、すぐにカッとするが素直なのですぐにカラッとした気分になれる。
*ショーケンとはGS時代からの親友です。
*休日はあまりないので、1日位だったら自分の部屋でゴロゴロ、2〜3日位あればどこかへ出かけて身体を焼く。
*ファン・クラブは東京都渋谷区笹塚1-47・京王重機ビル内/渡辺プロ友の会。
*ファンの気持ちは大体わかるつもりなので、ことさらファン・レターやプレゼントはいりません。
*新聞と自分に関する記事は必ず目を通します。
*錦林小学校ではワンパクで先生の注目の的。
*化粧品は一切使用しない、整髪料も全く使わない。
*タバコは喫わないけどラークを愛用します。
*ボクの身長は171センチ、体重は54キロです。
*今のボクが人気にのまれないのはタイガースがあったからこそです。
*寝る時はいつもパンツ1枚で、部屋をまっ暗にして寝る。
*“危険なふたり”以後ボクの洋服は早川クンのデザイン。
*芸能界でゴルフをやらないと宣言したのはジュリーと郷ひろみの二人。
*仕事の面でも最高の状態にあるとき、ボクは結婚したい。
*靴はワシントン、下着はVAN、飲むのは「タロー」。
*ボクのジーンズは青山のEIKOで殆んど揃えます。
*将来の夢は、自費出版でレコードを作り、自分のスタジオを持つこと。
*足のサイズは23,5センチ、視力は良くて両方とも1,5.
*昭和46年“花太陽雨”でショーケンと一緒にPYGでデビュー。
*ギャンブルは勝つとは限らないから一切やらない。
*スポーツは野球と空手、そして水泳もマアマア出来る。
*“危険なふたり”は100万枚も売れて、ボクの大ヒットです。
*只今、中野ブロードウェイのマンション10階の住人。
*三枚目の関西ヤクザ“股ずれの研”は十八番の役柄です。
*井上孝之バンドはボクにとって最高のバンドです.
*お酒を飲むと少しだけいつもより陽気になるタイプ。


Special Thanks
text by 是清さん


その他 タイトル・リスト

to be continued


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