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「素敵な宇宙船地球号」 TV朝日
TOYOTAT ECO シリーズ Spaceship Earth
毎週日曜日夜 23:00〜23:30
内容については番組オフィシャルサイトより
2001/9/9 【第204回】「朱鷺と暮らす里〜中国・泰嶺山脈へ」

中国の中央部、陝西省(せんせいしょう)に広がる秦嶺(しんれい)山脈。標高3000メートル級の山々が連なるこの山麓に、現在確認されている中で、世界で唯一野生のトキが生息している場所があります。保護区に指定されている木家河(むちゃは)は地元の観察員しか立ち入ることができず、トキのエサ場となる麓の村では農薬や化学肥料の使用が制限されるなど、トキ保護に向けた条例が制定されています。かつては日本でも農村のいたるところで姿を見かけたトキ。乱獲や環境の変化により激減し、現在は佐渡の保護センターでしか見ることはできません。その佐渡では、今、人々が陝西省の風景を目指し、トキの生息環境作りが進められています。中国と日本で、トキとの共生が模索されています。
ナレーション/沢田研二
(制作協力・テレコムスタッフ/制作著作・テレビ朝日)

シリーズ<地球を守る人>月一度
世界各地で、自然を守るため、傷ついた環境を癒すために、
生涯をかけて取り組んでいる人たちの物語

2003/4/27 第283回  シリーズ地球を守る人 【第1回】
「砂漠を救う緑のゆりかご」 〜生物学者 ゴードン・サトウの夢〜(エリトリア)

1回目は生物学者のゴードン・サトウ氏にスポットを当てる。
長年の闘争を経て1993年に独立したエリトリア。
サトウ氏は独立闘争真っただ中の当地を訪れ、
食糧問題に取り組んだ。
乾燥した大地で持続可能な生態系と農業経済を育成し、
飢餓と貧困に苦しむ沿岸地域の支援に尽力する
サトウ氏の活動と思いに迫る。

アフリカの小国エリトリア。エチオピアからの独立を果たして10年が経つというのに、未だに人々は貧困と飢餓に苦しんでいます。特に海岸地域では干ばつがひどく、食料不足に悩まされています。独立前からこの国で支援活動に取り組む日系アメリカ人がいます。生物学者ゴードン・サトウ博士、75歳。この環境で果たしてどんな事ができるのか……。
彼は、海水に強いマングローブを植林して、家畜のエサにすることを思いつきました。しかし、何か栄養素が足りず、植林した木はうまく育ちません。試行錯誤の末、窒素とリンを木に安定的に与え、かつ誰にでもできる植林技術を生み出しました。
「マンザナール・プロジェクト」と名付けられたこの活動の背後には、戦時下の日系人強制収容所で過ごした辛い経験がありました。プロジェクトに参加する村人の多くは、独立闘争で家族をなくした貧しい女性たちです。「自分も苦労したから、苦労している人々の気持ちがよくわかる」と博士は言います。
マングローブが家畜のよいエサになることも証明され、プロジェクトは順調に進み、4年後までに500万本の植林を目指しています。
「海の牧場」を目指す博士の夢と共に、エリトリアの人々は今、自分たちの力で危機的な状態を乗り越えようとしているのです。

ナビゲーター/沢田研二(ナレーション)

2003/5/25 第287回  シリーズ地球を守る人 【第2回】
「オゾン層を見つめて」 〜算数が苦手な科学者の試み〜(アメリカ)

科学の異端児フォレスト・ミムズ(59歳)
独自の研究で携帯型紫外線測定機を開発し、
オゾン層の測定を行うネットワークを作りました。
初めてオゾン層の世界地図が完成したのです。

 地球のバリア、オゾン層。この破壊は、紫外線量増加による生態系の乱れを招く深刻な問題です。長年、オゾン層の測定はNASAの衛星と重さは150キロもある大型計測器によって行われてきました。高価な計測器だったため、南半球や途上国まで行き届きませんでした。この状況を何とかしようと、15年前から携帯オゾン計測器の開発に取り組んでいる科学者がいます。テキサス州で光学研究を行うフォレスト・ミムズ氏、59歳。わずか700g、500ドルの計測器の開発で、山や砂漠、貧しい地域などあらゆる場所での測定が可能になりました。
彼の本職は科学ライターです。数学が苦手だったため、一度は断念した科学者への道。でも結局諦めきれず独学で学び、遂にはこの計測器の発明を成し遂げました。93年にはNASAの人工衛星の測定精度が低下していることを発見、以来、NASAのオゾン観測に不可欠な存在となりました。
フォレスト氏は毎年、最も空気が澄んでいるというハワイ島へ、世界中に配る計測器の点検をしに行きます。そこで開く環境セミナー講座にはいろんな国の生徒が参加します。学位を持つ研究者でなくとも、オゾンの測定ができることを証明した彼の研究に興味持ち、みな自国へ計測器を持ち帰ると言います。こうして、1人のアマチュア科学者の夢は、小さな計測器とともに、世界に広がろうとしています

ナビゲーター/沢田研二(ナレーション)

2003/6/22 第290回  シリーズ地球を守る人 【第3回】
「舞え!春の妖精」 〜白馬村 チョウと生きるおばちゃん〜(日本)

長野県白馬村。4月下旬、赤紫の絨毯のように広がるカタクリの群生地に、
春の妖精、ギフチョウが舞います。ここは、日本で確認されている約250種類のチョウのうち、
約半数が生息する、日本一チョウの種類が多い地域の一つ。
小山秀代さん(64歳)は1977年、スキー小屋を経営していた章さんの元に嫁いだ時、
この天国のような景色に魅せられました。
以来、夫婦で絶滅危惧種であるギフチョウ類の保護活動をしてきました。
密猟者から守るため、生息地をパトロールしたり、
自然界では増えにくいギフチョウ類を自宅で育てたり……。
章さんの他界後も、挫折せずに活動を続けています。
一生をかけてギフチョウを守る小山さんのひたむきな保護活動を追います。

長野県白馬村。4月下旬、花が咲き誇るカタクリの丘に、ギフチョウが妖精のごとく舞います。長い冬が終わり、里山の春を告げる使者として親しまれてきました。小山秀代さんは
1977年、東京から、スキー小屋を経営していた章さんの元に嫁いだ時、この天国のような景色に魅せられました。以来、自然への驚きや喜びをかみしめる日々を送っていました。しかし、高度経済成長期以降、白馬村の開発が進みギフチョウ類は激減。カタクリの丘を削りスキー場を広げる計画が持ち上がったとき、夫妻はついに立ち上がりました。「ギフチョウの舞う楽園を復活させたい。」 計画を中止させ、夫妻は保護活動を決意しました。しかし、重い病気を持つ章さんの病状が悪化し、小山さんはロッジの仕事と看病に追われました。それでも、決して諦めませんでした。卵を保護し、幼虫のエサとなる葉を2000枚以上集めました。6年間の試行錯誤の後、ついにサナギまで育て上げることができた時、章さんは帰らぬ人となりました。
 今、小山さんは密猟者からチョウを守るため、生息地をパトロールしたり、観察会を開いたり、村の保護監視員として活動を続けています。チョウとして舞うのはわずか2週間。その短い時間を懸命に生きるチョウの姿に小山さんは自分の生き様を重ね、一生かけて守っていこうとしいます。

ナレーション/沢田 研二

2003/7/27 シリーズ地球を守る人 【第4回】23:15〜23:45放送
「赤道アフリカ 未知なる密林へ」 〜行動する生態学者〜

赤道アフリカに広がる熱帯林。人間の活動によって脅かされているこの自然を守るため、並外れた行動力を発揮してきた1人の生態学者がいます。アメリカの自然保護団体、WCSの活動家であるマイケル・フェイ(通称マイク、46歳)。1999年、マイクは約400日かけてコンゴからガボンまで3200キロを歩き通し、手付かずの森の貴重さを世界に伝えました。象牙を抜かれた300頭の象の死体、密猟者が隠していた大量の豹の毛皮、悲しい光景にもたくさん出会いました。この調査がきっかけとなり、ガボンに国土の10%に及ぶ13もの国立公園を立ち上げることができました。今回、ロアンゴ国立公園の基礎調査を行う彼に同行し、その先々で出会う動植物や人為的影響について細かく記録していく姿を追いました。マイクは上半身裸で足はサンダルばきの姿でジャングルを歩いて行きます。様々な痕跡をGPSに落とし、夜のキャンプではそのデータをコンピュータにダウンロード。こうして大量のデータから、森の生態地図が描き出されて行きます。5日かけてロアンゴの森を抜けると海辺に出ました。そこで、何千年も前にあった古い村の遺跡を見つけました。マイクは、遥か昔の人がその生態系を壊さずにいかに生きてきたかを学び取ろうと2003年の秋に、本格的な発掘をするつもりです。
 いつかこの地が完全に守られることを願い、マイクは熱帯林を歩き続けています。

ナレーター/ 沢田 研二

WCSホームページ http://wcs.org/home

2003/8/31 第299回 シリーズ地球を守る人 【第5回】
「誰でも世界を変えられる」 〜環境活動家 セヴァン・スズキ〜

カナダ・バンクーバーに暮らす、日系4世のセヴァン・スズキ(23歳)。
彼女は「環境とは自分が暮らしているところ」と説く若手環境活動家です。
「ROR=責任の認識」という都会に暮らす人々への決意表明を掲げ、
日常生活でのシンプルな実践を訴え続けています。
12歳の時、ブラジル・リオデジャネイロの地球環境サミットで子供の代表としてスピーチをし、
世界を動かす大人たちの心を動かしました。
自分の経験を通して素直に語る彼女の姿勢に世界中の人々が共感しています。
この夏、セヴァンは、RORに沿ったキャンプを仲間と行い、先住民・ハイダ族を訪問しました。
この旅に同行し、彼女の環境に対する考え方のルーツを探ります。

 カナダ・バンクーバーに暮らす、日系4世のセヴァン・スズキ(23歳)。彼女は「環境とは自分が暮らしているところ」と説く若手環境活動家です。「スカイフィッシュ・プロジェクト」という環境NGOを主催し、都会に暮らす人々への決意表明「ROR」を発表。個人個人が自分のライフスタイルに責任を持つよう訴えています。
 遺伝学者で環境活動家の父親を持つセヴァンは、小さい頃から南極やアフリカ、南米などを家族で回りました。自然と共存する人々の暮らしに感銘を受け、同時にそれらの自然を壊して行く現実社会に心を痛めました。そんな彼女は12歳の時、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロの地球環境サミットで子供の代表としてスピーチをし、世界の指導者たちの心を動かしました。以来、10年余り講演を続けています。
 2003年の夏、セヴァンたちは手付かずの自然の中にあるスカイフィッシュ湖でキャンプを行いました。水は湖から引き、夕食には釣ったマス、そこにある資源だけでの生活に挑戦しました。また、先住民ハイダ族の島、ハイダ・グワイ、クイーン・シャーロット島を訪れました。6歳のころから何度も訪れ自然との付き合い方を学んできた島。彼女はここで力を蓄えて、都会の生活に帰るのです。
「森や動物など自然だけでなく、街、政治や経済など生活の場所全てが環境」と考えるセヴァンは、大切なことは何なのか、一人ひとりにできることは何なのか、世界中にメッセージを送り続けます。

ナレーター/ 沢田 研二

2003/9/28 第303回 シリーズ地球を守る人  【第6回】23:25〜23:55放送
「檜の森と生きる」 〜未来派林業家・速水 亨〜

 杉や檜の人工林が広がる三重県海山町。この町で、林業と環境の両立を目指している林業家がいます。速水亨さん(50歳)。江戸時代から代々檜の森を育ててきた速水家の9代目です。
 高度経済成長期に全国の自然林が伐採され、その跡地は杉や檜などの単一種の森になりました。そして人工林は生態系を崩し、災害をもたらすという批判を浴びるようになりました。速水林業は、亨さんの父・勉さんの世代から光が差し込む生態系豊かな森に変えていこうと管理する努力を続けてきました。
しかし、さらに安い輸入材の解禁により、日本の林業不況は深刻化していきました。
 そんな時、速水さんは、審査を通じて健全な森であることを証明していく国際的な環境NGO、森林管理協議会(FCS)の存在を知りました。56項目の審査を終え、速水さんの森は2000年に日本で初めてFSCの認証を受けました。間伐や枝打ち、林道、排水システムの整備など、長年きちんと森を管理してきたことが認められたのです。動植物も周りの自然林をはるかに上回る326種類が確認されました。
 「僕は林業を、地球を守るためのものとしてやっている。」
 急激な速さでその結果が求められる今の世の中で、速水さんは自分とは関係のないずっと先の世代が結果を享受できるよう、未来へ森を繋げていこうとしています。
ナレーター/ 沢田 研二

速水林業
http://www.chiiki-kankyo.net/hayami/
〒519-3413 三重県北牟婁郡海山町大字引本浦345番
Tel: 0597-32-0001 Fax: 0597-32-1012
E-mail: hayami_forest@ztv.ne.jp

2003/10/26 第303回 シリーズ地球を守る人 【 第7回】
「大地から生まれたプラスチック」 〜女性化学者 カティアの夢〜

イタリアの女性化学者カティア・バストーリ(46歳)。
彼女の夢は、「化学=公害を生む悪しきモノ」というイメージを払拭し、
化学で地球を救うことです。
バイオ・プラスティックのゴミ収集袋の製法を開発し、
研究者兼社長として、さらなる製品開発を進めています。
欧州中を駆け巡る彼女のしなやかな生き方に迫ります。

  水の都、ベネチア。毎年多くの観光客で賑わいます。今、この都市は日々大量に発生するゴミの処理問題に悩まされています。この化学の「公害」に、「最新の化学の力」・バイオプラスチックで立ち向かう女性化学者がいます。カティア・バスティオリさん。5年前からベネチア市と共にゴミ処理問題に取り組んでいます。
 小学生のころ化学に興味を持ったカティアさんは、ある時、その「化学」が地球を傷つけていることを知り、ショックを受けました。しかし、そのおかげで彼女は「化学の力で地球を守りたい」という夢を抱くようになりました。
 80年代、カティアさんはバイオプラスチックの技術開発に成功しました。バイオプラスチックは100%自然に戻り燃やしても有害物質を出さない生分解性のプラスチックです。これを使って、食器や農業用シート、エコタイヤ、そして最大のヒット商品であるレジ袋など、いろいろな製品を生み出しています。 91年に仲間たちと会社を設立。以来、開発から営業活動まですべて自分たちで行っています。「化学者だからといって、研究室で実験しているだけではだめ。その技術が社会で本当に役立つまで努力しなければ」。 彼女の「哲学」です。
 ベネチアでは、2003年の秋からゴミ処理の新しいプロジェクトがスタートします。「化学そのものではなく、それをどう皆のために使うかが重要」とカティアさんは言います。少女時代の夢への挑戦は、今も続いているのです。

ナレーター/沢田研二

2003/11/30 第311回 シリーズ地球を守る人 【第8回】
「7世代先の人々のために」 〜デニス・バンクス 見直される知恵〜

アメリカ・ミネソタ州リーチレイク居留地に暮らす先住民、アニシナベ族。何千年も前から、湖や森などの自然からの恵みを受け、暮らしてきました。この地球に生きものは全て繋がりあり、ひとつの家族のようなものだと考えてきました。
 「生きるために命を奪うのだから、必要以上に採ってはいけない。常に感謝を忘れない。」こういった食の在り方こそ環境問題を問い直すことになると、世界に向けて伝導活動している人がいます。デニス・バンクス(67)。
デニスはアメリカン・インディアン・ムーブメントのリーダーで、根強い偏見と差別に対して、50年間先住民の価値観と権利を全米で訴えてきました。自分達とは全く違った価値を持つ、最大限の欲望を満そうとするアメリカの生活。おいしさや量を追求する「食」はその最たるものでした。
運動を終え、50年ぶりに故郷にようやく戻ったデニスは会社を興しました。メイプルシロップやワイルドライスなど、大地を思うネイティブの精神を伝えようと、インターネットなどを通して販売しています。アメリカだけではなく、今では日本やヨーロッパなどにも販路は拡大しつつあります 。世界各国で食のイベントも開催しており、東京・原宿にもやってきました。 来日時には田植えも経験し、「人はその風土で生まれた昔ながらのやり方に戻るべきなのだ」と再認識したのです。
 今、デニスは伝統食にふれなくなった子供達の教育にも力を入れて始めています。「7世代前の人が思いやってくれた命と大地の尊さを私たちは7世代先の人に伝えていく義務と責任がある」とその精神を伝え続けています。

ナレーター/沢田 研二

・ベーカリーカフェ632
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6-32 ピアザアネックス2F
Tel:03-3498-0632 Fax:03-3499-0632
http://www.piazza.co.jp

・デニス アメリカン・グリル
〒104-0033 東京都中央区新川1-29-13 永代橋エコピアザビル2F
Tel:03-3551-0152  Fax:03-3206-0129

2003/12/28 第315回 シリーズ地球を守る人 【第9回】 23:25〜23:55放送
「未来はゴミの中に」 〜グンター・パウリの革命〜

“廃棄物のない世界”、ベルギーのグンター・パウリ(47)は、そんなゼロエミッションを目指しています。
 グンターは91年、自ら開発したヤシ油のエコ洗剤で世界中から注目を集めました。後にそのヤシ油の生産地・インドネシアに視察で訪れた彼はショックを受けました。ヤシのプランテーションを建設するために森林伐採が行われていたのです。自分自身が環境破壊者という事実は彼を苦しめました。
 悩みぬいた末に辿り着いたのがゼロエミッションだったのです。各地で講演を繰り返し、世界に向かって訴え始めました。彼は再び注目を集めるようになりました。廃棄されていた「形の悪い」ニンジンをマフィンの原料にすることで経済の荒廃が進んでいたゴットランド島を活性化させたり、埼玉県のセメント工場でゴミを再資源化させたりと、彼の撒いた種は今、世界各地で芽吹き始めています。
 渡航日数は年間330日以上、愛する家族と過ごすのは月に3日ほどしかありません。「今、家族に負担をかけて済まないと思っています。しかし、今ゼロエミッションを進めなければ、子供たちの世代にもっと大きな負担を残すことになります。100年後の将来には世界中で実現するはずです。」強い信念とともに、グンターは未来に向けて発信し続けているのです。

ナレーター/ 沢田 研二

◆ゼリ エデュケーション ジャパン
〒 248-0006 神奈川県鎌倉市小町2-18-9
NPO法人  ZERI エデュケーション・ジャパン事務局
FAX番号:0467-22-1649

グンター氏の小学校での授業など、教育面をサポートしているNPO団体です。
グンター氏は子ども向けの環境に関する絵本の出版も行っています。


◆ゼリ(Zero Emissios Research Initiatives)
世界中でゼロエミッション活動を行うNPO団体です。
グンター氏はゼリの代表でもあります。


◆ゴットランド ブロデット
スウェーデン、ゴットランド島にあるパン工場
グンター氏の提案を受けて、それまで廃棄されていたにんじんを使った
にんじんマフィンを販売。ユニークなゼロエミションを行っています。

2004/1/25 第318回 シリーズ 地球を守る人 【第10回】
「蘇れ!緑の祖国」 〜マリ 砂漠に灯す命の光〜

アフリカ大陸の西に位置するマリ共和国。国土の3分の2を砂漠が覆っています。主燃料を森林資源に依存しているため、森林伐採による砂漠化が深刻な問題となっています。
 そんな祖国の窮状を救おうする青年がいます。イブラヒム・トゴラ(33歳)。環境先進国デンマークで自然エネルギーのノウハウを学び、1999年、母国に環境NGOマリ・フォルケセンターを設立しました。村人たちと粘り強い話し合いをし、村びとたちの暮らしを高めようと努力を続けています。天然資源を効率的に使い、住民の力で地域を発展させていくこと。これがイブラヒムの目指すものです。
 マリでは家畜の放牧が広く行われています。そこで、家畜の糞をエネルギー源として利用するバイオガス・プラントに取り組んできました。このおかげで、森に木を切りに行かず済み、しかも都市ガスと同じ便利で強い火力が得られるようになりました。
 また、海外で理解を得て集めた資金で、地方の村にソーラパネルを設置しています。少しずつ診療所や教室に電気が引かれ、明りの下で出産や勉強ができるようになってきました。
 ディーゼル燃料にもなる植物に注目して、女性たちに自立を支える「シンシベレ・プロジェクト」も実行しています。
 「マリ人自らの手で暮らしを変えていけるという自信を取り戻し、子供たちの未来のため、緑の祖国を蘇らせたい」その夢に向かってイブラヒムの挑戦は続いてゆきます。

ナレーター/沢田 研二

◆マリ・フォルケセンター
イブラヒムが代表を務めるマリの環境NGOです

◆マリ・フォルケセンター友の会
日本でマリ・フォルケセンターを支援する非営利団体です

2004/2/29 第323回 シリーズ 地球を守る人 【第11回】
「森を救う黄金の糸」 〜カンボジア絹織物の再生に挑む友禅職人〜

20余年に渡って内戦が続いたカンボジア。途絶えかけた絹織物の伝統を再生させようと奮闘する一人の日本人がいます。京都の友禅職人だった森本喜久男さんです。
「幻の黄金の糸」と呼ばれたカンボジア原産の「クメールシルク」は丈夫で美しく、繊細で華やかな織物文化はアジアの中でも群を抜いていました。森本さんは伝統の残る村を探し歩き、生き残ったお年寄りの経験や知識を元に試行錯誤を繰り返しました。1996年に設立した「クメール伝統織物研究所」には内戦で家族を失った貧しい女性たちを中心に300人以上のスタッフが働いています。仕事を求めて来る人も後を絶ちません。貧困に苦しむ人々の自立と村おこしをも支えているのです。
織物に欠かせないのが染料などの天然素材です。長い内戦でカイコの餌となる桑畑は地雷原に、森は今も続く違法伐採で荒廃し、原料は外国やよその村から仕入れるものばかりです。森本さんは01年から「伝統の森再生計画」と名付けて新しいプロジェクトを始めました。荒地を開墾し、桑畑を作り、赤い染料に使う巣を採るため、ラックカイガラムシを寄生させるグアバの森を育てるなど、織物に必要な材料を自然から手に入れる循環の暮らしを目指しています。03年7月に始めた養蚕で、伝統の森から生糸を作ることができるようになりました。クメールシルクの伝統を知らない若い村人たちとともに、新たな伝統を生み出そうとしています。

ナレーター/沢田 研二

2004/3/28 第327回 シリーズ 地球を守る人 【第12回】
「泥の現代建築家」 〜大地に還る住居を目指して〜

 経済が急成長し、建設ラッシュが進むインドの首都デリー。建物には科学的なコンクリートや焼きレンガを使うため、壊されても自然に戻ることがありません。その上、焼きレンガを焼くために木を多く使うため、森林破壊にもつながっています。リバティー・カーマトさんはそういった近代化に疑問を持ち、自然に還ることのできる日干しレンガの建物を提唱する女性建築家です。
リバティーさんは幼少のころから、ダムやトンネルを開発の仕事をする父親の影響で建築家になることが夢でした。しかし大きくなるにつれ、自然を破壊する開発に携わる父親や、欧米の流行ばかりを追う大学の建築教育に疑問を持ち始めました。そんな時、スラムの文化に出会いました。彼女が着目したのが、土と廃材だけの住居。一見汚いだけのスラムが機能的に工夫されている事に気付いたのです。
日干しレンガを積み上げて作る彼女の建築は丈夫である上に、もしその家を壊せば次の日からでもその場所で畑ができるといったエコロジカルなものです。「土は不浄なもの」とするインドの文化の中で、土の良さを知ってもらいたいと試行錯誤を繰り返し、ようやく国内外で認められるようになってきました。
デリー近郊に建てた泥の自宅「エコロジーライフの実験場」ではさまざまな試みをし、新たに建設される建物に活かしています。「土は優しい。誰にでも手に入れることができ、様々なものから私達を守ってくれるすばらしい素材」。リバティーさんは、強い信念とともに大地に還る建物を作り続けているのです。

ナレーター/沢田 研二

2004/4/25 第331回 シリーズ 地球を守る人 【第13回】
「愛する地球へ贈る本」 〜ある少女が遺したメッセージ〜

『地球の秘密』という一冊の絵本があります。現在、世界10カ国、11言語に翻訳されている環境問題についての本です。原作は坪田愛華ちゃん。1991年、この作品が完成した翌日、脳内出血で倒れ、12歳の短い生涯を閉じました。
 「愛華は、これを描くために生まれてきたのだと思う」
 両親は遺作となった作品を本にして、愛華ちゃんの友達に配布しました。地球環境の大切さを訴えるその内容は読む人に大きな感動を与えるものでした。そして日本国内にとどまらず、世界中に広まっていったのです。1993年には、国連環境計画(UNEP)より賞を受賞し、世界のマスコミに大きく取り上げられました。彼女の想いは多くの人々の心に届き、今もこの作品を素材にしたミュージカル公演や講演会などが、各地で行われています。
 一人の少女の遺した想いを広め、継いでいく人たちのドラマを描きます。

ナレーター/沢田 研二

2004/5/30 第336回 シリーズ地球を守る人 【第14回】
「泥んこサブウ奮闘記」 〜東京湾干潟に捧げた30年〜

東京湾の谷津干潟は、野鳥の楽園として、また国設鳥獣保護区、ラムサール条約登録湿地として千葉県習志野市のシンボルとなっている。しかし、かつてそこは埋め立てを前提に公然とゴミが投げ捨てられ、ヘドロと悪臭にまみれた場所だった。
今から30年前、ゴミ山との孤独な闘いを始めた29歳の青年がいた。彼は現在、千葉県議会議員をつとめる森田三郎。活動のきっかけは一枚の新聞記事だった。当時千葉県は開発ブームの真っ只なか。彼が子供の頃素足で遊びまわった美しい干潟が埋め立てられる、そう知ったとき、いろいろな思いに突き動かされるように、たった一人でゴミ拾いを始めた。
当時、悪臭のなかゴミ拾いをする彼に誰一人として手を貸すものはなく、逆に目の前でゴミを捨てていく人もいたという。やっとのことで集めたゴミも、国、県、市、すべての行政機関にゴミの引き取りを拒否される状況だった。そんななか、本当に思いを共にできる人はいないのか確認するため、干潟に通信箱を設置した。すると子供や主婦達から心強い励ましの言葉が少しずつ増えていった。活動を始めて5年目、ようやく一人の主婦から手伝いの申し出があった。その後、谷津干潟の美化活動の輪は広がり、今では多くの市民が参加するようになった。そして彼が活動を始めて14年目、ついに市による埋め立ての方針が撤回されるに至ったのだ。
見た目にはきれいになった干潟。しかし泥の中にはまだ膨大なゴミが埋まっており、それが生物・植物の成長を妨げている。「ただやる、ひたすらやる、それだけですよ。」と、今日も森田さんは黙々と美化活動を続ける。

ナレーター/沢田 研二

2004/6/27 第340回 シリーズ地球を守る人 【第15回】
「フィリピンの大地に夢を刻む男」 〜田鎖浩 74歳の挑戦〜

かつて、フィリピンは豊かな熱帯雨林に全土を覆われていました。しかし、先進国による伐採がきっかけとなり、今では本来の熱帯雨林の8割以上が消失したといわれています。干ばつにより農作業が出来なくなった農民達は炭焼きで生計をたて、さらに森が失われるという悪循環が続いています。
この地で40年以上農業に携わり続けてきた人がいます。田鎖浩さん(74歳)。「地方の住民に収入をもたらし、生活を向上させなければ森は失われ続ける」と考え、NGO熱帯農林技術開発協会を設立。アグロフォレストリー(農林混合経営)に取り組み、お金のかからない有機農業の実践と樹木の有効利用法を農民たちに教えています。
田鎖さんは大手商社員として29歳でフィリピンに赴任しました。しかし仕事で農村部に行くと、日本の業者が森を伐採し放置したために起きた貧困を目の当たりにしました。何とかしなければという思いで会社を辞め独立したのです。
1976年、木材を一切使わず、マニラ麻の強靱な繊維で紙を作る加工工場を立ち上げ、農村部に収入を生み出しました。その後、マニラ麻自体の農場を設立。マニラ麻は紫外線に弱いので、保護するために木を間に植えることにしました。これが農業と林業が共存するアグロフォレストリーにつながりました。
田鎖さんは67歳のとき、アグロフォレストリーに専念することにしたのです。自然農法を通して、干ばつに強い木「イピルイピル」や自然農薬となる「ニーム」にも出会えました。
「自然の力をうまく使えば、必ず問題は乗り切れる」
45年間フィリピンの大地と向き合ってきた田鎖さんが学んだことです。いつか森が再生し、人々の暮らしが豊かになっていくことを願い、ひたすら前進し続けています。

ナレーター/沢田 研二

2004/7/25
23:20-23:50
第342回 シリーズ地球を守る人【第16回】
「パラオへの恩返し」〜カニ先生・倉田洋二の誓い〜

  太平洋に浮かぶパラオ諸島。美しいサンゴ礁に囲まれ、「海の宝石箱」と称えられています。その島の一つ、アンガウル島は、第二次世界大戦中日本とアメリカとの攻防戦が行われた激戦地です。激しい戦火により島の自然は破壊されました。
この島に恩返しをしようと移住を決意した日本人がいます。熱帯生物研究者、倉田洋二さんです。1941年、14歳でパラオに渡り、南洋庁水産試験所で生物研究の道に入りました。しかし、激化する大平洋戦争に伴い、現地召集されてアンガウル島に赴任。多くの日本軍が玉砕する中、何とか生き延びた倉田さんは細々と残るジャングルの動植物を糧にして数カ月過ごしたのです。28年ぶりにこの島を訪れたとき、熱帯雨林が蘇っていることに驚きました。そして、奥さんに先立たれた後、この島に生涯を捧げにやって来ました。
アンガウル島にはオカガニという小さなカニが現在約1千万匹生息しています。焦土と化した森を蘇らせたのは、実はオカガニによるものでした。隆起サンゴであるこの島は、本来土が痩せていて栄養分がありません。しかし、オカガニが落ち葉を食べて分解し、その糞が豊かな土を作り上げていたのです。さらに樹木の根本に巣穴を掘るので土は勝手に耕され、木々の成長を助けていたのです。
一方でオカガニは島民の重要な収入源となっています。食材として捕獲するため、数が減少しています。
人々の暮らしと適正な保護のバランスを計るため、倉田さんはこのオカガニの生態を調査しています。島民にも理解されるようになりました。そして、島全体をパラオ初の公立自然公園にする計画も進めています。
悲惨な人間の歴史に翻弄されながらも大いなる「命」のサイクルが刻まれていたアンガウル島。この「命の島」に懸命に恩返しをしようとする倉田さんの手により、新たな歴史を歩き始めようとしています。

ナレーター/沢田 研二

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