音楽のことなど

last update 2002.4/14
☆下へ行くほど古い記述です。


2002.1.
高山雅夫氏のお誘いでLuc Ferrariのコンサートに行った。Ferrari氏はフランスの現代音楽作曲家。メシアンに師事し、ブーレーズと同世代の人でミュージック・コンクレート作品で知られる・・と言っても、僕も聴きに行くまで知らなかったんだけど。
本人も来日していて、握手してくれた。気のいいおじいさんと言う感じ。
二日間にわたるコンサートの二日目に行ったのだけど、昼はテープ音楽、夜はピアノ曲とテープ音楽、8時間くらいある。行く前はテープ音楽をそんなに聴いていられるのか?と思ったが、これがものすごく面白くて、あっという間だった。
1950年代のパーカッション主体のテープ音楽やピアノ曲は、60-70年代のフリー・ミュージックの一番良いところのエッセンスみたいに聞くことが出来たし、1970-90年代のFerrari自身が旅行しながら録音した自然音を何年もかけて再構成したテープ音楽は、日常性と芸術性の溶け合ったなんとも不思議で面白い音楽だった。高山氏は「あれは私小説だ。小島信夫の『別れる理由』だ!」と言った。うーん、なるほど。


2001.6.
・6/15グッドマンでソロ。久しぶりに1弦が切れた。1弦だけスペアがなかったので2弦を張って演奏。
・対バンの堀切-森sax duo素晴らしかった。森順治さん、as,fl,b-clと持ち替えて圧倒的。ゲストの鈴木さんのtsがPeter Brotzmanのようで坊主頭と共にすごいインパクト。
・6/9、二十数年ぶりにダンモ研OB会に行く。楽しかった。今年のレギュラーは女性のみのピアノ・トリオ。びっくり。OBの先輩方、プロになった人が凄いのは当然だけどサラリーマンの方々の上手いこと!みんなジャズ続けてるんだなあ。いきなり丸山繁雄(vo)寺下誠(p)先輩のバックを仰せつかってベースを弾く。案の定ミスだらけで赤面。

1999.10.
・10月10日。インターネットで知り合ったT氏の好意で新宿disk unionでのElliott Sharpの ソロ・ライブを聴くことができた。8弦ギターにサンプリング・マシン、ワーミー・ペダル、マルチ・エフェクター をつなぎ、エレクトリック・ボゥ、ボトルネック、さらにバネまで使い、マックの画面で打ち込み のリズムから音色までコントロール(ギターにもパソコンのコントロール・パッドが付いていた)するという 見るだけでも楽しいライブだった(さらにみごとなソプラノ・サックスまで吹く!)。すごく面白くて 1時間以上の演奏時間があっという間だった。しかしあえて言えば、「今まで聴いたことのないような」 ショックを与えてくれる音楽ではなかった。非常に心地よい安定した即興演奏という印象。

・昨日のE.Sharpはほんとに久しぶりに生で聴いた来日演奏家のライブだった。この前に行ったコンサートは ・・・ひょっとしてCount Basie orchestraじゃないかあー?Basieが亡くなったのは何年前だろう。
ほんとに数少ない生で聴いた来日演奏家のコンサートを思い出してみる(ほとんど学生時代だ)。
*Miles Davis(70年代はじめ。二度目の来日)*Art Ensenble of Chicago *Whether Report(M.Vitousが いたころ) *Super Sax *Cecil Taylor Trio *Paul Bley Trio *Derek Bailey(阿部薫、吉沢元治らとも共演した) *ICP orchestra *Count Basie Orchestra(晩年のベイシー・ビッグバンド。2回見た)。
これだけだったかなあ?少ないなあ。特に強烈に印象に残っているのは、マイルスの顔、ポール・ブレイの 一寸いやらしい笑顔、圧倒的なセシル・テイラー、ベイリーのボリューム・ペダル、ICPオーケストラの ハン・ベニンクのもの凄さとメシャ・メンゲルベルクの顔と体型(笑)、フレディー・グリーンのリズム・ギター。
・9月12日。気が付くともう一月以上更新してない。さぼったなあ。「ジャズを聴く」のページ 何人かの人達から好意的な感想を頂いて、8月中には完成させます!なんていってたのになあ。 この夏何をしていたかというと、この春知り合ったForkDuo「T'z」のCD一枚分のアレンジと バック演奏録音をやってた。九月中には完成予定。でもサボってた一番の原因は「Might&Magic7」。 去年6が出てはやくも続編が出た。壮大なロールプレイング・ゲーム(しかも英語版)。もうこれに かかりっきり。今回は日本のウェブサイトにずいぶんお世話になった。たとえば ここ(ここの掲示板で助けられました)。


・FREE MUSIC PERSONALなんて付けたのにFREE MUSICの話を全然してないぞ。まあ毎月演奏してるんだけど。
三月になってジョエル・レアンドルのCDをまとめて聴くことが出来た(高山さんありがとう)。女流コントラバス・ インプロヴァイザーなんだけど、ソロやデュオでクラシックの技法を中心に(というかもともとクラシックの人なんだろう) 即興演奏をする。メロディックであり、リズミックであり、ユーモラスでもある。じつにおもしろい。


1998.12.
・12月になった。ほんの少し余裕ができたので久しぶりにCDを買った。
★"The Complete Bitches Brew Session" Miles Davis マイルスのビッチェズ・ブリュー!ジャズを聴き始めた頃に夢中に なって以来、数年おきにすごく聴きたくなる。CDに買い直そうと思ってたら4枚組の集大成がでた。 雑誌に誰か書いていたように、これはフュージョンの先駆けなどではなく晩年のマイルスのやっていた音楽とも無縁の 孤高の音楽だと思う。CDで聴くとテープ編集の跡が目立つような気がするけど、それにしても素晴らしい。
★"Bob Dylan LIVE 1966" ボブ・ディランの伝説的なライブ。この頃のディランはかっこいいなあ。  「ブロンド・オン・ブロンド」までは大好きだけどこれ以降のディランはどうも好きになれない。そういえば「14番目の月」以降の 松任谷由美になってからの荒井由美も興味持てないし、「11人いる」以降の萩尾望都もピンとこない。 昔読んだ本に、「あるジャンルが出来るとまず最上のものが生まれ後は衰退するのみである。」とあったなあ。 1920年代のルイ・アームストロング、スイング時代のレスター・ヤング、ビ・バップのパーカー、フリーのオーネット、アイラー いろいろ考えるとおもしろいかも。
★"TAL""Portrait in Jazz" タル・ファーロウとビル・エバンスの好きなやつが中古CDで見つけたので買い直した。
  ジャズ・ギターで一番好きなのがタル・ファーロウだ。昔、粟村政昭氏がクリフォード・ブラウンを評したとき 「彼のアドリブ・ソロを聴いていると、次にどんなに素晴らしいフレーズがでてくるか大いに期待させられるが 彼は常に聞き手の期待をはるかに上回るレベルでそれを満足させてしまう」というようなことを書いていた。うまいこと 言うなあ。僕が好きなジャズの一つはこれですよ、即興的な素晴らしい旋律が演奏者から泉のように湧いてくるのを感じ取る ということ。レスターもパーカーもコニッツも、もちろんファーロウ、エバンスもオーネットもアイラーもそうだ。 しかしマイルスはちょっと違うような気がするなあ。このへんを的確に文章にするのが評論家だろうなあ。

・7月某日
早大ダンモ研の後輩からメールが来た。ダンモ研の思い出をひとつ。
もう20年以上前だなあ。当時は学生バンドの演奏場所が結構あって、三年生でレギュラーコンボ に入ると夏は札幌から熊本まで演奏旅行をした。だいたい列車を利用するのだがドラムセットから ベース、アンプまで一式を短い乗り換え時間の間に移動するのは結構大変だった。富山へは一台のワゴン車に 機材一式とクインテット分の人間が乗って二日がかりで行った。若かったなあ。 福岡のジャズ喫茶に出演したとき、ポスターを見ると「ジャズと漫談の夕べ」と書いてある。 「漫談」ってなんだと思ってたら、ダンモ研の先輩と称するおじさんがやってきて「漫談」をやった。 けっこうおもしろくて打ち上げは最高に盛り上がった(私は酔いつぶれてよく覚えていない)。 次の日、新幹線で東京に帰るときそのおじさんがついてきて、じつは今度東京で芸能界にデビュー するので一緒に行くと言う。みんな唖然として、そりゃあ仲間内ではおもしろいけど・・ 芸能界?それはムリでしょうと言っていた。その後ダンモ研のコンサートの司会をやってくれたり テレビでポツポツ見かけるようになり、あれよあれよというまに有名になった。それがあの 森田一義氏でした。
タモリさんの当時の芸で一番衝撃的だったのは「パラリンピック開会式」の形態模写。これは 仲間内でも拒否反応を示す者もいたくらい凄かった。いろいろ考えさせるが私はこの芸はアリだと思う。

・景山民夫が亡くなった。不思議な死に方だ。「虎口からの脱出」 「トラブルバスター」シリーズも好きだったが、実におもしろい エッセイを書く人だった。伊丹十三、星新一、(少し前だが)山口瞳と、 中・高校生時代から夢中になって読んできた随筆の作者が次々に亡くなる。 年を取るとはこういうことなのかしらん。
伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」「女たちよ!」「再び女たちよ!」 などには高校時代ずいぶん影響された。岸田秀を知ったのも彼の本からだ。 星新一はショートショートより「きまぐれシリーズ」の随筆が好きだった。 そして山口瞳の「男性自身シリーズ」。毎年四月の新聞広告に載ってた 「新入社員諸君」がないのはさびしい。
あと好きな随筆作家といえば山下洋輔だ。彼は大丈夫だろうなあ。

・山下洋輔の「風雲ジャズ帖」を自分なりにフリージャズをやり始めた
大学時代に読んで、「これでいいんだ、このやり方でいいんだ」と ずいぶん励まされた。

・山下洋輔をはじめて聴いたのは、70年代初めの日比谷野外音楽堂の サマー・ジャズ・フェスティバル(?)とか言ったコンサートの時だ。 中村、森山の初代トリオで私はたしか高校生だった。 山下洋輔について予備知識がなかったので、ヨースケーとか異様な かけ声の中、丸坊主の三人が「あれ」をやるもんだから、 「山下清」方面の人かと思ってしまった。
大学に入ってからは、坂田明の入った二代目トリオをピットインで 良く聴いた。佐藤允彦のトリオ(翠川敬基(b)ドラムはよく変わってた) もすきだった。

・Derek Baileyに始めて強い印象を受けたのは1973-4年ごろ「毘沙門」でIncus 2のソロが かかった時だった
何の楽器か分からなくてプリペイド・ピアノ?ひょっとしてギターか?と ジャケットを見に行くと、壊れたギターが山のように積まれた写真に これまたショックを受けた。数年後Incusのレコードが結構手に入るようになったときは ジャケットが変わってた。あのオリジナル・ジャケットをもう一度見たい。
と書いたらさっそく津下さんにそのジャケット写真のあるページを教わった。 インターネットって便利なものだ。
・吉祥寺「メグ」に時々行く。この15年くらいで"MY NAME IS ALBERT AYLER"が 4〜5回かかった。あのマスターがAylerを聴くとは・・・

・キャバレーのバンドマンのアルバイトを始めた頃の話。大塚のロンドンという ハレンチ・キャバレーで榎本秀一氏(ts)のコンボに入ったら「とにかく店としては 大きい音が鳴っていればいい」ということで、いつもはじめのステージはハードにブルース かインプレッションズを40分間一曲演奏してた。良い時代でした。

・阿佐ヶ谷のジャズ喫茶「毘沙門」へ通っていた頃は、当時黄金時代を迎えていた 「少年チャンピオン」を持って行くことが多かった。当時(70年代前半)は「ガロ」 から「別冊少女コミック」までかなりのまんが雑誌を買っていた。今年ついに収納 場所がなくなって泣く泣く「まんだらけ」に売ってしまった。 ワゴン車で7回運んだ。代金でこのパソコンとソプラノ・サックスを買った。

・「毘沙門」でもう一つショックを受けたレコード。"Levels and Degrees of Light"
Richard Abrams のタイトル曲はクラリネット、シンバル、ヴァイブのシンプルな曲 なんだけれど、聴いていたら頭の中にどこか異星の風景のような映像がくっきりうか んできた。ぼんやりしたイメージがうかぶことはあったが、こんなに はっきりした光景が見えてきたのは始めてで、感動した。

・ソニー・ロリンズの"Saxophone Colossus"。私の大好きな一枚。この中に"Blue Seven" という曲があるtsのソロが3回出てきてちょっと変わった構成のブルースでロリンズの 最高傑作のひとつに数えられることが多い。
学生の頃スイング・ジャーナル誌1975年12月号にのったピアニスト藤井英一氏の記事に この曲の演奏者の立場からの分析が載っていて、目からウロコが落ちるように感動した。
これから"Saxophone Colossus"を語るにはこの記事をふまえなければならない。と思った ものですが、以後22年、この藤井氏の分析に触れた批評を見たことがない。
うーん、おもしろいと思うんだがなあ。転載するので読んでみて下さい
*******************

   (略)実はこの稿を書く機会にこの"Blue Seven"を聴きなおしてみたら、おかしな ことに気がついた。
 この曲は11分28秒もかかる演奏で、12小節を通算31回くり返しているのだが、 途中でモヤモヤしたあたりが、何度聴いても4小節多いのである。 曲の構成を記してみると、
(1)b、ds 2コーラス(2)ts 6コーラス(はじめの2コーラスはテーマ)
(3)p 3コーラス(4)ts 4小節(5)ds 残りの8小節と6コーラス(6)ts 2コーラス
(7)ts 3コーラス(8)p 1コーラス(9)b、ds 2コーラスと4小節(10)ts、ds(4小節のかけ合い)
(11)ts 3コーラス(12)ds 3小節(コーダ?)

 はじめのベースラインをあまり気にしないで聴いていると、上につけた番号の(9)が4小節 多いことに気がついた。そこで少し前に戻って調べてみると大変なことがわかった。
まずフラナガン、ワトキンス、ローチの3人は、”ドラム・ソロもあったし、テナーも テーマ代わりに2コーラスあったし”ということで、この曲が(6)で終わるものと思い込ん でいたらしい。これは(6)の最後の2小節のリズム・セクションを聴けば明瞭に読みとれる。
 ところがロリンズは一人で”テーマのモチーフをまだ出していないから、もう2コーラス 吹いて終わりにしよう”と考えたらしくさらに吹き続けた。

リズム・セクションの3人は軽いショックを受けながら、2ビートのようにして不承不承ロリ ンズについて行った。これが(7)のあたまである。ロリンズが、どのくらい長くプレイする のかわからず、不安なところへ、(7)のはじめのコーラスの第9〜12小節をワトキンスが 間違えて倍の長さ(8小節)にして演奏してしまい、何を思ったか くい違ったままで4ビートを始めてしまった。つまりワトキンスは(7)の第2コーラスの 5小節目をブルースのあたまにして弾きはじめたわけである。そこで困ったのは残りの3人で、 ロリンズは終わるに終われず、フラナガン、ローチも成り行きまかせで様子を見ながら演奏する。

まずロリンズが降参し”いち抜けた”と言う感じで、(7)を前からの数え方のまま3コー ラスでおしまいにしてしまう。残されたフラナガンも次のコーラス(8)をピアノ・ソロと いうより”場つなぎに何かやっている”というようなプレイをして、これも1コーラスで 降りてしまう。結局(9)に示したように、ベースとドラムだけが惰性でリズムを 刻むことになってしまった。そこでロリンズは”何とかしなくては”と考えてローチと かけ合いをやることを思い立ち、やむなくワトキンスのベース・ラインに合わせてかけ合い をスタートした。これが(10)である。この曲がおかしくなり始めてから、一応再び軌道に 乗るまでの2分ぐらいの間、4人はそれぞれ気をつかって、結構疲れたのではないかと思われる。
ドラム・ソロが終わってロリンズが吹き始めるところ((6)のはじめ)は、彼が絶頂期に あることを物語るように、迫力に満ちている。
*******************
 ちょっと変わった構成だと思ったのは、間違えたのを何とかしようとしたんですね。


 

BACK