John Lee Hooker

ZEPに多大な影響を与え彼らのライヴでも演奏された、ジョン・リー・フッカーが亡くならました。
哀悼の意を表します

「Boogie Chillun」「Long Distance Call」「Suzie Q」 

「How Many More Times」「Whole Lotta Love」のメドレーに頻繁に登場、「Boogie Chillun」をファンはシンプルに「Boogie Woogie」と呼びました。

 1917年にミシシッピ州で生まれた「ブギの達人」。子どもの頃姉のボーイフレンドからギターの手ほどきを受け,信心ぶかい父を悩ませました。両親が離婚した後に,何と母の再婚相手と組み,演奏活動を始めました。14歳で家を離れてシンシナティでゴスペルグループと共演し、その後デトロイトで自分のバンドを組みました。
最初のレコーディング・セッションから「ブギー・チラン」というミリオンセラーの曲が生まれていました。
 彼は幅広いレーベルから続々とレコードを出し、その時代の大衆の要求する音楽を提供し続けました。それは自分の原点であるデルタ・ブルーズから、ビートの効いた都会的なスタイルまで、変幻自在な音楽性を持ったため常に第一線で活躍しました。

偉大なブルーズマンがこの世を去りました。

訂正!ももいろボードによると
実は1920年生まれの、享年80歳のようです。
年をサバ読まなくては仕事がもらえない時代があったようです。

彼は芸名をいくつも使い複数の会社でレコードを出す漢でもありました。

 

オールドカントリーブルース最後の砦
John Lee Hooker
ご冥福をお祈りします(Ikasasuさん)
http://lion.zero.ad.jp/~zau70206/

John Lee Hookerについての紹介はこちら
http://lion.zero.ad.jp/~zau70206/m2029john-lee-hooker.html

ジョン・リー・フッカー公式HP
http://www.virginrecords.com/hooker/

50年以上もの間、足でリズムをとるトーン・ドローンのブギー・キングが、さまざまな音楽様式をブルース界にもたらしてきた。ウディ・ガスリーはホーボーのように貨物列車に飛び乗ってあちこちのレコード会社を渡り歩いたが、ジョン・リー・フッカーは名前を変えながらガスリーよりも多くのレコード会社を渡り歩いている。
フック
はミシシッピで生まれ、第2次世界大戦後はモーターシティ(デトロイト)に移って、ヘイスティングス・ストリートのクラブで弾き始めた。48年には、プリミティヴな雰囲気をもつサウンドのB面ヒット「シャリー・ミー」と「ブギー・チレン」で、素朴ながらも深遠で重みのある声を披露。そして62年には、大衆の心をとらえた名曲「ブーン・ブーン」がR&BチャートのNo.1を記録して名声をあげた。フックがゲスト・ミュージシャンたちとの共演で著名なアルバムを録音しはじめたのは、89年の『ヒーラー』がきっかけだった。以降、99年の『ベスト・オブ・フレンズ』コレクションに至るまで、ボニー・レイット、カルロス・サンタナ、エリック・クラプトン、キース・リチャーズ、ヴァン・モリソン、ロバート・クレイなど、実にさまざまなミュージシャンとプレイしている。
http://www.listen.co.jp/jwave/artdetail.xtp?artistid=9748&artpg=rc

 

大物ブルースマン、ジョン・リー・フッカー(John Lee Hooker)が自宅にてに死去(老衰)した。享年83歳。海外での報道によれば彼は睡眠中に亡くなったようだ。1917年8月22日、ミシシッピー州で生まれた彼は、48年に吹き込んだ「Boogie Chillen」の大ヒットで一躍有名に。50年代半ばからは、バンドを従えてのR&Bスタイルも取り入れ、アニマルズはじめ多くのアーティストにもカヴァーされた名曲「Boom Boom」などのヒットを放つ。98年発表のベスト・アルバム『ベスト・オブ・フレンズ』でも、80歳を越えてなお新曲を披露するなど、その精力的でゴツゴツとして唯我独尊な生き様は、ブルース界のみならず、ロック界への影響も絶大。きっと多くのミュージシャン及びファンが、彼の死にショックを受けているはずだ。哀悼・・・・・・。(小)
http://www.cdjournal.com/news/2001/06/22.html

 

ジョン・リー・フッカー
http://www.listen.co.jp/jwave/artdetail.xtp?artistid=9748&artpg=track
667トラックの楽曲を聴く (無料&有料)
Boogie Chillun
Boom Boom
Cool Little Car
Crawlin' King Snake 椎名誠もこれをヒントに曲を書いてます。
Dazie Mae
ZEPの原点を訪ねる旅に出ましょう。

 

聞き手の要請に素早く反応しながら自分のスタイルをしっかり築いた彼はプロ中のプロだと思います。
[ゆう より]

ジョン・リー・フッカーが亡くなったのは非常に残念です。ZEPなんか相当影響受けてるもんね。俺もZEPで初めて彼を知りました。あ〜あ、偉大なるブルースマンがまた1人旅立ってしまいました。今ごろはロバート・ジョンソンやマディ・ウォータースらと再会し、スーパーセッションをやってることでしょう・・・。冥福をお祈りいたします・・・。
ぺいじさん

 

 

 

映画「BLUES BROTHERS」で「BOOM BOOM」を歌っていたことを思い出します。

 

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byゆう

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