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イガラシコラム

コラム

「悲しみを感じられない哀しみ」
論理が、言葉の間をこぼれていかないように
注意しながら書かなければいけない。

最初は、十代の女が何を考えているかが気がかりだった。
「高速ナビゲータ」を書こうとしてからだ。
そして、何に十代の男女がトキメキを
感じるのかが知りたくなった。

次に、携帯電話に代表される通信技術の所有が気になった。
コミュニケーション(適切な日本語が見つからない)の 方法は、
5年前と比べても格段に増えた。

これは、「通信技術が発達することで、
通信する為の工夫が必要なくなること」を
生み出していった。
誰も、かけたら親父さんが出るような
家の電話には連絡しないだろう。
携帯が出来たことで、
親父さんが出ない時を見計らって電話をかける、
なんて工夫はなくなった。

話は飛躍するが、私は
トキメキは 「知らないものをこれから得られる、得たい」
という 「未知を獲得する期待感」だと考えている。

例えば恋のトキメキは、
「相手を、得たい」そして
「この自分の感覚に当惑する」ことに
対しての期待感だと思うのだ。

トキメキは、脳ではなく、胸がトキメク。
つまり、未知の感覚に対して体が
「未知のものが入ってこようとしている」
と情報をフィードバックしているのだ。
そのフィードバックが未知なので
さらにトキメキをハウリングする。

私は最初の問いである、
何に十代の男女がトキメキを
感じるのかがもう一度考えてみた。

そして、「彼ら」にはトキメキが
存在ないのではないか、と仮定した。
もちろん、欲はあるだろうが、
トキメキは「未知と期待」がないと成立しない。
彼らには「未知と期待」がないのではないか、
と私はイメージした。

ここで、考えがまとまった。
「彼らは」は全てを手に入れているが、
何も手に入れていない。
まとめると、彼らは喪失するという事が
わからないし、喪失する事がないのだ。
これは、
「悲しさ」が解らないのに、
泣いてしまうような、
動物のような哀しさ(哀れさ)がある。
ルール(制限)がある所には、
逆説的にトキメキが生まれやすいのだ。

「悲しみを感じられない哀しみ」 は、
私も経験した事がある。
しかし、彼らがまだその哀しみさえ気づいてないなら、
トキメキする大人をみせてやる。
見てろ、大人は子供から大人になったんだぞ。

2005.07.11
イガラシツヨシ
 
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