組曲「ひろしまの夏」を普及する会 公式サイト
ひろしま平和芸術週間での演奏を知らせる報道
▼「中国新聞」2004年8月6日
演奏会での初演を知らせる報道
▼「毎日新聞」2003年8月2日
ヒロシマ、新たな語り部 独唱組曲が完成−−東京・町田の神戸さん「自伝」に曲
2003.08.02 東京夕刊 8頁 社会
◇5日、新宿で演奏会
7歳の時に広島市の爆心地から4キロの自宅で被爆した東京都町田市の助産師、神戸(かんべ)美和子さん(65)の自伝「ひろしまの夏」(草の根出版会)の作中詩6編に、中野区の合唱指揮者、五十嵐健作さん(60)が曲を付けた独唱組曲が完成した。5日、新宿区の角筈(つのはず)区民ホールで演奏会を開く。五十嵐さんは「戦争のない世にするため、今再び過去を思い出すきっかけになればいい」と話している。
神戸さんは、かつて被爆者であることを隠していた。中学の時、転居先で「原爆病がうつる」と仲間はずれにされ、母に「言わなければ(原爆症と)分からないのだから」と諭されたためだ。
しかし、その後、死の床についた兄嫁から「自分の子どもを被爆させんように、はようみんなに言いんさい」と訴えられた。兄嫁は、原爆病や差別と闘った末、82年に51歳で亡くなった。兄嫁の言葉は神戸さんの中に重く残り、ついに84年の母親大会分科会で被爆者であることを明らかにした。被爆者手帳も取得し、「ピカ(原爆)」の語り部としての道を歩み出した。
88年には、神戸さんを題材に作家、早乙女勝元さんが作詞した合唱組曲「いのちの讃歌」が生まれ、演奏会を行った。そこで指揮者を務めたのが五十嵐さんだった。五十嵐さんは、「平和のため何かできないか」と、「ひろしまの夏」の作中詩に曲を付けることを考えた。
「顔や腕に原爆の爪(つめ)あとケロイド 後々まで指をさされた」「心の奥の底まで凍(い)てついた言葉 それは 『被爆者を嫁にするな!』」=作中詩「ケロイド」(曲名・兄嫁の遺言)。
神戸さんが兄嫁について書いた詩には、生々しい言葉が続く。五十嵐さんは「語るのではなく、十分に歌いあげ、心にしみるよう工夫した」と話す。
演奏会ではソプラノ歌手、大志万(おおしま)明(めい)子さんが組曲を歌う。また早乙女さんと神戸さんの対談などがある。演奏会は5日午後6時45分から、入場料2000円。問い合わせは五十嵐さん(電話03・3364・1207)。【窪田千代】
■写真説明 神戸美和子さん
■写真説明 「『ピカドンで亡くなった子どもの数だけ、新しい命を取り上げたい』という神戸さんの明るさ、力強さも伝えたい」と五十嵐さん
著作権=毎日新聞社 転載許可済み
▼「朝日新聞」2003年8月2日
▼「東京新聞」2003年8月5日
心のファイル 組曲で語り継ぐ被爆体験 今夕に新宿で初演 助産師の詩に息吹
2003.08.05 「東京新聞」朝刊 26頁 第2社会面
あの日失われた友達の数だけ、子どもをこの世に迎えたい−。一九四五年八月六日、広島で被爆した東京都町田市の助産師神戸(かんべ)美和子さん(65)が記した六編の詩に、独唱の組曲という新たな命が吹き込まれた。「ひろしまの夏」と題されたこの組曲は五日夕、新宿区のホールで初演され、被爆体験を織り交ぜ平和への願いを響かせる。(石川修巳)
組曲は、神戸さんが九三年に著した「ひろしまの夏」(草の根出版会)の作中詩をもとに、合唱指揮者五十嵐健作さん(60)=中野区=が構成・作曲した。
「顔や腕に原爆のつめ跡ケロイド/後々まで指をさされた/早うピカドンをやめさせてと叫ぶ/あの日、生きのびた私が幸せだったのか」(曲名「兄嫁の遺言」)
七歳で被爆した神戸さんは被爆者であることを隠し続けてきた。中学生のとき友人らに被爆体験を話したところ、「原爆病がうつる」と仲間はずれに。母には「もう誰にも言うちゃいけん」と諭されていたという。
だが、体中にケロイドを負って亡くなった義姉の遺言が転機になった。「自分の子どもを被爆させんように、早うみんなにいいんさい」。八四年、神戸さんは差別の不安を抱えながらも勇気を振りしぼり、日本母親大会で被爆体験を初めて語った。そしてヒロシマの「語り部」に加わった。
助産師を志したのも、「原爆で失った友達のめい福を祈り、その数ほど新しい生命をこの手で迎えたい」という願いからだ。三十年近い経験を重ねた助産師のベテランはいまも、八王子市の病院で現場に立つ。
演奏会では組曲のほか、作家早乙女勝元さんと神戸さんの対談も。神戸さんは「原爆や戦争の悲惨さを伝えることが、ささやかでも平和運動になれば」と話している。
会場は新宿角筈区民ホール(新宿区西新宿四)。午後六時四十五分開演。二千円。問い合わせは実行委員会=電03(3364)1207=へ。
著作権=中日新聞社 転載許可済みCD・楽譜の発刊を知らせる報道
▼「朝日新聞」2003年11月19日
▼「東京新聞」2003年12月24日
被爆体験を語り継ぎ 平和への願い込めて 中野の指揮者・五十嵐さん 『ひろしまの夏』をCD化
2003.12.24 「東京新聞」朝刊 27頁 東京版
被爆体験を語り継ぎ、平和への願いを伝えようと、広島で被爆した町田市の助産師神戸美和子さん(66)が記した六編の詩に、中野区の合唱指揮者五十嵐健作さん(60)が作曲した組曲「ひろしまの夏」のCDが完成した。八月に新宿区のホールで初演された全六曲約二十分のソプラノ独唱曲。
神戸さんが一九九三年に著した「ひろしまの夏」(草の根出版会)の作中詩をもとに構成され、「早うピカドンをやめさせて」と叫ぶケロイドを負った兄嫁の遺言や、「この手で身体で子どもたちを、平和を守っていく」という決意がつづられている。
広島市長や長崎市長からも「被爆者の苦しみは今も続いている。こうした取り組みがさらに広まることを念願します」などと激励のメッセージが寄せられた。
作曲した五十嵐さんは「核兵器廃絶を求める声を大きくするために、少しでも役に立てば」と話している。
六百枚作製。楽譜もあり各千五百円。問い合わせは五十嵐さん=電(3364)1207=へ。
▼「毎日新聞」2003年12月25日
被爆体験伝えたい ひろしまの夏−−指揮者・五十嵐健作さん楽譜、CD販売/東京
◇中野区の指揮者
中野区の合唱指揮者、五十嵐健作さん(60)が、自作のソプラノ組曲「ひろしまの夏」(6曲約20分)の楽譜とCD(各1500円)を制作し、販売を始めた。五十嵐さんは05年に迎える被爆60年に向け、「より多くの人に広めたい。演奏会開催などのきっかけになれば」と話す。
曲のもとになっているのは、町田市の助産師、神戸美和子さん(65)が被爆体験と半生をつづった同タイトルの自伝。自伝の訴えるメッセージを「音楽の力で多くの人に伝えたい」と考えた五十嵐さんが、作中詩6編に曲を付けまとめた。
神戸さんは7歳の時、広島市の爆心地から4キロの自宅で被爆。いわれのないいじめにあったり、ケロイドのある兄嫁が亡くなるまで苦しみ続けた姿を目の当たりにした。自伝や詩には、被爆者であることを隠して生きた時代から、兄嫁の遺言を機に語り部として歩み出すまでがつづられている。
今年8月に初披露の演奏会を開催。その後、CDや楽譜を欲しいという声が多数寄せられた。CDには演奏会をライブ収録。作家、早乙女勝元さんと神戸さんの対談も入っている。問い合わせは「ひろしまの夏」を普及する会電話03・3364・1207。
[2003年12月25日 毎日新聞東京版から 転載許可済み]