YAMAHA DT-50
もともと僕は自転車好きで、自転車があればどこでも行けると思っていたし、バイクにはあまり興味はありませんでした。ところが友人に強引に誘われて原付免許を一緒に取ることに。それで、初めはスクーターに乗ったんですけど、2ヶ月後にはこの中古のDTに乗ることになります。その発端は、東京の先輩がVF-400Fに乗ってうちに来たとき、僕に乗らせてくれようとしたんです。400ccですよ、原付の8倍! 未知の世界なんで、ドキドキもんでした。当時僕はまだクラッチってなに?って状態でした(笑) なので、走ろうとしても、エンストに継ぐエンストで・・・20回ぐらいエンストして結局1mも走れなかったんです!(痛) それからずっと、もう、悔しくて悔しくて・・・。その悔しさを乗り越えるために、自分でミッション車を買うことを決意しました。そこで選んだのがオフロードのDT-50。その先輩も普段はDT-200に乗ってたんで、DTは知っていました。上野のバイク屋街をウロウロして、この中古車を見つけました。7万円ぐらいしたかな。初期型のDT-50って、原付に速度規制がない頃のもので、メーターは80km/hまでありました。実際にそこまで出てしまうバイクでした。同じ原付でもスクーターとは世界が違うなー!って、嬉しかったですね。そのころ 多摩川の土手にデコボコのオフロード・コースを誰かが造っていて、たまにそこで遊びました。原付免許一つで、これだけ遊べるバイクは少ないでしょう。
このころ僕は専門学校に通うため、田舎から出てきて横浜市港北区日吉にあるアパートで一人暮しをしていました。最初の3ヶ月ぐらいは慶応大の横にある 「日吉台学生ハイツ」 に居たんですけど、狭い割に高いので引越し笑 さて、電話もない部屋で2年間過ごすというのは、現代では考えられない環境ですね〜。緊急時は、郵便局が 「電報」 を持ってくるんですよ(笑) 隣が、住居を兼ねた小さな本屋さんで、公衆電話が外にありました。透明のプラスチックの入れ物に入ったタイプの公衆電話が。写真参照!
そうそう、確か1986年7月から、原付バイクはヘルメットの着用が義務付けられました。僕が原付免許を取得したのは11月でした。
1987年 春
1987年 当時の 「なかがみやコーナー」
偶然だったんだけど、スクーター乗り出した頃、道に迷って初めて「峠」に行った時は驚きました。夜だって言うのにバイクが50台ぐらい走ってたんですよ!? それも暴走族とは違ってて、みんな知らない人同士みたいだし、なんかもう別世界を発見したようなショックを受けました。それが関東では有名だった「夜垂水」(土曜のよるの大垂水峠)だったんです。その後、「バリバリ伝説」の影響も受けて峠に行くようになりました。この半年後には、中型免許を取りに行くことになります・・・。
初心者のためのバイク講座?(笑)
自転車の場合は、右手が前ブレーキ、左手が後ろのブレーキ、足はコグためにありますよね? 僕が最初に戸惑ったミッション付きのバイクの場合は、右手が前ブレーキだというのは一緒ですが、後ろブレーキは右足となり、発進するときは左手でクラッチを切って、左足でニュートラルから1速に入れて、右手のひらでスロットルを吹かしながら、左手のクラッチを滑らかに離していかないといけません。 1度出来たらもう簡単ですし、面白いからぜひトライしてみて欲しいです。 ちなみに、4輪のマニュアル・ミッション車と2輪のミッション車では、操作こそ違いますが要領は同じなので、どちらかさえマスターすれば、もう一方は比較的簡単だと思います。 僕の例をあげれば、ブレーキングしながらのシフトダウンとかってバイクでは普通だったんで、4輪になってもすぐにヒール&トーしてました(笑) いや、それが「普通」だと思っていたんですね(^_^; まぁそんな訳で、いいこともあります(笑)
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