ヨーロッパ バイクの旅

A trip through Europe on a motorcycle



(第一回)  英国 
 Start from England


 ボーイング747が 大阪国際空港を滑走しはじめた時 (この頃は関空は存在しなかった) 僕は情緒不安定に陥ってしまった。18年間生きて来て、楽天的な自分がこんな気持ちになるなんて想定しなくて焦った。飛行機に乗るのは2回目だからそれが怖い訳じゃない。「僕は一体、何をしようとしてるんだろ…!?」 1988年8月、僕はアルバイト先で長期の休暇をもらい、ヨーロッパ西部へと向かった。最初の目的地はイギリスにした。なぜ、英国を選んだのかというと、今回の旅はバイクで移動することを決めていたので、バイクを手に入れるには英語圏のほうが困難が少ないのではないか?と思ったからだった。(バイクを送るのは数十万円と高額らしかったのと、インターネットもなくレンタルバイクなどの有益な情報も得られなかったので、まぁ、中古車でも買ったら乗れるんじゃないかな? 的なw)





ヴィクトリア駅の様子
当時まだ日本人には2階建てバスは珍しく映った?



イギリスに着いて最初に訪れたのは、首都ロンドンにあるヴィクトリアというところ。ヒースロー空港から出ているバスの行き先の中で、知っている地名があったのでここにしたんだけど。 困ったことに、バスを降りた途端から、荷物が重すぎていきなり身動きが取れない。 なにせ今回はきっちりとした日程は決まっていないし、どういう旅になるのか、考えられる限りの用意をして来たものだから、寝ぶくろやハンゴウ、ヘルメットまでが荷物に入っていたのであった。まずは宿を探して、この街で身動きするための拠点にしないと。移動するためのバイクを探さなければいけないし、それは楽しみでもあったんだけど。最初に泊まったところは、バス停留所からほど近いところ、値段も設備もどうでもいいから早く自由になりたいと、とにかく駆け込んだ。そこはちゃんとしたホテルだったのだけど、少し値段が高すぎたので、後で安いところを探した。


ヴィクトリア駅には観光案内所があって、夏休みの間は近くの小学校に仮設されたユース・ホステルがあることを知った。なんと
『1日、数百円で泊まれる』という。今思えば、安すぎるこの施設には ちょっとくらい警戒しても良いと思うが、この時の僕は、早速そこへ拠点を移す事にした。そこは教室に2段ベッドを沢山ならべただけのところで、日本的に言うと「ザコ寝」に近いものがあった。まだ18歳だった僕はたいしてなんとも思わなかったけど、今だったらこんなところには泊まっていないだろう。そこには様々な国や土地からロンドンを訪れている、大柄な若者達が集まっていた。中には女の子もいて、夜は皆でゲームをして遊んだ。僕はここで知り合った20代と思われる中国人男性と一緒にピカデリーサーカスの周辺を夜歩きし、酒場で飲んだりした。ロンドンは人種の坩堝(るつぼ)といわれているが、まさにあらゆる肌の色の人が酒場にたむろしていた。ちなみに、このユースホステルには高橋さんという人と、辰巳さんという、他の日本人も宿泊していらっしゃいました。








ピカデリーサーカスの広場
若者が多い、日本で言えば「渋谷」の街に近いかもしれない
建物は全てが古く、日本の街の風景とは色々と違う


さて、なにはともあれバイクである。これがないと、当時バイク少年だった僕の旅行は始まらないのであった。 旅行に出る前は、現地でのバイクをどうやって確保するか色々考えては見ていた。だけど、日本のバイクメーカーのイギリス支社に電話してバイクのレンタルをやっていないかどうか尋ねたけど答えはNoだったり、自分の250ccのバイクを輸送しようかと思ったけど、どうやらそれには数十万円ぐらいの大きな輸送費用がかかるようだという事がわかった。それなら、いっそのこと、向こうで買ってしまおうか? そして最後に売ればいいんじゃないだろうか? それなら自分のバイクを送るより安くつくかもしれない。そう思って『現地で売買物件を探す』という事にしたのだった。 ロンドンでは連日、バイク屋さんを探して歩き回った。足が棒のようになるまで何キロも何キロも歩いた。 ところが、バイク屋さんがちっとも見当たらない。バイクは走っているのに、一体バイク屋はどこにあるのだろうかと、オフィス街から住宅まで、無心に探しつづけた。 疲れ果てたとき、アイディアが浮かんだ。 そうだ、バイク雑誌だ! 本屋に駆け込んだ僕はバイク雑誌とロンドンの地図を買った。そしてバイク屋の広告から、計画的にバイク屋のある地区を目指したのだった。その結果、ついに2軒のモト・ショップを見つけることが出来た。








市街地の中に広大なハイドパークはある
日本でいうと日比谷公園のようなところだけど
、ちょっと雰囲気が違う



バイク屋を探して歩き回っているとき、とても大っきな買い物袋を下げて唸っている幼い少年と道端で出会った。彼は重たい袋をひきずりそうになりながら、必至に歩いている。僕は一旦歩いて追い越したのだけど、後ろからきこえる唸るような声が気になって、振り向いてしまった。英語でなんといって良いかわからなかったけど、どきどきしながら、その子の持っている荷物をこの手で取りあげて様子を伺った。「僕が手伝ってあげよう」と、雰囲気で示した。少年は恐々と僕を伺ったが、すぐに家があると思われるほうへまた歩き出した。 まもなく家にたどり着き、よかったよかったと袋を手渡すと、なんと、その子はポケットからコインを差し出したのだ。これって僕に? なんで? そのとき、わかった。これが、かの「チップ」なのである! 僕はそんなつもりで荷物を運んだわけではないので、ノーノーサンキューと笑顔でその場を立ち去ったのであった。異国の文化を感じてしまった出来事。








↑2軒目に立ち寄ったバイク店。名前は確か Cosmopolitan(オレンジ色の看板の店)
 30年経ったいま、Cosmopolitan の意味を調べてみて 「はっ」 とした。
 Goo辞書によれば 『 国籍・民族にとらわれず、世界的視野と行動力をもつ人。または そのようなさま 』 とあった。
 いい名前だね。(写真追加 2022年1月)



歩きに歩きまわって、やっと見つけた一軒目のバイク屋では、もし自分がバイクを買ったら、それでヨーロッパへ出られるか?という質問をしたところ、なんと無視されてしまった! どういう事だろ? 英語がおかしかったのか? それとも まさか人種差別か? なんか モヤモヤした。その店はあきらめて、次のバイク店を探した。今度はコスモポリタンという小さなお店だった。恐る恐る店員に話しかけてみると、とても親切な店員さんで、話しがどんどん進んだ。『外国人でもバイクは買える、保険に入る必要がある、国外へも出られる』などの確認が取れた! 僕が目をつけたバイクは125ccの小柄なものだった。実は日本と違って免許での排気量の制限が無いのでナナハン(750cc)とかに乗りたかったのだけど、金銭的な理由で、やむなく小排気量車になった。(ヨーロッパでは古いバイクも価値が高く、中古車価格は日本よりやや上) さ、これで僕は自由の翼を手に入れたも同然だ! あとはパスポートが再発行されるのを待つのみとなった(パスポート盗難事件については次に書きます)。さあ次は海を渡ってベルギーへ行こう! 先に日本で買って来たミシュラン製のヨーロッパ道路地図を広げ、にんまりとした。








↑ Pax Crist ナンチャラ という名前の小学校を利用したユースホステルの夜 (写真追加 2022年)


パスポートが、無くなった!

バイク屋は見つかったものの、先に書いたユースホステルで困ったことが起こっていた。実は僕のパスポートが、無くなったのである! いきなりハプニング。どうやら寝ている間に盗まれたのではないかと思われる。日本の赤いパスポートは30万円で売買されているという噂も耳にした。ショック。なによりもイギリス国外へ出られないことが。早速日本大使館に電話して再発行の手引きを受けた。申請して、写真を写して・・・。新しいパスポートは一週間ぐらいで作れるらしく、助かった。その間、ゆっくりバイクを探すことも出来た。僕のパスポートの発行地が「 LONDON 」となっているのを見るたび、この一件を思い出す。








テムズ川沿いにある、ビッグベン。
バイク屋は、川の向こう側。それもかなり遠くまで行くと発見できた。









バイクを手に入れた!! (納車後の嬉しい瞬間)
大型バイクに乗りたかったけど日本より中古相場は高く、身分相応の小型の125ccにした。
ユースホステル(夏休み中の小学校)前で記念撮影。
(写真追加 2007年)






お金の関係で、僕が買ったバイクは小さい。色は赤と黒のツートン・カラーです。


HONDA MBX-125F
125cc、2サイクル単気筒で17馬力(ヨーロッパ仕様は馬力が抑えられている)

荷物を積むと、小柄なボディは沈み込んだ
結果的に4千キロ以上走るツアラーとしては非力だったかもw








黄色い英国ナンバーを付けて、さぁ出発だ。 OLYMPUS AF-1 でタイマー撮影








OLYMPUS AF-1(ぬれてもピカソ)

35ミリ判 フイルム・コンパクトカメラ
レンズは単焦点 Zuiko 35mm F2.8






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