「スペイン」第一組曲〈Suit
Espagnole〉 鈴木静一
はじめに――
私はスペインに入るに当たり、コースの選定に迷った。ゆっくり風土を見ていくには汽車旅行以上のものは無いが、結局“早く行って見たい”気持ちが、いちばん早い航空路を選ばせてしまった。どこらでフランスとの国境を越したのか分からなかったが、高い空から見下ろす地上は(実はピレネー山脈だった)には雪が見え“オレンジ香る南の国”に入った気持ちがしなかった。それに荒涼とした砂漠のような印象を与える景観が私に心細い思いをさせた。その南端ジブラルタルで、アフリカ大陸と鼻を突き合わせているイベリア半島―強烈な太陽の輝く南国のイメージは完全に吹きとばされてしまった。スペインを魅惑的に物語る古典音楽のかずかず。近くはシャブリエー、ラベル、そしてファリャ、アルベニス達の作品は、この上ない美しさに南国の魅惑を歌い上げている。そのスペインとはこんな処なのか?予想と現実が喰い違うのは未知の国の旅の常であるが、これくらい徹底して喰い違った経験はなかった。近くの余り高くない山には残雪があり、冷たい風の吹き抜ける殺風景なマドリード空港に下りた私はがっかりした。
第1楽章「風車とキホーテの幻想」
―Castalia―
マドリードからローカル列車で約2時間南下する。古びたトレドの街の近く、とび色の広野の中の小さな町や村里が、セルバンテスの書いたドン・キホーテのふるさとである。相変わらず青い色はほとんど見えない。浅春のカスチリヤ平原である。いちばん先に高台の上に風車を発見した。この辺りの風土全体がキホーテ華やかなりし時代とは、たいして変っているとは思えない。古風な住み心地のよさそうな部落を抜け高台に上がる。思ったより小さな風車だった。キホーテが従者の留めるのもきかず、魔物だと思いこみ突撃をかけたあの同類である。やせ馬に股がったキホーテと、それ自身より大きいとは思われない驢馬に乗ったサンチョパンサ。マドリードで見た銅像が目に浮かぶ。風が出て、廻らないと訊いた風車が渋々廻りだした。それにつれ私の幻想も動き出す。キホーテ主従の幻想が目の下の寂しい村里を行く。トレドで見た塔のあるすばらしい石の橋を渡り、火炎づくりの大寺院の聳える街を過ぎ、また消いた広野を行進する。キホーテが胸に秘めたうるわしき乙女ドルシネーアも楚々と姿を現す。とぼけた、しかしちょっぴり悲しげな幻想から覚めると、古ぼけた風車は夕昏の近づく丘のてっぺんでくたびれて停っていた。
第2楽章「アルハンブラの丘に立ちて」(タルレガの主題に拠る)
―Granada―
春の昼下がり、静かなグラナダの街から深い谷を石の橋で渡り、私はアルハンブラの丘に登っていった。長いこと憧れていた心の中では耐えず、「アルハンブラの想い出」のトレモロが響いていた。此処はオレンジと糸杉の濃緑に蔽われた丘だ。渇いた北の旅で疲れた心身を、みずみずしい緑が癒してくれる。私は丘にうねりのぼる道からそれ、細い急な坂道をのぼり丘の上に立つ。愕くほど近くから高い山がそそり立っていた。シェラ・ネバダ。地中海を航行する船からもよく見える。その山頂はべっとり白雪に蔽われている。汗ばんだ額を拭い宮殿の方に歩きだす。突然の雪の山の出現で、忘れていたタルレガの旋律がまた鳴りだす。昨日遅くトレドからローカル線の乗換えに悩ませられ、やっとグラダナに辿り着いた時から、ひとつの疑問がひっかかっていた。街から眺めたアルハンブラの丘には有名な古代の宮殿が見えた。が、それは宮殿という呼称があてはまらない。まるで城砦のような感じを受けた。タルレガはどうしてあのすばらしいトレモロ・スタディーに「アルハンブラの想い出」という題名を与えたのだろう?あれは此処の何を書いたのであろう?疑問は宮殿に近づくに従い深く強くなっていった。やがて私はその門を潜った。同時に私は棒立ちになった。私の眼前には予想とはまるきり異なる建造物があった。それはスペインの建造物では無い。東洋の建造物だ。近東一否!インドにもある純粋な東方の殿堂だった。戸惑っていた私はやっと思い出した。モーレスだ。これはムーア風の宮殿なのだ。かつてこの国を占領したムーアの遺物なのだ。今にも多くの美女に囲まれ、サルタンが出て来そうな気がした。まぎれもない特徴を持つ繊細なモザイクに飾られた東洋風の建造物に対し、心の隅にひっかかっていた疑問が陽を浴びた雪のように解けていった。私はふと思いついた東洋風の伴奏形の上にタルレガの旋律を乗せてみた。タルレガの旋律はオリエンタルなリズムの上で、この宮殿の妄想的な雰囲気と見事に溶け合い、私を恍惚とさせた。長期間スペインを占領したムーア人の影響はスペイン失地回復が実現した後も消えることなくスペイン人の中に留まり、東洋と南欧の血の入りまじった民族性を作り上げたといわれる。この実証は案外手近にある。スペイン人の容ぼうと皮膚の色である。私は見物することも忘れ、タルレガの旋律とムーア風の宮殿が織りなす夢幻的陶酔のただ中をひょうひょうと漂っていた。
第3楽章「セビリヤの夜の散歩」
―Andalucia―
カスチリヤからアンダルシヤに入ると気候風土がまるで変わる。渇いた砂漠のような北にひきかえ、何もかもが潤いを浴びてくる。セビリヤは賑やかな街である。マドリードやトレド、コルドバと見て来た目には騒々しくさえ映じる。此処は夜に賑わう街のようだ。カスチリヤではいつ時も手離せなかったコートを脱ぎ、遅い散歩に出かける。曲はここから始まる。せわしないモテイヴの繰り返しは騒がしい街頭の描写。私は車の警笛やバイクエンジンのけたたまし音からのがれ、横丁に入る。地中海が近くになるセビリヤの夜の空気は、柔らかく旅人の情感をそそる。狭い小路をあてもなく歩く。ふと低い男の歌声を聞く。近づくとマラゲーニヤらしい。しかも南米からメキシコ、北米、さらに極東の東京まで駆けまわる間に、いろいろ変容していったあれではない。本物のマラガ調のようだ。憂うつな歌声は春の夜にふさわしく、ものうく流れて遠ざかる。またせわしないモテイヴがとび出す。次の大通りに出たのだ。思いがけない夜空にヒラルダの高塔がほのかに浮かぶ。その通りをつっ切り向こう側の横丁に入る。そこで私は密かに期待して来たものに出会うこととなる。或る酒亭の中からフラメンコ・ギターと甲高いカスタネットの音が流れだし、静かなその一郭になまめいた気配を撒き散らし、酒を飲まない私をその中に誘い込んだ。広くはないが、小奇麗なパティオ(中庭)に臨み5、6脚の卓子が並び、酒の匂いの強い雰囲気だった。
パティオではマンドリンとギターの伴奏(ホタらしい?)で若い娘が踊っていたが、マドリードで見たショウ化されたフラメンコではない。純粋といえないまでもずっと野性の感じられるふりだった。
その次に現れた踊り子は、ひと目でジプシーと分かる顔つきの女。浅黒い皮膚、濃い男のような眉毛、強いまなざし、締った体つき。スペインにきて初めて見るスペインの女らしい女だった。着古した黒ずんだ赤の衣装と年頃。伴奏の男たちの手にするギターも、フレットと紘の間が広く、張りの強そうな楽器だった。「これは本物が見られる」と思った
カチッ! カスタネットが鋭い音をたて女は手をかざした。ギターが思わせぶりな前奏を弾き始め、パティオは熱っぽい空気に包まれる。その女の踊りにはなにか肉感に迫る重苦しいムードがあった。それと、そのジプシー女のことをいうらしい隣席の男が煩わしく、私は心を残して其処を出る。出会いがしら!若い4、5人の男たちが風のように私を追い越した。私はハッと息を呑んだ!みんな黒ビロードの長いマントを着、その背に赤や青のリボンを長く垂らし、マンドリンやギターを掻き鳴らしながら軽快に歩いて行く。どこかの娘の窓を訪れるのだろう。私は予期しない古風なセレナータの出現がうれしかった。あいにく季節には早く、窓わくに搦む紅バラはまだ咲かず、おあつらえの情景は見られなかったが、これが、この夜最高の景物だった。
間もなく横町から抜け出た通りには繁華街らしく、音楽と女達の嬌声がいっぱい。
今でも古めかしいセレナータ―のいるセビリヤの夜は、古風な懐しさに溢れ、フレット楽器の音に彩られ更けて行った。 (作曲者 記)