私達、マンドりンアンサンブルHIRADは今回、中国の留学生を通して、天津音楽院、北京中央音楽院より、正式な招待状を受けて、4月29日より5月4日まで演奏旅行に出かけました。
北京空港より直ちに天津に向い、途中人の多さ、自転車の多さに驚き、事故が起きないのが不思議なくらいで、思わず手足にカが入りました。天津のホテルに着くと、ロビーには、「熱烈歓迎日本名古屋HIRAD 楽団」
の横断幕が張ってあり、これまた驚きました。 4月30日、天津音楽院に到着。音楽堂は古く、3年後には建て直すとのことで、音響はあまりよくありませんでした。午前中はりハーサル、2時より本番で、中国にきて
最初の演奏会とあって全員緊張ぎみでしたが、満足な出来と思います。アンケート用紙を配ったのですが、回収するのを忘れ、残念でなりません.演奏が終ってから学長より記念メダルと学院のパンフレットを全員に手渡して頂きました。
舞台での交流会では、聴衆の殆どが音楽院の先生と生徒であったせいもあり、マンドリンの弾き方を教えたり、マンドリンは日本の民族楽器かなどと質問があったりと大変に盛り上がりました。
またマンドリンを是非やってみたいときいいだした琵琶の先生も現れました。又、「中国音楽家協会吉他(ギター)研究会理事・天津吉他学校校長・上海『吉他之友』編委」の季先生が来ておられ、舞台でギター弾かれ素晴らしいテクニックを披露されました.
先生の招待でお茶を御馳走になりました。 マンドリン演奏について先生は、音色の美しさ、ギター合奏にはない音の広がりやハーモニィの素晴らしさに感動され、また皆の息が合っていて大変良かったとおほめにあずかりました。
その後天津音楽院の先生5名と食事をしカンペイ、カンペイ、カンペイと盛り上がりました. その夜季先生がホテルに尋ねて来られ、『吉他之友』 (中国ギター雑誌)と先生の独奏カセットテーブを頂きました。
また、先生自慢の十弦ギター(先生自身の考案の中国製)を持参され、ギターとマンドリンの共演を行い素晴らしい夜を過ごしました. 先生にはギターマンドリン譜とギターの弦をブレゼントし、次回の『吉他之友』にHIRADの記事を載せると云うことで記念写真を撮って別れましだ。
5月1日には天津のラジオで3回HIRADの演奏旅行の事が報道されました。 5月2日は北京中央音楽院での演奏会をしました。朝9時に音楽院に着くと、新しくて音響もよい立派なホールがHIRADを迎えてくれました。リハーサルが終って楽屋で寛いでいる時に学院生が入ってきてビックり.
なんと子供たちではないですか。 琵琶を持っている人、揚琴、胡弓、琴と身近に見たこともない楽器ばかりです。早速、揚琴と胡弓を持っている子供に演奏してくれる様に身振り手振りで頼みました。素晴らしい音で、演奏する仕草やテクニックはとうてい子供とは思えませんでした。
又、琵琶の秦者のテクニックと音楽性には圧倒され、HIRADのメンパーは、中国に演奏旅行に来たことが誤っていたのではと思うくらいでした。 ギターを弾く15才の女の子は楊さんといい、第32回東京国際ギターコンクールで特別賞を受賞しており、副賞で貰った河野のギターを大変大事にしていました.
12歳から18歳ぐらいのこの演奏家達は全国から集められ英才教育を受けており、皆の、表情、テクニック、音楽性は素晴らしいの一言でした. HIRADの演奏はそういった少年少女の歓迎ステージの後で大変緊張もしましたが、合奏、独奏とも満足する演奏が出来たと思います。
天津同様に北京でも舞台で交流会を行いました. 北京の交流会ではHIRADのメンバーの方が盛り上がって居ました. と云うのも、今まで触れたことのない各種の民族楽器、と同時にその楽器の大家が目の前に居るからです.
マンドリンの説明より彼等の楽器に触らしてもらったり、説明を受けたりと大変興奮しました. 夕食は出演者全員と先生方6名と、他に運営をしてくれた人達と交流を兼ねてしました。 中央音楽院の張先生(演出課課長)より学院のパンフレットと歴史書を項いてきました。
パンフレットには小沢征爾氏等の学院訪問の写真がありました。先生方の中に、前出の楊さんの先生でもある中国北京吉他学会理事長の陳先生がおられ、5回程来日されているとのことです。 マンドリンに大変興味を持たれ、楽器があれば音楽院でも是非とりあげてみたいとのことでしたので、
HIRADから10弦ギター1本と、マンドリン2本を贈呈しました。(同時に天津音楽院にもマンドリンを2本贈呈しました)感動的なステージをこなしたあとは、名所観光と楽器店巡りにと残りの日程を過ごしました。各種民族楽器数本と民族音楽のカセットテ一プ数本を購入し、訪中の目的であった一つを達成出来ました。
中国演奏旅行が思った以上に成果が上がったのは中国の旅行社の方々、又、天津・北京両音楽院の皆様のお陰と深く感謝して居ります。 中国でいつの日かマンドリンの合奏が聴かれることを祈って日本に帰って来ました。 |